65.【う】 『鵜(う)の目(め)鷹(たか)の目(め)』 (2001/02/19)
『鵜の目鷹の目』
鵜が魚を漁(あさ)り、鷹が鳥を求める時の目付きのように、鋭く物を捜し出そうとする目付き。
類:●血眼(ちまなこ)
*********

甚兵衛は、太助の話を聞いて「うーん」と唸(うな)ったきり、動かなくなってしまった。
頭の中で知り合いの顔がくるくる回っているのだろうが、回転速度が相当鈍(にぶ)っているようで、油でも注(さ)さないと結論に行き着けそうもなかった。
八兵衛と熊五郎は、早くも、見切りを付け、酒を呷(あお)る方に専念し始めていた。

>与:誰か親切な人を引き合わして貰えると良いですね。
>太:やっぱりおいらみたいな愚図(ぐず)は使いもんにならないんだよな。
>与:そんなことないですって。なんだったら、良い職が見付かるまであたいの手伝いをしてください。
>熊:与太郎、それは駄目(だめ)だって言っただろう。
>与:だって、あたいの稼(かせ)ぎが減ることなんか、太助さんが職に付けないことと比べたら、大したことじゃないですから。
>熊:そんなんじゃ何も片付きゃしねえじゃねえか。考えてもみろ、食えねえ奴が一時(いちどき)に2人できちまうんだぞ。
>与:まったく食えないという訳じゃないですから。
>八:でもよ、太助なんざ人一倍食うんだぜ。菜っ葉ばっかりじゃ済まねえんだぞ。
>太:おいらのせいで、与太郎さんに辛(つら)い思いなんてさせられません。そんなことなら、死んだ方が増しです。
>八:おいおい、物騒(ぶっそう)なこと言うなよ。まあ待ってろ、みんなで寄って集(たか)って考えりゃ、そのうち良いとこが見付かるって。

甚兵衛が突然顔を上げて、「そうだ」と良いながら手を打った。

>八:なんでえ、脅(おど)かすなよ。どうしたい大家さん。良いとこが見付かったのか?
>甚:やっと思い出しました。市谷(いちがや)の八幡様のところに、野崎屋という絵草紙屋があるでしょう。背が高けりゃなんでも良いそうです。
>八:絵草子屋? 絵草紙屋と背の高さと何の関係があるってんだ?
>甚:なんでも、お上(かみ)から絵草紙の取締まりが厳しくてこのところ商売が上がったりになってるんだそうです。そこで瓦版(かわらばん)をやろうかってことなんですよ。読み売りするのに背の高い方が目立つだろうって。
>熊:読み売りするにゃあ口上(こうじょう)が巧くなきゃいけねえだろ。できるのかよ。
>太:口上って、節回しを付けて喋(しゃべ)ったり、ひとつとせとか歌ったりするんでしょう? 任(まか)しといてください。伊達(だて)に芝居好きやってる訳じゃないんですから。
>熊:大丈夫かよ。
>八:でもよ、大家さん、瓦版売りなんて毎日あるもんじゃねえでしょう? 碌(ろく)な稼ぎにはならねえんじゃねえですか?
>甚:何もないときは絵草紙売りの方を手伝えば良いんじゃないですか?
>八:そうだがよ、ここんとこ上がったりなんだろ?
>甚:そうですねえ。どうしたもんですかねえ。
>熊:困ったもんだよな。役者絵は綺麗に描くから売れるんで、それを綺麗に描いたら取締まるってんだからな。役人どもは、躍起(やっき)になって彫師を追っ掛け回してるらしいな。
>八:絵草紙ごときでご政道が曲がるとでもいうのかねえ。・・・それはそうと、なんでもよ、近頃東州斎なんとかってのが豪(えら)い評判らしいじゃねえか。出したら忽(たちま)ち売り切れちまうってんじゃねえのか?
>熊:写楽か? 見付からないように隠れてるって話だぜ。売れりゃあ売れるだけ、お上の見る目は厳しくなる。売ってる方だっていつお仕置きされねえとも限らねえ。
>八:なあ、そこいらんとこはよ、玄人(くろうと)の鴨の字に聞いてみちゃあどうだ? 頼めばお目溢(こぼ)しして呉れるかも知らねえぞ。
>熊:真逆(まさか)。鴨太郎だって役人だぞ、手心加えたのがばれたら只じゃ済まねえだろ。
>八:そりゃあ可哀相だがよ。こっちの太助だって可哀相なんだからな。

使って呉れる話があるのだから、早速(さっそく)明日にでもその野崎屋を訪ねてみようということで、甚兵衛の家を辞去した。
与太郎は、きっと巧くいくよと、終始太助を励(はげ)ましていた。

>八:いっそのこと絵草紙なんか売るの止(や)めちまって、瓦版屋になっちまえば良いのにな。
>熊:なんだよ、そう毎日事(こと)が持ち上がる訳じゃねえって言ったのお前ぇだぞ。
>八:だからよ、誰かがよ、毎日なんかを起こせば良いんだろ?
>熊:お前ぇ、妙なこと考えてる訳じゃねえだろうな?
>八:妙なことって?
>熊:惚(とぼ)けるなよ。お前ぇが騒動を起こすって言ってるようなもんじゃねえか。
>八:違うさ。おいらがじゃなくて、おいら達がだ。
>熊:止(よ)せやい。おいら、ご政道に触れるようなことは金輪際しねえからな。正直なとこ、徹右衛門の一件だってちょいとばかし後悔してるんだ。
>八:なにも罪を犯そうってんじゃねえんだよ。櫓(やぐら)から飛び降りてみせるとか、真冬に大川で泳ぐとか・・・
>熊:嫌だよそんなの。命張ってまでねたを作ろうとは思わねえよ。やるんだったらお前ぇ1人でやれ。
>八:おいらだってやだよ。お前だったらやって呉れると思ってたんだがな。・・・太助よ、駄目だってよ。まったく、つれねえよな。
>熊:何を抜かしやがる。好い加減なことを言い出すお前ぇの方が酷(ひで)えんじゃねえのか? もう少し真剣に考えてやったらどうだよ。
>八:こう見えてもおいらは真剣だぞ。
>熊:どうだか。

>八:それじゃあよ、こんなのはどうだ? 鴨の字に張り付いて、その日に起こったことをねたにするってのは。
>熊:邪魔にされるのが落ちじゃねえのか? それによ、外回りばかりしてるように見えるけど、あいつは同心だぞ。奉行所にいることの方が多いんじゃねえか?
>八:そうか。町人が勝手に奉行所をうろつく訳にもいかねえもんな。・・・じゃあよ、鴨の字に岡引(おかっぴき)を宛がって貰っちゃあどうだ? 長屋を世話したんだし、ついでにそのくれえ面倒見ても良いだろうよ。
>熊:負んぶに抱っこか?
>八:決まってんじゃねえか。・・・それともどうだ、いっそのこと下っ引きになっちまえば良いじゃねえか? 岡引の後をくっ付いて回って、暇なときに瓦版を作って売る。絵草紙売りなんかより面白そうじゃねえか。
>熊:面白きゃ良いのか。お前ぇはなんでもかんでもそうだな。
>八:つまんないよか面白いに越したことねえじゃねえか。そうだ。なんならよ、普通の下っ引きじゃつまらねえから、魚売りでもやっちゃあどうだ? その方が聞き込みなんかもし易いだろう。
>熊:おいおい、段々収拾(しゅうしゅう)が付かなくなってきたじゃねえか。魚売りをしながら岡引を手伝って、そのねたを瓦版にして読み売りするのか? そんな器用なことができるんだったら、端(はな)っから職探しなんかしちゃあいねえよ。
>八:そうか? おいら、あんまり良い思い付きなもんで、自分でやろうかとまで考えてたんだがな。
>熊:勝手にやれば良いじゃねえか。誰も止めやしねえよ。

>八:ほんと、冷たい奴だねえ。ここまで身に着けた技を今更棒に振る訳にいかねえじゃねえか、勿体ねえ。今回の思い付きは太助のやつに譲(ゆず)ってやることにするよ。どうだ、太助。気に入ったか?
>太:はあ。唯(ただ)、野崎屋さんの方にも、注文ってもんがあるでしょうから、そいつを聞いてからになるんじゃないでしょうか。
>八:そりゃあそうだがよ。魚売りをやりながらでも良いかって聞くぐらいできるだろう?
>太:はあ。でも、魚売りは釣銭勘定が・・・
>八:そうだったっけ? そんなら、下っ引きでどうだ?
>太:刃傷(にんじょう)沙汰(ざた)とかに巻き込まれるのはどうも・・・
>八:なんだよ。こんだけ親身(しんみ)になってやってるってのに、あれは駄目これも駄目じゃ話にならねえじゃねえか。・・・分かったよ。精々(せいぜい)、事件が起こりそうな匂いを嗅ぎ付けられるように、あちこちに目を光らせとくんだな。
>太:はあ。
>与:それでしたら、あたしが下っ引きの真似事(まねごと)をしちゃいましょうか? それで、太助さんを手助けすれば良いんでしょう?
>熊:本気か?
つづく)−−−≪HOME

蛇足:
一心太助(いっしんたすけ) 1.江戸初期の魚屋で、男気に富み、大久保彦左衛門(1560〜1639)の愛顧(あいこ)を受けて活躍したという。生没年不詳。 2.1.)が登場する歌舞伎脚本。時代世話物。 @本名題「名高手毬諷実録(なにたかしまりうたじつろく)」(安政2=1855年)の通称。 A河竹黙阿弥作。明治16年東京新富座初演。本名題「芽出柳緑翠松前(めだしやなぎみどりのまつまえ)」