04.【あ】  『秋(あき)の扇(おうぎ)』 (1999/11/22)
『秋の扇』
夏を過ぎて顧(かえり)みられなくなった扇を我が身の境遇に喩えた言葉。男の愛を失った女のこと。
類:●班女(はんじょ)が扇●団雪(だんせつ)の扇●秋扇
故事:文選−怨歌行」 漢の成帝の宮女、班[女+捷-手][女+予](はんしょうよ)が、君寵の衰えた我が身を秋の扇に喩えて詩を作った。
出典:文選(もんぜん) 中国の詩文集。30巻。梁の昭明太子蕭統(しょうとう)らの撰。6世紀前半に成立。唐の李善注本60巻が伝わる。周から梁に至る約千年間の美文の粋、約800編を文体別・時代順に並べたもの。中国現存最古の選集。日本への伝来は古く、「白氏文集」と共に文集(もんじゅう)・文選と併称された。
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熊五郎と八兵衛は別々の持ち場に戻り、それぞれ、長屋の新入りのことを夢想していた。
新入りというものは、押し並(おしな)べて、情報が不足している分興味を惹(ひ)かれるものだが、あやは、長屋には不釣り合いな品(ひん)を持ち合わせているのだ。気品といっても良いくらいだ。
仕事を疎(おろそ)かにしている訳ではないが、頭が勝手に考えてしまうのも無理からぬことだろう。

出自(しゅつじ)、である。どんな風に育ち、どんな因縁で長屋まで辿(たど)り着いたのか?
尤(もっと)も、思い入れが強過ぎるせいか、思考が突拍子もない方向にばかり飛躍してしまい、一向に結論に辿(たど)り着けそうもないのだが。

>熊:親方に娶(めあ)わせるってったってなあ、あやさんのことなんにも知らねえんだぜ、おいらたちゃあ。
 >歳は20と5・6といった辺りだろうな。
 >しっかし、あんな別嬪(べっぴん)がよくうちの長屋みてぇな小汚ねえとこに来たもんだよなあ。
 >掃き溜めに鶴ってえのはこのことを言うんだな。
 >そう言やあ大家の爺さん、人伝(ひとづ)てに頼まれたとかなんとか言ってやがったな。
 >人伝てって、どういう伝手(つて)だろう。
 >棟梁やってた頃の伝手だったりしたら大変だぞ。
 >大店の箱入り娘って事だってあるんじゃねえか?
 >もっとも、もしそうだったら、あんだけの器量だ、当然どこかのお屋敷に上がってただろうしな。
 >とすると、町娘か。
 >でもなあ、あれだけの器量だから、大店の若旦那かなんかと縁談があったって可笑しくない。
 >いや待てよ、お武家さまのご息女ってことだって有り得る。
 >なんとなく学もありそうだし、稽古(けいこ)事だって出来そうだしな。
 >いや、違う違う。
 >もしそうだったらそれこそ御姫さまになってる。
 >うーん。分からねえ。

>八:持ってきた荷物はそんな豪華なものじゃぁねえが、ちゃんとした細工師が拵(こさ)えたものだ。
 >お武家の出じゃあねぇだろうなぁ。
 >もしそうなら「だるま」ごときの飲み屋で働いたりするこたあねえしなあ。
 >身寄りはねえのかなあ。
 >そうだよな、あったらうちの長屋なんかに来る筈はねえやな。
 >親から勘当されたのか?
 >あんな器量好しを勘当する親なんて聞いたこともねえ。
 >いや待てよ、もしかするととんでもねえ悪い癖を持ってるのかも知れねえぞ。
 >あの歳になっても寝小便垂れるとか、人様の物を掠(かす)めるとか。
 >いや、違う違う。
 >もしそうだったら大家さんが頼まれてくる筈がねえ。
 >うーん。分からねえ。

2人とも勝手な妄想を逞(たくま)しくしてみたけれど、正体は益々霞(かすみ)の底に沈んでいってしまう。
早目に仕事に方(かた)の付いた熊五郎が八兵衛のところへ手伝い、というよりも、意見交換に行った。

>熊:さっきから考(かんげ)えているんだがよ、あやさんていったい何者なんだろうな。
>八:何者って、下手人(げしゅにん)を呼ぶみたいに言うもんじゃねえよ。
>熊:それはそうだがよ、色々考えてると段々良くない方に行っちまってよう。
>八:実はおいらもなんだよ。なんか隠し事があるんじゃねえかってな。
>熊:もしかするとどこぞの助平(すけべえ)爺いのお妾(めかけ)だったんじゃねぇかって、そんな気がしてなんねえんだ。
>八:お前ぇもか。それでよう、もっと若くてぴちぴちした別のが見つかったからお暇を出された。
>熊:そうそう。
>八:深く傷付いて独りでしんみりとしていたい。
>熊:そうそう。
>八:事情が事情だけに、親も手元に置きたがらねえ。
>熊:いいぞいいぞ。
>八:経緯を知らねえ甚兵衛に、事情隠して引っ越して。
>熊:ほいさそれそれぇ。
>八:ばれねえ内に親方と、所帯を持って知らん振り。
>熊:それからどしたぁ。
>八:助平爺いが忘られず、浅き夢見じ酔ひもせず、ってなもんだ。
>熊:・・・じゃあ、なにかい? 初心(うぶ)な親方が騙(だま)されちまうってえのかい?
>八:そうかも知れねぇって言ってるだけじゃねえか。

>熊:だけどよ、おいら、あやさんが隠し事したり嘘吐(つ)いたりするような人には見えねえんだよ。
>八:おいらもなんだよな。

そうこうしている内に暮れ六つ(=18時ころ)の鐘が鳴り、そろそろ親方を連れて「だるま」に向かう刻限になってしまった。
本当にこれで良いのだろうかと、段々揺(ゆ)れてきていた。
つづく)−−−≪HOME