ことわざの意味
漱石枕流(そうせきちんりゅう)とは、自分の誤りをなかなか認めず、負け惜しみが強いこと、または、道理に合わないことを無理やりこじつけることのたとえです。文字通りには「石に漱(くちすす)ぎ、流れに枕(まくら)す」と読み下し、石で口をすすぎ、川の流れを枕にして寝るという意味になりますが、これは本来の言い方とは逆で、その言い間違いを指摘された際に、屁理屈を並べてごまかしたという故事に由来しています。
用例
- 彼は自分の失敗を指摘されても、漱石枕流の言い訳ばかりで反省の色が見えない。
- 明らかに彼の勘違いなのだが、漱石枕流の態度で自説を曲げようとしない。
- あの議論での彼の主張は、まさに漱石枕流で、聞いている方が呆れてしまった。
- 負けず嫌いの彼女は、間違いを認めるのが苦手で、時々漱石枕流な言動をとることがある。
ことわざの由来
「漱石枕流」の由来は、中国の晋の時代(西晋)の文人である孫楚(そんそ)にまつわる故事です。この話は、南朝宋の劉義慶(りゅうぎけい)が編纂した『世説新語(せせつしんご)』などに収められています。
孫楚は若い頃、俗世間を離れて隠遁生活を送りたいと考え、友人の王済(おうさい)にその決意を語ろうとしました。本来は「石に枕し流れに漱ぐ(石を枕にして寝て、川の流れで口をすすぐような自然の中での生活)」と言うべきところを、うっかり「石に漱ぎ流れに枕す(石で口をすすぎ、川の流れを枕にする)」と言い間違えてしまいました。
王済が「流れを枕にしたり、石で口をすすいだりできるものか」とからかうと、負けず嫌いの孫楚は、「流れに枕するのは、(俗世の汚れた話を聞いた)耳を洗うためだ。石で口をすすぐのは、(俗世のものを食べた)歯を磨くためだ」と屁理屈を言って、決して自分の誤りを認めようとしませんでした。
この故事から、「漱石枕流」は負け惜しみが強く、こじつけのうまいことのたとえとして使われるようになりました。
ちなみに、日本の文豪・夏目漱石のペンネーム「漱石」は、この故事に由来すると言われています。彼自身がこの孫楚の負けず嫌いで偏屈な性格に共感し、自嘲と自負を込めて名乗ったとされています。また、「流石(さすが)」という言葉も、この孫楚の見事な(?)言い訳に感心したことから生まれたという説があります。
類似のことわざ
- 我田引水(がでんいんすい): 他人のことを考えず、自分の都合の良いように言ったり行動したりすること。