337.【と】 『時(とき)は金(かね)なり』 (2006.06.19)
『時は金なり』
英語のTime is moneyを直訳したもの。時間は貴重であり有効なものであるから、無駄に費やしてはいけない。時間の尊さを教えたベンジャミン・フランクリンの格言。
由来:
ギリシャ起源の「時は高い出費である」に由来する。16世紀後期から英語圏に入って「Time is precious」の形で用いられた。「Time is money」は、フランクリン(18世紀)の文書により広められた。→「時は金なりということを忘れてはならない。自らの労働により一日10シリングを稼げる者が、半日出歩いたり、何もせず怠(なま)けていたりしたら、その気晴らしや怠惰に6ペンスしか使わなかったとしても、それだけが唯一の出費と考えるべきではない。彼はさらに5シリングを使った、というよりむしろ捨てたのである」
人物:ベンジャミン・フランクリン アメリカの政治家・著述家・科学者。1706〜90。出版印刷業者として成功し、避雷針の発明や、稲妻の放電現象の証明など科学の分野をはじめ、図書館・高等教育機関の創立などの文化事業にも貢献した。アメリカ独立宣言起草委員で、また、憲法制定会議にも出席した。著書、「フランクリン自伝」。
*********

例年の八兵衛なら「何か面白そうなことでも起きねえかな」などと言い出しそうなところだが、この梅雨(つゆ)ばかりは、喜んで長屋に引き篭もっている。
生まれて3月を過ぎたお芳(よし)が可愛くて仕様がないらしい。

>熊:おーい、八。蚕豆(そらまめ)茹(ゆ)でてきてやったぞ。
>花:あら、いらっしゃい、熊さんにお咲ちゃん。お揃(そろ)いで結構ね。
>咲:なんにもしてない父上と一緒にいてもつまらないんだもの。
>花:そんなこと言わないの。
>咲:でも、近頃の父上のぐうたら加減っていったら、目に余るものがあるのよね。
>花:良いんじゃないの? 隠居な訳だし。
>咲:まだまだ隠居なんかさせるもんですか。持病(じびょう)がある訳でもなし。
>花:もう立派な家もあるんだし、悠々自適でも良いんじゃない?

>咲:とんでもない。熊さんが親方って呼ばれるようになったといったって、相変わらずの下働きだし。万吉千吉が一人前になるのはまだまだ先だし。そのうち稚児(やや)でも生まれたら、あれやこれやで何かと入り用になるし、もっともっと稼(かせ)いで貰わないと。
>花:まあ。がっちりしてるのね。
>咲:今のご時勢、がっちりやらないとね。
>熊:ちょいと度が過ぎてるような気もするがな。
>咲:良いの。・・・そんなこと言ってるんだったら、熊さんももっと稼いできてよね。
>熊:この雨じゃ無理だってんだ。

>八:なんだなんだ、長屋の戸口ででかい声で話すことじゃねえだろう。見ろ、お芳がきょとんとしちまってるじゃねえか、なあ?
>花:あら、御免なさいね、立たせたまんまで。
>咲:良いのよ。あたしたちは、万ちゃん千ちゃんのとこでお昼御飯にするから。
>八:そんじゃよ、お咲坊、ここでちょいとお芳の相手をしておいて呉れよ。男は男同士、積もる話があるからよ。
>咲:何が「積もる話」よ。毎日一緒にいる癖に。下心(したごころ)、見え見えよ。
>八:良いじゃねえか。この様子だと明日も雨だろうしよ。雨見酒と洒落(しゃれ)込もうかね。
>咲:そう来ると思ってたわよ。・・・はい。八つぁんにはこれ。
>八:おお。大徳利(おおどっくり)じゃねえか。こりゃこりゃ・・・
>咲:万ちゃんたちにはほんのちょっとにしてよね。てんで下戸(げこ)なんだから。
>八:そりゃあ渡りに船って奴だな。・・・お花、塩はあるか?
>花:はいはい。どうぞごゆっくり。
>八の母:とんだぐうたら揃いだ。源五郎親方が見たら泣くね。
>八:こんなむさ苦しいとこに来るかってんだ。今頃、源太(げんた)坊にだるま落としでも作ってやってるとこだろうよ。なあ、熊?
>熊:だるま落しかどうかは別として、大方、そんなとこだろう。
>八:さ、女子供は抜きにして宜しくやろうじゃねえか。

と、八兵衛が外に出たところに、1つの傘が近付いてきた。
ぎくっと動きを止めた八兵衛に気が付いたか、傘の下の男が顔を露(あら)わにした。
五六蔵である。

>八:脅(おど)かすなよ。親方かと思ったじゃねえか。
>五六:あの親方が態々(わざわざ)ここまで来ますかって。
>八:そりゃそうだろうがよ、たった今、噂をしてたもんだからよ。
>五六:噂をすればなんとやらですかい?
>八:良くあるんだよな、おいらについちゃな。
>五六:それも人徳(じんとく)って奴ですかね。
>八:なにが人徳であるもんか。こちとら、飲みの分量が少なくなって、辛(つら)い思いをしようってのによ。
>五六:飲めませんよ。
>八:なんだと?
>五六:ですから、呼んでます。親方が。
>熊:なんだ? 本当に呼んじまったのか?
>八:こりゃこりゃ、霊験(れいげん)あたらかって奴だな。
>熊:何を暢気(のんき)に言ってやがる。
>八:それで? 何があったんだ?

五六蔵の話はこうである。
市谷本村町(ほんむらちょう)辺りに大地主があり、何十件もの貸し家を建てて人に貸している。
そのうちの8軒の雨漏りが、もうどうしようもな体たらくだという。
今日中に全部を直せるなら1軒につき1分(=約2万円)、明日まで掛かるなら2朱(=約1万円)払うという。

>熊:明後日まで掛かったら?
>五六:一切(いっさい)払わねえと。
>八:なんだと? 直してやるのに払わねえってのか?
>五六:へい。「そういう約定(やくじょう)でどうだ」って。
>八:からかってやがるのか?
>五六:親方に言わせると、「そうとも思える」ってことで。
>八:そんなの断(ことわ)っちまえ。
>五六:断れば、悪い噂を言い触らしてやるとまで言ってるそうでやして。
>熊:なんだそりゃ? 恨みでもあるのか?
>五六:さあ? あっしにはなんとも。・・・でも、親方が呼んでますんで、行ってみねえことには。
>熊:そりゃそうだが・・・
>八:でもよ。今日ってったって、もう直(す)ぐ昼だぜ。明日の朝からって訳にゃいかねえのか?
>五六:それは親方が決めなさることで。
>八:そりゃそうか。
>熊:それにしても、8軒全部を半日でってのはなぁ。
>八:おいらと熊と、ひいふうみい・・・。「恐縮千万」の2人を混ぜると9人か。
>熊:親方と友さんまで混ぜるのか?
>八:友さんは良いとして、親方くらい混じって貰わねえとな。それで丁度8人だ。・・・なんとかなるんじゃねえのか?
>熊:お前ぇなあ。「どうしようもない体たらく」ってのがどんなもんかは、行ってみなきゃ分からねえんだぞ。
>八:高々(たかだか)雨漏りだろ? なんてこたぁねえさ。・・・そんで、三吉と四郎は?
>五六:へい。もう向かってまさ。

八兵衛は、徳利と蚕豆に後ろ髪を引かれていたが、少なくとも酒は逃げやしない。
それに、もしかして1人頭1分が入れば、親方も何がしかの駄賃(だちん)くらい出すだろうという算段である。


万吉と千吉を引き立てて、源五郎の家へと集まった。

>源:休んでるとこ済まねえな。まったく、偏屈(へんくつ)な爺さんだからよ。
>熊:前からの知り合いですか?
>源:ああ。あそこは、親父(おやじ)の頃からの馴染(なじ)みだ。俺も駆け出しの頃にいくつか建てた。
>熊:するってえと、20年ですかい? そりゃ結構なもんですぜ。
>源:それ以上だろうよ。
>八:それで? もう引き受けちまったってことなんでしょう?
>源:無理矢理引き受けさせられた。
>八:ってことは、これから直ぐにでも行って始めろってことですか?
>源:そういうこったな。
>熊:親方も来てくださるんでしょう?
>源:行くには行くが、仕事はできそうもねえ。
>熊:なんでですか?
>源:俺は爺さんの傍(そば)に付いてて、一々事細かに聞かれるあれこれに答えなきゃならねえ。
>熊:それじゃぁ、頭数が揃いませんよ。
>源:この際だ。友助にも働いて貰う。・・・お前ぇらは、なるべく早く片付けて遅れそうなとこを手伝うようにしろ。
>八:やっぱりそうなりますか。
>源:仕方ねえだろう。
>熊:でも、2日掛かりになっても良いんでしょう?
>源:お前ぇらはあの爺さんを知らねえからそんなことが言えるんだ。必ず、今日中に終わらせる。
>熊:必ずですかい?
>源:必ずだ。・・・分かったらとっとと用意を始めやがれ。

詳(くわ)しいことは分からないが、厄介(やっかい)な話であるらしかった。
兎(と)も角(かく)、これから刻限との戦いとなってしまった。

万吉と千吉は、沈痛(ちんつう)そうな源五郎の表情を見て、唯々(ただただ)おろおろしていた。
つづく)−−−≪HOME