278.【た】 『竹屋(たけや)の火事(かじ)』 (2005.04.04)
『竹屋の火事』
竹が火で弾けるポンポンという音から、怒ってぽんぽん言うこと。ずけずけと言いたい放題(ほうだい)に言うこと。
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八兵衛に叩き起こされて、熊五郎は、「いつの間にか寝ちまったんだな」と呟(つぶや)いた。
八兵衛の為(な)すがままで顔を洗い、朝飯を掻き込んで、仕事に向かった。
寝不足でぼんやりしている熊五郎に、源五郎が声を掛けてきた。

>源:熊、今日はお前ぇにやって貰いてえことがある。
>熊:へ? おいらにですかい?
>源:そうだ。
>八:親方ぁ、熊の野郎は昨夜(ゆんべ)あんまり眠れなかったようなんで。こいつらで替わりになるんだったら、三吉でも行かせますけど。
>三:またおいらですかい? 勘弁(かんべん)してくださいよ。
>源:いや、熊でなきゃならねえことなんだ。
>八:そんじゃ、熊の野郎の面白(おもしろ)そうな話が聞けないじゃありませんか。ちぇ、つまらねえな。
>源:なんだその「面白そうな話」ってのは?
>八:それがね親方、こいつ昨夜、お咲坊と2人っきりで・・・
>熊:こら、余計なことを言うんじゃねえって。
>八:良いじゃねえか。話が上手(うま)い具合いに行ったんだろ? な?
>熊:手前ぇ、もしかして、盗み聞きしてやがったのか?
>八:そ、そんな端(はし)たねえことするかってんだ。唯(ただ)よ、いつもだったら餌(えさ)を取り上げられた小犬みてえに、きゃんきゃん怒鳴(どな)り散らすお咲坊が、ちっともでかい声を出さなかったからよ。
>熊:聞こうとしてたってことじゃねえか、この野郎。
>八:ま、なんだ、あんまり堅(かた)いこと言うなって。・・・終(しま)いの「そんじゃな」ってとこだけだよ、ちゃんと聞き取れたのは。
>熊:そんだけ聞こえてりゃ、立派な盗み聞きだろう。
>八:そんな言い方するなって。お前ぇだって、お花のことを盗人(ぬすっと)呼ばわりする気はねえだろう?
>熊:なんだと? 夫婦(めおと)揃(そろ)って聞き耳を立ててやがったってのか?
>八:い、いや、母ちゃんと3人だ。・・・でもよ、殆(ほとん)ど聞き取れなかったからこそ、細かいとこまで聞きてえと思ったんじゃねえか。そうだろ?
>熊:誰が教えるか。

>源:まあ良いから、そういうのは飲み屋に行ってからじっくり話しやがれ。それより、あんまり時(とき)がねえんだ。
>熊:へ、へい。それで、どういう用事ですかい?
>源:ちょいと家(うち)の奴を、柿本(かきもと)さんのとこへ案内してってやって呉れ。
>熊:姐(あね)さんを猪ノ吉のとこへですかい?
>八:そりゃまた、妙なとこへの用事ですねえ。剣術道場ですよ、親方。一体全体(いったいぜんたい)・・・
>源:あんまり詮索(せんさく)するなよ。
>八:は、はい。そうでやしたね。・・・そんじゃ、そのことも飲んだ席でってことで。
>源:まあ良い。・・・もうそろそろ用意ができる頃だろうから、熊、表(おもて)で待ってろ。
>熊:へい。分かりました、親方。

あやと猪ノ吉がどこでどう繋(つな)がるのか、熊五郎にはさっぱり分からなかったが、兎に角(とにかく)、親方の言い付けである以上、従わない訳にはいかない。
しかし、それはそれとしても、仕事を放(ほ)っぽらかしにしてまで行くことではないのではないか、という気もしていた。

>あや:ご免なさいね、熊五郎さん。
>熊:いえ。親方がそうしろってんですから、なんてことねえです。・・・でも、差し出がましいんでやすが、猪ノ吉に用なんて、どういうことなんですかい?
>あや:それがね、また、縁談(えんだん)なんですよ。お目出度(めでた)い話なんですけど、こうしょっちゅうだと困っちゃいますよね。
>熊:猪ノ吉の弟子をってことですか?
>あや:そういうことだったら造作(ぞうさ)ないんですけどねえ。
>熊:相当こんがらかってる話ってことですかい?
>あや:詳(くわ)しいことは、あちらに着いてからお話しますけど、あるご浪人のご子息(しそく)がね、然(さ)るお店(たな)の一人娘と添(そ)いたいと言ったのが事の起こりなの。
>熊:浪人とお店ってえと、やっぱり、身分とかそういうことですか?
>あや:そうじゃないのよ。お婿(むこ)さんの方の親御さんも、お仲間の方たちも、そういうことには拘(こだわ)らないって言ってくだすってるんですって。
>熊:するってえと、娘さんの方ってことですかい?
>あや:そのお父様(とうさま)。なんでもね、「男子たるものが、相応の稼(かせ)ぎを得られないようでは認める訳にはいきませんな」って仰(おっしゃ)ったそうなんです。
>熊:婿に取って、お店を継(つ)がせるんと違うんですか?
>あや:勿論(もちろん)、望みはそうなんですけど、どうも、一度見ただけで「商(あきな)いには向かない」って分かっちゃったんですって。
>熊:そうとなりゃあ、その話は破談(はだん)じゃねえですか。商いに向かない婿なんか要らねえってんでしょう?

>あや:それがね、元を正(ただ)すと、娘さんの方が好きになっちゃったところから始まってるから困るのよ。・・・それでね、一緒になれないんなら勘当(かんどう)して呉れとか、駄目なら心中(しんじゅう)するとかって、そりゃもう大変な話になっちゃってるのよ。
>熊:心中ってのは、また、穏(おだ)やかじゃねえですね。
>あや:そうでしょう? 放っておけないでしょう?
>熊:そりゃあ巧い具合いに落ち着いて貰いてえと思いますよ。でも、どうすりゃ良いってんです?
>あや:「剣術道場の師範とか師範代(しはんだい)くらいになって、妻子を食わせていけるくらいの甲斐性(かいしょう)があるなら考える」って、こう言うんです。
>熊:それで、猪ノ吉にってことですか? 腕に覚えがあるってんなら、なんとかなりそうでやすね?
>あや:でも、実は、その人って、剣術の方はからきしみたいなの。
>熊:そうなんですかい? そりゃあ・・・

確かに、深刻な話である。
こんな話を正面(まとも)に聞いて呉れそうなのは、やはり、猪ノ吉かその義父(ぎふ)の千場(ちば)師範しかいないかも知れない。
そして、その2人は、あやの説明をちゃんと最後まで聞いて呉れた。

>千:話は分かりました。
>熊:なんか良さそうな手はありますかい、大(おお)先生?
>千:難しいですな。・・・どう思う、師範代?
>猪:剣の道は、そう易々(やすやす)と極(きわ)められるものではないですからね。
>熊:お前ぇ、真逆(まさか)、それで「はい然様(さよう)なら」って訳じゃねえだろうな? うちの若女将(わかおかみ)が直々(じきじき)に出向いて、頭まで下げてるんだぞ。
>猪:分かっておる。分かってはおるのだが、こればかりはどうにもならぬ。・・・かといって、下男(げなん)のような口では、失礼であろう?
>熊:そりゃあそうだよ。相手のお父つぁんはもっと怒っちまう。
>猪:こう言っちゃなんだがな、剣術を始めるくらいなら、商いを覚える方が易しいんじゃねえのか?
>熊:成る程。そりゃ、そうかも知れねえな。
>千:まあ、なんにしても、本人たちを見たこともないのでは始まりません。一度お会いしてみましょう。・・・細かいことはそれからということで、良う御座いますな?
>あや:はい。十分です。
>猪:なんとかなりゃ良いけどな。
>熊:なんだか人事(ひとごと)ってぇ良いようだな?
>猪:仕方ないだろう。本来であれば、武家の者が商家(しょうか)の娘を貰ってやるということなのだからな。ごねる方がおかしいだろう?
>熊:そりゃあそうかも知れねえけどよ、好いた好かれたと身分がどうのってのは別もんだろう?
>猪:そう思うか?
>熊:そうでなきゃ、2人があんまり可哀想(かわいそう)だろう?
>猪:・・・よし、分かった。一肌脱ごう。
>熊:何をどう助けて呉れるってんだ?
>猪:どうなるかなんか、分かるか。でもな、幼馴染みとして、困ってる熊ちゃんの力になりてえのさ。
>熊:困ってるのは、おいらじゃなくって、その浪人の人なんだけどな。
>猪:あ、そうだったか? おお、そうだったそうだった。

もしも熊五郎が寝不足でなければ、猪ノ吉の言動の不自然さに「おや?」と思ったかも知れない。
察しさえ良ければ、仕組まれたと気付いて、怒り出していたかも知れない。
あやにだろうと千場師範にだろうと、構わず噛み付いていただろう。
しかし、熊五郎は何も気付かず、直(す)ぐさま、あやが後を引き取った。

>あや:それでは、千場様。ご面倒ですが、柿本様をお借りすることになります。
>千:どうぞ、お好きなようにお使いくだされ。・・・そちらは、熊さんが橋渡しをしてくださるんですね?
>あや:はい。・・・あ、それと、お嫁さんの方のこともありますんで、女子(おなご)1人に混ざって貰おうと思っています。
>千:そうですか。それは中々のご配慮ですな。・・・猪ノ吉、今日のところはもう良いから、熊さんと一緒に、その若い衆のところへ行ってきなさい。
>猪:は。畏(かしこ)まりました。

熊五郎と猪ノ吉が出掛けていった後、千場功次郎とあやは向かい合ってお茶を啜(すす)っていた。

>あや:千場様、厄介(やっかい)なことをお願いしてしまって、申し訳ありません
>千:いやいや、熊さんには何かと世話になりましたからな。恩返しにはまだまだ足りないくらいです。
>あや:そう言っていただけると、こちらとしても気が楽になります。
>千:これを企(たくら)んだのは、源五郎親方ですか?
>あや:いえ。そうだったら、わたしが止めてます。ちょっとばかし態(わざ)とらし過ぎて、冷や冷やものでした。
>千:そうですか。それでは?
>あや:甚兵衛(じんべえ)長屋の大家さんなんです。
>千:確か、源蔵さんの親方だった方ですな?
>あや:はい。熊五郎と一番仲が良い八兵衛が片付いたということで、「熊五郎の方もどうにか近いうちに」と申しまして。
>千:皆さんに心配されて、熊さんも幸せですね。・・・それで、お相手のお咲さんの方はどうなんですか?
>あや:気持ちは分かっているんですけれど、やはり、身分のことが引っ掛かっているようです。然(さ)もなければ、お父上の六之進さんの気持ちを測(はか)り兼ねているのかと。
>千:もっと時を掛けるべきなのではありませんかな?
>あや:そうですね。甚兵衛さんには済まないですが、やはりじっくりと運ぶのが良いかも知れません。
>千:お咲さんには、ばれてしまいますか?
>あや:勘の良い子ですからね。恐らく、直ぐにでしょう。
>千:怒りますかな?
>あや:それはどうでしょう? 栗林様のところのお夏さんの一件で、少し大人(おとな)になっていて呉れると良いんですが。・・・そうでなければ、「烈火(れっか)の如(ごと)し」でしょうね。
>千:桑原(くわばら)桑原。そのときは、是非(ぜひ)源五郎親方に楯(たて)になって貰わなければね。
>あや:まあ、剣術のご師範が言う言葉ではありませんね。
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