235.【し】 『尻馬(しりうま)に乗(の)る』 (2004.06.07)
『尻馬に乗る』[=付く・出る]
1.他の人が乗っている馬の尻に乗る。他の人が乗っている馬の後ろに乗る。
2.節操もなく他人の言説に付和雷同する。無批判に人のすることに便乗して行動する。 
類:●付和雷同
3.人の尻に乗る。
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日付けが変わって間もなく、五六蔵の妻・お三千が男の子を産んだ。
五六蔵に似たせいか、大きな稚児(やや)だった。

>五六:思いの外(ほか)長引いちまいました。休みまで取らして貰っちまって、済いやせんでした。
>源:初めてのときは心配なもんだ。付いててやるに越したことはねえ。それより、お前ぇ、夜中のことじゃ、十分には寝てねえんじゃねえのか? なんなら半日休んでても構わねえんだぜ。
>五六:産んだのはお三千の方で、あっしじゃねえんですぜ。それに、朝方まで掛かった四郎が仕事をしたってのに、あっしが休んでちゃ、合わせる顔がありませんや。
>四:おいらの方は、昼飯を食ってから居眠りをしちまいましたけど・・・
>熊:起こさなかったのは、手が要(い)らなかったからだ。怠(なま)けてた訳じゃねえさ。
>源:今日は昨日とは違って、手が有り余ってるからな。1人や2人足りなくたってなんとでもなる。
>五六:それじゃあ、みんなで寄って集(たか)って働いて、早いとこ片付けちまうってことにしやしょう。・・・今日は、藺平(いへい)父つぁんから小遣い銭を貰ってきてるんです。
>八:ほんとか? そりゃあ凄(すげ)え。・・・これで、今晩も鰹(かつお)が食えるな?
>源:お前ぇ、朝っぱらから酒臭(くせ)えんだが、そんな調子で今晩も飲もうなんて気に、良くなれるな。
>八:こんなの、昼飯を食えば治っちまいますって。
>三:鰹のためなら、意地でも治してみせるってことでしょう?
>源:鰹だと? あの「だるま」でか?
>三:へい。あの親爺(おやじ)、何を思ったのか大枚(たいまい)叩(はた)いて初鰹を仕入れてきやがったんでさ。
>源:へえ。似合わねえな。
>五六:親方も一緒にどうですか? 慶二坊ちゃんの方もちょっとは落ち着いたでしょう?
>源:そうだな。偶(たま)にはそういうのも良いかもな。みんなが揃(そろ)うのも久方振りだもんな。
>八:やったあ。親方が来て下さるってんなら、これほど心強いことはねえ。
>源:お前ぇが当てにしてるのは、俺じゃなくって、俺の懐(ふところ)具合いだろう?
>八:へい。まったくその通りで。
>源:・・・この野郎。ご愛嬌(あいきょう)でも、「そんなことありません」くらいのことを言うもんだ。
>八:こりゃあ失礼いたしました。・・・あ、そうだ。親方はまだお花ちゃんと一遍(いっぺん)も会っちゃいねえですよね? 折角だから、とっくりと見といて貰いたいですねえ。

そういう魂胆(こんたん)である。あわよくば、源五郎に仲立ちを頼めるかも知れない。
今日は巧く立ち回って、そういう風に持っていきたいところである。

昼時に、お咲がやってきて、「五六ちゃん、生まれたの?」と聞いてきた。
「へい、男の子でやした」という五六蔵の返事を聞くなり、お咲は「だるま」の亭主と、六之進に伝えるべく、駆け出した。
(よし、これで今夜も「だるま」へ行く口実ができる。・・・父上は、二日酔いが酷(ひど)くて、今夜は行かないだろう。) そんなことを考えて、にんまりしていた。

>五六:熊兄い、お咲ちゃん、どうかしちまったんですかい?
>熊:大方、「だるま」の親爺に「ちゃんと鰹を仕入れといてね」とでも言いにいったんだろうよ。現金な小娘だぜ、まったく。
>五六:でも、気にして呉れただけでも、なんだか嬉しいですよ。
>熊:「名前はどうするの?」くらいのことが言えねえのかね。下心(したごころ)が丸見えじゃねえか。
>五六:そんなこと、どっちだって良いんですよ。あっしは、稚児が生まれたってことを知って貰うだけで嬉しいんですから。
>熊:そんなもんかね。
>四:それで、兄貴。稚児の名前はなんていうのにするんですか?
>五六:さあな。藺平父つぁんが決めて呉れるだろ。お三千が良いというならそれで良い。
>四:強そうな名前になるでしょうね、きっと。うちのと、良い釣り合いになりそうだ。
>五六:お前ぇんとこのはなんて付けて貰ったんだって?
>四:「元吉」ってんです。元気そうな名前でしょう? およねも気に入って呉れました。
>五六:そいつは良かった。・・・うちのは、まあ藺平父つぁんのことだから、畳職に関係ありそうなもんでも付けるんだろうよ。
>四:でも、大工にさせるつもりじゃないんですか?
>五六:今から決めてても仕方がねえだろう。でかく育ってから自分で決めさせりゃ良い。選べるのが2つもありゃ、立派なもんじゃねえか、なあ?
>四:確かにね。おいらたちは、百姓しか選ばせて貰えなかったんですもんね。

日が西に傾(かたむ)くほどに、「だるま」の亭主は焦(あせ)りを募(つの)らせていた。
鰹がないのである。出入りの棒手振(ぼてふ)りも、市場も、海鮮問屋に至るまで、首を横に振るばかりだった。
一様に口を揃(そろ)えて「買い占められた」と答えた。

>亭:こりゃあ、いよいよやばいぞ。五六蔵の野郎のこったから、「四郎に出せて俺に出せねえのはどういうこった」とかと言って、暴れ出さないとも限らない。・・・それに、折角(せっかく)の好い鴨だってのに、儲(もう)けられねえじゃないか。勿体ねえ勿体ねえ。

どちらかというと、儲けの方が優先であるらしい。
しかし、どこをどう回ってみても鰹の「か」の字も見付け出せず、足が棒になるほど歩いた末に、這(ほ)う這うの体(てい)で戻ってきた。
何も出さない訳にもいかないということで、再度回ってきた棒手振りから活(い)きの良さそうな蛸(たこ)を買った。

夕方早い刻限に、源五郎を含めた8人がどやどやと「だるま」に入ってきた。序(つい)でに、お咲も現われ、急に火が灯(とも)ったように騒がしくなった。
亭主は源五郎を見て、「ちっ、親方まで連れてきちまったのか」と舌打ちした。
そういうことになるのを察してか、お花も早めにやってきていた。

>八:お花ちゃん。このお方がおいらたちの親方だ。宜(よろ)しく頼むぜ。
>花:まあ。始めまして、お花と申します。八兵衛さんたちには特別に良くして貰ってまして、助かってます。
>源:今日は大人数になっちまって済まねえな。こっちはこっちで適当にやるから、ほかの客たちの方に専念して貰って良いからな。
>花:どうも、お心遣い有難う御座います。・・・お話で伺(うかが)っていた通り。
>源:そりゃあ、どっちの方ってことだい?
>花:良い方ですよ、勿論。ちょっと見は怖そうだけど、心根は飛び切りだって。
>八:そりゃあ、おいらたちの親方だもんよ。当たり前だろ? そんでもって、その一番弟子の八兵衛さんの心根も飛びっ切りだ。そうだろ?
>花:はいはい、そういうことにしときます。・・・それじゃあ親方、ゆっくりしてってくださいまし。

お花が奥へ向かいながら、今日のお勧めは何かと尋ねると、亭主は渋々「蛸だ」と答えた。

>八:親爺、なんだと? 蛸だと? 鰹じゃねえのかよ。蛸なんざ間に合ってるぞ。そんなもん堺屋の徹右衛門で十分だ。
>咲:その名前は出さないでったら。
>熊:八、まあそうかっかするなよ。怒ったって鰹が出てくる訳でもねえだろ? それに、見ろよ、お花ちゃんが困ってんだろ。
>八:え? ああそうか。そうだな。まあ、今夜は鰹は諦(あきら)めるとするか。
>三:もう諦めちゃうんですか?
>咲:あたしは嫌(や)だ。鰹じゃなきゃ駄目。
>八:まあそう言うなって。な? 蛸も捨てたもんじゃねえぞ。
>咲:蛸も徹右衛門も嫌あ。顔も見たくない。
>八:そうなのか? うん、そうだよな。誰が見たって、徹右衛門よりは熊の方が増しだもんな。
>熊:そ、そ、そんなこと言ってる場合じゃねえだろう。食いもんの話だ。五六蔵の倅(せがれ)の祝いに、贅沢なもんを食いてえんだろう?
>八:そうだよ。蛸じゃいつもと変わらねえ。もっとなんだ、滅多(めった)に口にすることができねえもんだよな。そんでもって、親方の口に合いそうなもんだよな?
>源:俺は別になんだって構わねえぞ。・・・そんなことより、直ぐに出てきそうなもんと銚子を頼んじゃどうだ?
>八:そ、そ、その通りぃ。・・・えーと、お花ちゃん、取り敢えず、昨夜(ゆうべ)の残りもんと銚子5、6本出して貰えねえか?
>花:はい、分かりました。

>熊:八よ。なんだか今日のお前ぇは変だぜ。
>八:何が変だってんだ? 別に変わりゃしねえぞ。
>熊:ころころと態度を変えやがってよ。見苦しいったらねえぞ。
>八:そんなこと言うけどよ、こっちにはこっちの事情ってもんもあるんだよな。なあ、そうだろ? 親方に気持ち良く飲んで貰わなきゃならねえしよ。四郎と差を付けられちゃ五六蔵が可哀想だしよ。お咲坊を怒らしたらお前ぇに申し訳ねえしよ。ここの親爺と険悪になってもしようがねえしよ。・・・まあ色々と気を遣(つか)ってる訳さ。
>熊:お前ぇがか? 嘘を吐(つ)け。何か魂胆があるに違いねえ。
>八:そ、そ、そ、そんなことはねえさ。ははは・・・
>熊:まったく分かり易い奴だな、お前ぇってやつは。

八兵衛以外の全員が、一斉(いっせい)にお花の方へ顔を向けた。

(第26章の完・つづく
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