53.【い】 『鰯(いわし)の頭(あたま)も信心(しんじん)から』 (2000/11/20)
『鰯の頭も信心から』
鰯の頭のように詰まらないものでも、それを信仰する人には尊く思われるということから、信仰心は不思議な力を持つものだということ。また、頑迷に信じ込んでいる人を揶揄(やゆ)して言う。
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鴨太郎は明後日までになんとかすると約束して帰っていった。
いつになく上機嫌のように見えたと二助は言ったが、熊五郎には空元気(からげんき)か取り繕(つくろ)いのように思えて仕方がなかった。
お夏は決まりの刻限(5つ半)に帰ってしまっていたので、お夏の印象は聞けなかったが、終始(しじゅう)不機嫌そうに鴨太郎に接していたことだけは事実だった。
熊五郎は、竹馬の友の胸中が幾らか分かるようで、すこし切なく感じていた。

>熊:なあお咲坊、お夏坊と鴨太郎ってどうなってると思う?
>咲:どうって聞かれても巧(うま)くは言えないんだけど、込み入っていそうね。
>熊:おいらには、鴨太郎の方からこんがらからしてるみたいに思えるんだがな。
>咲:そうかもね。なんだか自分の気持ちをどこかに押し込めちゃってるみたい。
>熊:それが相手のことを思い遣るとこから始まってるから質(たち)が悪いんだよな。
>咲:時が掛かるわね。
>八:何に時が掛かるって? 痺(しび)れ薬が効き始めるまでか?
>熊:ああそうだ、その通りだよ。
>八:そうか、それはちと厄介(やっかい)なことだな。
>熊:何が厄介なもんか。ほんの四半刻(しはんとき=約30分)待てば済むことだろう? まったくお前ぇって奴は・・・
>八:関わっちまった以上、どんな些細なことも解決して置かねえとな。おいらって完璧主義なのさ。
>熊:薬の効き方より、もっと片付けとかなきゃならねえことがあるってのにな。
>八:そいつはいけねえな。おいらがなんとかしてやるから言ってみな。どんなことなんだ?
>熊:お前ぇにゃ解決できねえことだ。暫(しばら)く考えさせといて呉れ。
>八:そうか? お前ぇがそう言うんだったら任(まか)しといてやっても良いがよ。ちゃあんと決まりを付けろよ。何しろおいらは完璧を目指してるんだからな。

2日後の夜に集まって、できればその翌晩に実行しようということで、そこをお開きにした。
八兵衛は、熊五郎たちの悩みを余所(よそ)に「明日もお夏ちゃんに会いに行こうな」と、浮き浮きした調子で前を歩いていた。
鴨太郎とお夏本人同士のことだと分かってはいるのだが、熊五郎は幼馴染みとして、お咲は親友として、考えずにはいられないことだった。
翌朝、八兵衛が威勢良く障子戸を引き開けた頃は、やっとうとうとし始めたかなというところだった。

>八:今日も暑くなるぞ。さあ、ばりばり働いて美味い酒を飲みに行くぞーっ。

こんな朝が2回続いた。
約束の晩、鴨太郎が薬を持ってやってきた。

>鴨:今夜はこれから用があるんだ、明日の晩現地でってことで良いかい?
>熊:三吉の調べだと、明日は遅めのご出勤の日らしいから丁度良いだろう。なあ?
>三:へい。明日は新月の晩ですからそんな日は表へ出てもしょうがないんでしょうね。
>鴨:あんまり早い時間じゃ拙(まず)いだろうから4つ(22時)の頃でどうだ?
>熊:お咲坊とお夏坊には遅いかもな。
>鴨:そうだな。そんときゃ2人を抜きでってことにしようぜ。その方がこっちも安心だしな。
>八:おいおいそれじゃあ、まるで邪魔者みてえじゃねえか。
>鴨:元々こんなことに8人は多過ぎるんだよ。6人いりゃあ十分だ。それじゃあな。確かに渡したからな。

鴨太郎が行ってしまってから暫くしてお咲と二助、更に遅れてお夏が揃(そろ)った。

>二:なんでえ、鴨さんはもう帰っちまったのかい。つまらねえな。
>熊:お役目じゃあしょうがねえだろう。それに、今日の内に用が済みゃあ明日は体が空くだろうしな。
>二:手筈(てはず)は大丈夫だろうな。
>熊:なあに、あっちはその道のもんだ。どうとでも対応できるさ。それよりも心配なのはど素人(しろうと)のおいらたちの方だろう。
>八:1つの落ち度だって許さねえからな。おいら完璧な仕事をしてえんだ。
>二:お前ぇが一番危なっかしいんじゃねえか。
>八:何言ってやがる。おいらな、ちゃあんと願も掛けてるんだぜ。
>熊:へえ、そいつは初耳だ。
>八:お前ぇが遅くまで寝てるから気が付いてねえだけだ。ちゃんと早くに起きてやってんだよ。
>二:何してやがるってんだ?
>八:茶柱(ちゃばしら)が立つまで茶を飲むんだ。
>二:茶柱だぁ?

>熊:なあ、八よ。茶柱ってのはだな、滅多(めった)に立たねえから有り難(ありがて)えのと違うのか?
>八:そうか? おいらなんかもう19本も集めてるぞ。
>熊:集めてどうする。注いだ後から入れるのか? 急須から出るから有り難えんじゃねえか。
>八:そんなのどっちでも良いじゃねえか。問題は巧く立つかどうかと違うのか?
>熊:なんか大元から違うようだがな。
>八:なんてったって、母ちゃんに言って棒茶を買ってきて貰ってよ、安いし、巧く立つのが出るまでだいたい1日6杯は飲むな。今朝なんか1寸もあろうかってのが出てよ、こいつが見事に真っ直ぐに立ちやがってよ。早速(さっそく)神棚に上げてきてるんだ。どうだい? なんなら1本ずつ譲(ゆず)ってやっても良いぞ。
>二:止せやい。他人が飲んだ茶のやつなんか誰が欲しがるかよ。
>八:そうか? まあ良いや。あと1本で20本になるから明日の朝また早起きして出してみるかな。
>熊:それで、肝心のご利益(りやく)は何かあったんだろうな?
>八:そりゃあもう、ここ何日かはお夏ちゃんから「八兵衛さあん」って呼ばれる回数が随分多いじゃねえか、お前ぇ気が付かなかったか?
>熊:そんなこと気が付くかよ。・・・それにしても程度の低いご利益だねえ。
>八:ご利益は無駄遣いしねえで取っとくの。そんで、明日みてえな時に纏(まと)めて使うのよ。
>熊:そんなんで良いのか?
>八:完璧よ。おいらに付いてくりゃあ大成功間違いなし。蛸の野郎だって墨を吐く前にきゅうっと失神しちまうに決まってる。
>二:ほんと、簡単な奴だねえ。
>咲:ほんと。肖(あやか)りたいくらい。
>八:なんなら、お咲坊にだけは分けてやっても良いぜ。
>咲:そういう意味じゃないの。

用意するものは熊五郎たち4人が揃えることにした。
九八屋の女中を丸め込むのは鴨太郎にさせれば良いし、女中が嫌がったらそのときはお夏かお咲が俄(にわ)か女中をすれば良いということになった。
指揮は四郎が執るということで手筈は整った。

>熊:お咲坊、お夏坊。4つからってことだけど、どうする?
>咲:お父上には八つぁん熊さんだけじゃなく二助さんも一緒だからって言えば平気。
>八:なんだそりゃ。そんなに信用されてねえの?
>夏:父上は直ぐ寝付いちゃうから、あたしは後から追い掛けるわ。
>八:夜道を独りで大丈夫かい?
>夏:平気よ、こう見えても少しは武術も嗜(たしな)んでいるのよ。
>八:だけどなあ。・・・お守りにおいらの茶柱を1つ持っとくかい?
>夏:要(い)らない。
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