343.【と】 『年寄(としよ)りの冷(ひ)や水(みず)』 (2007.01.03)
『年寄りの冷や水』
老人が冷水を浴びるという意味で、老人に不相応な危険な行為や、差し出た言動をすることの喩え。また、それを冷やかして言う言葉。
類:●老いの木登り●年寄りの力自慢●ずくなしの冷や水
★「冷や水売り」(江戸では、大川=隅田川の水)の水を買って飲むこと、つまり、抵抗力の弱った年寄りが生水を飲むと腹を壊すことから出た言葉とする説もある。・・・「冷水を浴びる」という語源説より、こちらの方が、有力のように思う。
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八兵衛たちが武兵衛のところに働きに出てから、かれこれ半年が過ぎようとしていた。
もうすっかり冬である。

源五郎は、時折り上の空になって、「まったくなあ・・・」と口走るようになっている。
かと思うと、苛立(いらだ)たしそうに熊五郎に用を言い付けることもある。

>源:まったくなあ、今何月だと思ってやがるんだ? もう冬だぞ、冬。・・・やい熊。
>熊:へ、へい。なんでしょう?
>源:「なんでしょう」じゃねえ。もう冬だぞって言ってるんだ。
>熊:そうですね。家(うち)も先だって、柚子(ゆず)湯なんてものを立てましたよ。
>源:なにを悠長なこと言ってやがるかね。梅雨(つゆ)から半年も経ってるってんだ。
>熊:へい。月日の過ぎるのは早ぇもんですねえ。
>源:まったく、それが悠長だってんだ。お前ぇ、八のことが気にならねえのか?
>熊:そりゃ気になりますよ。粗相(そそう)してねえかとか、爺さんと喧嘩してねえだろうなとか。
>源:そういうことじゃねえだろう。「いつ帰ってくるか」だろう?
>熊:まあ、そりゃあ、そう遠くねえ内に・・・
>源:半年経(た)ってるんだぞ。「その内」も何もねえもんだ。
>熊:はあ・・・
>源:「はあ」じゃねえ。お前ぇ、疾(と)っとと爺さんのとこへ掛け合いに行こうって気は起きねえのか?
>熊:だって、片が付けば返して呉れるんでしょう?
>源:そりゃそうだが、三月(みつき)待っても半年待ってもなんの音沙汰もねえってのはどういうこった?
>熊:真逆(まさか)全部建て直してるて訳じゃあるまいし、その内戻ってきますって。
>源:「その内」っていつだよ。
>熊:そんなの、直(じか)に聞きに行ってみりゃ良いじゃないですか。
>源:俺がか? 俺が出る筋合いじゃねえだろう。
>熊:おいらが出る筋合いでもないと思うんですけど。

棟梁の源蔵が決めてきたことなので、熊五郎の出る幕ではないのは、当然のことである。
それは、源五郎にしても同じことであり、だからこそもどかしいのであろう。

>五六:あの、あっしが行ってきやしょうか?
>源:そ、そうか、五六蔵。行って呉れるか?
>五六:へい。お安い御用で。
>熊:安請け合いなんかするなよ。
>源:良いんだよ、そんなこと。こんなとこでもぞもぞしてるっくらいなら、行っちまった方が良いに決まってら。
>熊:そうですか?
>源:そういうもんだろ? 案ずるより生むが易しだろ?
>熊:そいつは、ちゃんと役目を果たしたときに言うもんです。
>源:良いって良いって。そんときゃ、四郎か万吉・千吉に行って貰うからよ。
>熊:万吉と千吉は止(よ)してくださいよ。木乃伊取りが木乃伊になっちまう。
>源:そうか? まあ、それもそうだな。
>四:おいらなら大丈夫ってことですか?
>源:溺れる者は藁をも掴むってことだな。
>四:そいつはあんまりですよ、親方ぁ。

昼時分に五六蔵が武兵衛爺さんの地所を訪れてみると、八兵衛と三吉が寒そうに背中を丸めて座っていた。
吐く息もまだ白く、貧相な仕事着が、寒々しさを益々引き立てている。

>五六:どうしたんですか、八兄い? なにも日陰で震えてることはねえでしょう?
>八:おお。五六蔵、助けに来て呉れたか?
>五六:助けにって。そんなに苛(いじ)められてるんですかい?
>八:そうよ。飯は自分で持って来いってえし、夕飯は出して呉れねえしよ。
>五六:そいつは当たり前なんでやすけど。
>八:そうか? そんじゃ、こんなとこはどうだ? 朝が早くって夕方が遅い。酷(ひで)えだろ?
>五六:遅いって、6つ(=18時頃)より遅いんですかい?
>八:そりゃ、いくらなんでも6つまでなんか働きゃしねえよ。
>五六:それなら、なんてことはねえじゃないですか。近頃の親方なんか、5つ半(=19時頃)頃までこき使いますぜ。
>八:うへえ、そりゃ凄(すげ)ぇな。どうしちまったんだ?
>五六:どうしたもこうしたもありませんぜ。八兄いたちがいつまで経っても帰ってこねえんで気が立ってるみてえなんですよ。
>八:そうか? そんなら丁度良いや。今すぐにでも帰らして呉れよ。
>五六:そんなに辛(つら)いんですかい?
>八:そりゃ、口で言えねえくらい辛いさ。・・・だからよ、早く帰らして呉れよ。
>五六:そんななのか、三吉?
>三:そうでもありませんよ、五六蔵兄貴。・・・なんだか、武兵衛爺さんは風邪を拗(こじ)らせちまったらしくって、ここ5日は会ってません。大丈夫なんでしょうかねえ?
>八:案外、知らない内におっ死(ち)んじまってたりしてな。
>五六:止(よ)してくださいよ、縁起でもねえ。・・・まあ、折角(せっかく)来たんですから、ご挨拶(あいさつ)してきますわ。
>八:なあ、親方から差し入れとかはねえのか?
>五六:ありやせん。

五六蔵が武兵衛の元を訪れると、分厚いi袍(どてら)を着込んだ武兵衛が奥から現れた。

>五六:大丈夫なんですかい?
>武:なんだと? まだまだ若いもんなんかにゃ負けてられるかってんだ。
>五六:でも、5日間も表に出てねえってこって。
>武:まあな。俺もちょいとばかし焼きが回ったもんだな。
>五六:そうですぜ、いつまでも若い訳じゃねえんですからね。
>武:そういうことを言ってるんじゃねえんだよな。
>五六:へ? そうなんですかい?
>武:まあ、恥ずかしい話だがよ、この間、雨が降っただろ?
>五六:へい。北風が吹いて、冷たい雨でした。
>武:その雨でよ、髪を洗っちまったんだよな。
>五六:嘘でしょう? あんな日に表に居るなんてのこそ自害もどきですぜ。
>武:なあに、内藤様の家まで走って帰ってきてからだから、身体が火照(ほて)って丁度良いくらいだったぜ。はは。

>五六:そいつは凄え。武兵衛さんはおいらたちよりよっぽど元気ですぜ。
>武:そうか? 2日置きにやってるけどな。
>五六:そりゃあ、腐りかけの魚を食うとか、黴(かび)の生えた蜜柑(みかん)を丸呑みするとかと同じくらい危ねえことなんじゃねえんですかい?
>武:どこがだ? そんなこと日常茶飯事じゃねえか。
>五六:そんなことやってるんですかい? そりゃ、普通の爺さんだったら、30回くらい死んでますぜ。
>武:そりゃあ、俺と違って相当な老いぼれなのさ。
>五六:言っちゃぁなんですが、武兵衛さんも相当ですぜ。
>武:何を言うか。俺はまだ80を過ぎたばっかりだ。青二才みてえなもんじゃねえか。
>五六:80を過ぎた爺さんが雨ん中で髪を洗ったりはしません。
>武:そうか? 俺はそうは思わんがなぁ。
>五六:現に、風邪を引いてるじゃねえですか。大概にしてくださいよ。
>武:まあ、風邪を引いちまったのは事実だからな、今度ばっかりは若いもんの言い分に従ってやるかね。


まったく食えない爺いである。
まあ、少しは気弱になっているうちに、八兵衛たちの解放を持ち出しておくべきである。

>五六:ねえ、武兵衛さん。そろそろ八兄いたちの仕事も片付いたんじゃねえんですかい?
>武:まだに決まってんじゃねえか。あと4つも残ってるって。
>五六:それはそれで、後からでも良いことなんじゃねえんですかい?
>武:何を言いてえんだ?
>五六:無理に引き止めてるんじゃねえかってことですよ。
>武:うーん。そういう気持ちはねえんだがよ、気が付いてみりゃ、確かに半年になっちまうな。
>五六:そうでしょう?
>武:俺が思ったより、あの八太郎って野郎はしぶといな。
>五六:あの、「八兵衛」なんですが。
>武:そんなこたぁ分かってら。・・・だからよ、のらくら者だってのか、唯(ただ)の食いしん坊だってのか、俺にも掴めねえ。変な野郎だ。
>五六:そこが良いんじゃねえですか。
>武:そういうことなのかも知れねえな。

>五六:そうですって。・・・だから、そろそろ返しちゃぁいただけませんか?
>武:良いよ。
>五六:へ? 良いんですかい?
>武:良いともよ。だってよ、俺の教えることはもう済んだからよ。
>五六:済んだんですかい? いったい・・・
>武:細かいことは源蔵と話しとくよ。あと、源五郎とも話しといてやるか。跳ねっ返りだからな、野郎も。
>五六:はあ・・・
>武:明後日(あさって)っからもう来なくて良いぞ。丁度そんなとこで終わるだろうからよ。
>五六:そうですかい。そりゃぁ、良い土産話になりやす。
>武:子供の使いにする訳にゃいかねえからな、五六助どんをよ。
>五六:あの、「五六蔵」なんですが。
>武:そんなのどっちだって良いじゃねえか。な。 ・・・次はお前ぇが来い。
>五六:なんですって?
>武:入れ替わりだ。へっへっへ。
>五六:そりゃあねえですよ。
>武:なんだ? それじゃあ、今日の話はご破算にするかい?

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