298.【ち】 『血(ち)で血(ち)を洗(あら)う』 (2005.08.22)
『血で血を洗う』[=血を以って血を濯う]
1.血で血を洗うと益々血で汚れるところから、悪事に悪事をもって対処すること。特に、殺傷(さっしょう)に対して殺傷で報復すること。
2.血族や同胞同士が相争うこと。
 類:●骨肉相食む骨肉の争い
出典:「新唐書−源休伝」「今又殺爾、猶以血濯血。徒益[さんずい+于]」
出典:新唐書(しんとうじょ) 中国の正史。225巻。宋の欧陽脩・宗祁らの奉勅撰。1060年完成。旧唐書を改修補正したもの。「唐書」。参考:中国の正史「唐書」には「旧唐書」「新唐書」の二種があり、共に二十四史の一つで、普通は「新唐書」を指す。
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午之助(うまのすけ)の話によると、お町に婚姻(こんいん)を申し込んだ男は、名を「秀(ひで)」といった。飾り職人だという。
元締めの相馬(そうま)屋が一方的に話した内容では、秀は飲み仲間の「竜(りゅう)」という男と、殴(なぐ)り合いの喧嘩(けんか)までして、申し込む順番を決めたのだという。
午之助がもっと詳(くわ)しく聞こうとしても、耳が遠いせいで殆(ほとん)ど聞き取れず、頓珍漢(とんちんかん)な返事しか寄越(よこ)さなかったのだという。

>八:へえ。そんなことがあったんですか。そりゃあ、三吉も大変ですねえ。あ〜あ大変だ〜っと来たもんだ。
>源:お前ぇ、ほんとに心配してるのか? なんだか心ここにあらずって感じだぞ。
>八:え? あ、ああ、そうですよね。どうも、西瓜(すいか)のことが気になっちまいまして。・・・もう冷えましたかね?
>源:まったく。仕様のねえ野郎だな。さっき冷やし始めたばっかりじゃねえか。
>熊:お前ぇなあ。食うことばっかり考えてねえで、ちっとは手を動かしたらどうなんだ?
>八:まあ、そう堅(かた)いこと言うなって。今日は姐(あね)さんの荷物持ちをしてきたんだからよ。もうちっと休まして呉れよ。
>熊:荷物持ちってったって西瓜を運んだだけだろう? それも、自分らで食う分だけだぞ。
>八:それだって立派な荷物持ちだぞ。ああ疲れた。ああー、喉(のど)が渇(かわ)いた。
>源:井戸の水でも飲んで来い。
>八:親方ぁ、そういう訳にはいかないんですよね。今、水なんか飲んじまったら、折角(せっかく)の西瓜が台無しになっちまうじゃありませんか。五臓六腑の奥までからっからに乾かしとかないとね。
>源:そうしてえんだったら、材木の2・3本担(かつ)いで2回りくらい回って来い。

>八:な、何もそうまでして喉を乾かすこともねえんですよ、親方。こうやって、じっと立ってるだけだって十分に乾きまさ。何しろ、この暑さですからね。お天道(てんと)様の野郎、これでもかってくらいに照り付けやがる。
>熊:お天道様に向かって「野郎」なんか付けるなってんだ。
>源:まったく、何を抜かしてやがるんだか。・・・八、お前ぇ、さっきから見てりゃずうっと日陰にいるじゃねえか。
>八:だって暑いんですもん。こんなとこで働いてたら暑さ負けでぶっ倒れちまいますよ。
>源:そう「暑い暑い」って言うなってんだ。こっちまで暑くなってきちまったじゃねえか。
>八:そうでしょ? さ、そんじゃ、休みにしますか?
>源:お前ぇが決めるなってんだ。
>八:だって親方、家(うち)じゃ、お花の奴が変な具合いでしょう? これでおいらが倒れちまったら、腰の悪い婆(ばば)ぁは誰が面倒を見たら良いってんです?
>源:分かった分かった。お前ぇの屁理屈を聞いてると益々疲れちまう。・・・おーい、五六蔵。休みにしろ。
>熊:誰の腰が悪いって? 布団(ふとん)を2つ担(かつ)げるくらいぴんぴんしてるじゃねえか。
>八:良いの良いの。お陰で休みが取れるんじゃねえか。な? 「嘘も方便」って言うだろ?
>熊:こういうのは方便じゃなくって、「誑(たぶら)かし」って言うの。

まだ巳(み)の刻(=10時ころ)を過ぎたばかりだというのに、五六蔵と四郎はもう赤い顔をしていて、金時の火事見舞いのようだった。
三吉は、自分から言っただけのこともあり、殆(ほとん)ど日頃と変わっていない。

>八:三吉、お前ぇ、暑くねえのか? 1人だけ顔色が良いぞ。
>三:暑いに決まってるじゃないですか。人よりちょっとだけ増しだってだけですよ。
>八:そうか? ちっとも汗を掻(か)いた風(ふう)じゃねえしな。お前ぇ、ほんとにおいらたちとおんなじ血が流れてるのか?
>三:当たり前じゃないですか。人を化け物みたいに言わないでくださいよ。
>八:どうれ。そこにある錐(きり)で刺してみるか?
>三:よ、止(よ)してくださいよ。
>八:ちょこっとだけだって。蚊が刺したほどのもんだぞ。
>三:おいら、血を見るのが駄目なんですよ。そう言いませんでしたっけ?
>八:なんだと? そんじゃ、誰かと喧嘩とかになったらどうするんだ?
>三:逃げます。
>八:逃げちまうのか?
>三:だって、自分が血を流すのも嫌だし、相手が怪我(けが)してるのを見ると、気を失っちまうかも知れないんですよ。
>八:するってえと何か? お前ぇは、西瓜の真っ赤なのを見るのも駄目ってことだな?
>三:違いますって。西瓜は西瓜じゃありませんか。
>八:ちぇっ。余計に食えるかと思ったのによ。

>熊:それはそうと、三吉。お前ぇ、お町(まっ)ちゃんを嫁に貰いてえって言ってきた奴の話は聞いたか?
>三:いえ。・・・で、どこのどいつなんで?
>熊:飾り職の秀とかいう奴らしいんだが、「だるま」で会ったことはねえか?
>三:さぁて、聞いたことのねえ名ですね。
>熊:そんじゃ、竜って奴はどうだ?
>三:市毛道場の竜之介さんじゃねえですよね?
>八:そんな訳があるかっての。若先生には聡(さと)さんって、お侠(きゃん)なお内儀(かみ)がいるだろ?
>三:そうですよね。若先生の訳はねえですよね。・・・それで? なんで2人も名が出てくるんですか?
>八:揃いも揃ってお町ちゃんに熱を上げて、殴り合いの果てに申し込む順を決めたってんだから、こりゃ、相当なもんだぞ。
>三:殴り合い、ですか?
>八:お前ぇがそこに混ざるとなると、2人を相手に喧嘩しなくちゃならねえんじゃねえのか?
>三:よ、止してくださいよ。さっき話したばっかりじゃないですか。血を見るとぶっ倒れちまうかも知れないって。
>八:でも、喧嘩しねえと、そいつらも引き下がらねえんじゃねえのか?
>三:話して分かって呉れませんかね?
>八:そりゃあ、無理に決まってるだろうよ。
>熊:そんなの、決まってねえって。
>八:馬鹿言ってんじゃねえよ。秀とか竜とかって名は、荒くれもんに付く名だって相場は決まってんだろ。
>熊:だから、決まってねえって言ってんだろ。そりゃ、お前ぇの勝手な思い込みだってんだ。

八兵衛は、どうしても三吉が血を見て気を失うところを見てみたいらしい。
こうなると、次は、その秀と竜の2人を探し出そうぜという話になる。

>八:なあ。相馬屋の爺さんとこへ行って、どこのどいつだか聞いてくるってのはどうだ?
>熊:止せったら。何も事を荒立てなくても良いだろう。
>八:でも、面(つら)を拝(おが)んでみてえじゃねえか。
>熊:おいらは見なくても良いぞ。どうせ、厄介(やっかい)な話になるに決まってる。
>三:あの。おいらは、会ってみたいと思います。
>熊:なんだと? いきなり殴られるかも知れねえんだぞ。
>三:それはそれで仕方ないんじゃないかと思います。おいらだって、お町ちゃんに惚(ほ)れてる訳ですから。
>八:ほう。こいつ、抜け抜けと言いやがったぞ。
>三:いけませんか?
>八:い、いけなかねえよ。・・・そういうことになったらよ、お前ぇのぶっ倒れるとこが見られるからよ。木戸銭(きどせん)を払ってでも見てえさ。
>熊:酷(ひで)え奴だね、お前ぇは。
>八:おいらのどこが酷えってんだよ。もしほんとにぶっ倒れたら、負(お)ぶって帰ってやろうってのによ。
>三:ほんとですね? そんときはお願いします。罷(まか)り間違って、おいらが死んじまうようなことになったら、線香の1本でも揚(あ)げてください。

>八:おいおい。あんまり辛気臭(しんきくせ)え話にするなよな。
>三:だって、2人掛かりだったら、おいらなんか一ころでしょう? ・・・短い間でしたが、お世話になりました。
>八:もう死んじまったって話かよ。そうかそうか。分かったよ。お前ぇの仇(かたき)は五六蔵と四郎で取って呉れるからな。
>五六:八兄いじゃねえんですかい?
>八:なんでおいらが痛い思いをしなきゃならねえんだ?
>四:弟弟子(おとうとでし)のためでしょう?
>八:そりゃそうだが、あっちの2人の親方みてえなのが出てきたら、次に死ぬのはおいらってことになっちまうじゃねえか。嫌だよそんなの。
>四:そんなの誰だって嫌ですよ。
>八:お前ぇまでそんなこと言ってたら、死んだ三吉が浮かばれねえだろう?
>熊:止せったら。三吉はまだ死んじゃいねえってんだ。
>三:もう死んだようなもんです。お町ちゃんと一緒になれない上に、八兄いから見放(みはな)されちゃ、生きてても仕方ありません。
>熊:誰も見捨てやしねえって。・・・なあ、八?
>八:大丈夫だ。お前ぇがいなくなった後は、お町ちゃんの面倒はおいらとお花とで見てやるからよ。
>熊:こいつ、まだ言ってやがる。好い加減にしろ。・・・親方もなんとか言ってやってくださいよ。
>源:まあ、夕方家に帰って、あやの奴から話を聞いてみてからってことにしようじゃねえか。なあ?

源五郎は、少なくとも午之助が何を望んでいるかということくらいは分かるだろうと、高を括(くく)っていた。
そうすれば、秀にも、竜という者にも、会わないで済むのだろうから。
職人同士が、娘一人のことで殴るの殺すのなど、それこそやってはいけないことである。
元締めとて、職人を束(たば)ねるという役柄上、そんな危うい話は持ってきはしないだろうと踏んでのことでもある。
つづく)−−−≪HOME