296.【ち】 『池魚(ちぎょ)の災(わざわ)い』 (2005.08.08)
『池魚の災い』[=殃い・災(さい)・憂(うれ)い]
思い掛けない災難に巻き込まれること。巻き添えになること。特に、火事で類焼に遭うこと。また、火事のこと。
類:●巻き添えを食う側杖を食う
故事:呂氏春秋−孝行覧・必己」 春秋時代、宋の桓タイ[鬼+隹]が出奔(しゅっぽん)するとき、宝珠を池に投げ入れた。これを得ようと池を浚(さら)ったが珠は見付からず、魚がその災いを蒙(こうむ)って全て死んでしまった。
★一説には、城門が焼けたとき、池の水を使ったために池の魚が死んだとし、その意味で引用されることが多い。

出典:呂氏春秋(りょししゅんじゅう) 中国の雑家書。26巻。秦の呂不韋(りょふい)が賓客を集めて編録させたものと伝える。先秦諸家の思想を集大成したもので、四季の循環と万物の変化、人事の治乱・興亡・吉凶などの関係を説いた十二紀と、儒・道・法家などの思想を集めた八覧六論からなる。「呂覧(りょらん)」とも。
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熊五郎がお咲に、「三吉たちと花火を見に行けなんて言っているがどうする」と尋(たず)ねると、「行きたーい」と言う。
花火の日は、明後日(あさって)である。

>熊:遊びに行く訳じゃねえんだぞ。三吉のためだからな。
>咲:一回の花火くらいで男と女がくっ付くんだったら、世の中に仲人(なこうど)なんか要(い)らなくなっちゃうじゃない。放(ほ)っとけば良いの。
>熊:言うねえ、お前ぇも。
>咲:お町(まっ)ちゃんだって、三ちゃんの気持ちくらい分かってるわよ。ちょっとは、憎からず思ってるようよ。
>熊:そうか? 見込みありなのか?
>咲:それは分かんないけどね。
>熊:まあな。あれだけの器量(きりょう)だしな。あちこちで声も掛けられるだろうし。
>咲:「だるま」の飲んだくれどもは目じゃないのよ。要(よう)は、お嫁さんになる気があるかどうかってこと。
>熊:そんな気が更々ないってのか?
>咲:今んとこね。でも・・・
>熊:なんだ?
>咲:あたしが熊さんの女房になるでしょう? ちょっとは考え方も変わるかも。それに・・・
>熊:それに、なんだ?
>咲:言っちゃって良いのかな? ・・・あのね、お花さんに稚児(やや)ができたらしいのよね。
>熊:やっぱりか?
>咲:なんで知ってるの?
>熊:いや、そうじゃねえんだ。八の母(かあ)ちゃんが、近頃「孫の顔が見たいねえ」って言わなくなったっていうから、もしかするとって思っただけだ。
>咲:八つぁんは気が付いてないの?
>熊:全然だ。あいつの鈍(にぶ)さは天下一品だからな。

熊五郎邸の修繕も、花火の日までにはあらかた片が付いた。
八兵衛とは毎晩飲んでいるが、特に剥(むく)れているという様子はなさそうである。
三吉がお町を伴(ともな)って熊五郎の長屋に現れたときには、「手なんか握ったりするんじゃねえぞ」などと軽口(かるくち)を叩いたりした。

>三:そ、そんなことできますかって。
>八:お前ぇなあ。まったくなんにも分かっちゃいねえんだな。「足元が悪いようだから」とかなんとか言って然(さ)り気(げ)な手を取っちまえってことだよ。
>三:そ、そんなこと、ご当人が聞いてるとこではっきり言うもんじゃないじゃないですか。
>八:あ、そっか。こいつは迂闊(うかつ)だったな。・・・なあ、お町ちゃん。三吉からそういう風に言われたら、熊に手を取って貰うから良いって答えるんだぞ。
>町:大丈夫よ。あたし、こう見えても結構お転婆なんだから。泥濘(ぬかる)んでいようが暗かろうが、独(ひと)りでずんずん歩いちゃうもん。
>八:ほう。そいつは頼もしいな。・・・それに引き換え、三吉はちっとも頼もしくねえよな。
>三:放っといてください。
>八:あっはっは。でもま、花火がどーんと上がりゃ、そんなことどうでも良くなっちまうさ。ほんとに「どーん」って来るんだぜ、お町ちゃん。
>町:ほんと? あたし、楽しみーっ。
>熊:お前ぇ、ほんとに来ねえで良いのか?
>八:良いの良いの。お花と2人でしっぽりと、ってな。
>熊:お町ちゃんがいねえ分、働かなきゃならねえんだぞ。しっぽりなんかやってられるかってんだ。
>八:良いの良いの。それでも良いの。・・・念を押しとくがな、間違っても「だるま」に顔を出そうなんて了見(りょうけん)は起こすなよ。
>咲:変な言いようね。なんか裏がありそう。
>熊:銚子を2・3本ちょろまかすんだとよ。
>咲:なんだ、そういうことだったの。八つぁんらしいわね。
>八:親爺(おやじ)には内緒(ないしょ)だぞ。
>咲:合点承知の助。・・・さ、出掛けるとしましょうか。

江戸の名物ということもあり、大川端(ばた)は人でごった返していた。
あまり近くで見ると火の粉(こ)が降ってきて火傷(やけど)をすると注意されているというのに、粋(いき)を気取る江戸っ子たちは、喜んで風下(かざしも)に陣取(じんど)る。

>町:凄(すご)ーい。きれーい。おっきーっ。
>熊:お町ちゃんは花火を見るのが初めてなのかい?
>町:うん。こんなに近くで見るのは初めて。ほんとに「どーん」って感じね。吃驚(びっくり)しちゃった。
>熊:八の野郎の考えにしちゃ、上出来だろ?
>町:そうね。お花さんにもお礼を言わなきゃ。
>熊:来年もまた来られると良いな。
>町:それはどうかな。「だるま」で働いた娘は、なんだか知らないけど、好い男の人を見付けて一緒になっちゃうみたいだもんね。あたしだって、いつまでいられるか分からないもの。
>熊:誰かと一緒になろうってのかい?
>町:うーん。今はまだそんな気にはなってないんだけど、そのうちなるかも知れないじゃない。だって、みんながみんな幸せそうにしてるんだもん。ね、お咲ちゃん?
>咲:あたしが幸せになるかどうかなんて、まだなんとも言えないじゃない。駆け出しの弟子(でし)だってまだ使い物にならないし、ちゃんと稼(かせ)げるだけになれるかどうかだって、これからだもの。
>町:それは大丈夫よ。源五郎親方んとこには腕の良い大工が揃(そろ)ってるって評判(ひょうばん)だもの。
>三:おいらもかい?
>町:勿論(もちろん)よ。五六蔵さんや四郎さんの評判も良いわよ。
>三:そうか。ちょっと安心したよ。いつまでも足手纏(あしでまと)いのまんまじゃ申し訳がないもんな。

そんなとき、土手(どて)下の方から黄色い悲鳴が上がった。
見ると、1人の男の浴衣(ゆかた)が炎を上げている。 ほんの一瞬のことで、直(す)ぐに消し止められたようであるが、女たちの悲鳴は暫(しばら)く続いた。
お町は三吉にしがみ付いて、がたがたと震えているようである。そして、三吉が片手だけで不器用に抱きしめてやっている。

>熊:どうやら大したことじゃなかったようだぜ。
>咲:燃えちゃうとは思わなかったわね。ああ、吃驚した。
>熊:なんだ、お前ぇは「吃驚した」で済んじまってるって訳か?
>咲:なによ。あたしにしがみ付いて貰いたかった訳?
>熊:そんなんじゃねえや。
>咲:ちゃんと祝言(しゅうげん)を上げたら、これでもかってくらいにしがみ付いてあげるわ。
>熊:そ、そんなこと、こんなとこで言うな。
>咲:良いじゃない。夫婦(めおと)なら当たり前のことなんだもん。

お町もやがて落ち着きを取り戻したようであるが、帰り道では、お町の方から三吉の手を握ってきた。
夜道の暗さもあり、少々心細くなってきたのかも知れない。

そんな頃、「だるま」の八兵衛はというと、銚子をちょろまかすどころの騒ぎではなくなっていた。
お花が糠漬(ぬかづ)けの糠の臭(にお)いが鼻に付いて、給仕の仕事ができないというのである。
結局、八兵衛が銚子を付け、皿や丼(どんぶり)を運ぶ羽目に陥(おちい)っていた。

>八:あーあ。こんなことになるとは思いもしなかったぜ。
>花:ご免なさいね。これまでそんなことなかったのに、変ね。
>八:どうしちまったんだろうな? 糠味噌なんか、家(うち)にだってあるってのにな。・・・きっと、ここの奴は特になんか変なものを入れてるに違いねえ。
>亭主:なんだと? 変なものとはなんだ。手前ぇなんか殆(ほとん)ど毎晩食ってるじゃねえか。
>八:お花はな、おいらや親爺みてえに拾い食いをしたって腹を壊(こわ)さねえっていうもんとは違うの。なんてったってべったら漬け屋の娘なんだからよ。
>亭主:べったら漬けだって糠漬けだって違いはねえだろう?
>八:大いに違うじゃねえか。向こうのはれっきとした贅沢(ぜいたく)漬物なの。
>亭主:何が「贅沢漬物」だよ。腹ん中に入っちまえばおんなじだろう? 次の日になりゃ・・・
>八:こっちは臭いで気持ち悪くなってるってのに、臭(くせ)え話なんかするんじゃねえってんだ。
>亭主:あ、そうか。こりゃ悪(わり)い悪い。
>八:しかし、どうなっちまったんだろうな? さっぱり分からねえ。
>亭主:大方、手前ぇが酒の2・3本を誤魔化(ごまか)して飲んでやろうなんてこと考えてたから、罰(ばち)でも当たったんだろうよ。
>八:な、なんでそんなこと知ってやがる?
>亭主:なんだと? ほんとにそんな魂胆(こんたん)でいやがったのか? ようし、そんならこっちは見せしめだ。今日の分の手間賃はなしだからな。
>八:そりゃぁねえよ。・・・とほほ。心配だわ飲めねえわで、踏んだり蹴ったりだぜ。
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