201.【こ】 『転(ころ)ばぬ先(さき)の杖(つえ)』 (2003/10/06)
『転ばぬ先の杖』
躓(つまづ)いて転ぶ前に予(あらかじ)め杖を突くという意味で、事前に注意していれば失敗しないで済むということ。
★「ぬ」は、打消しの助動詞
類:●倒れぬ先の杖●濡れぬ先の傘●降らぬ先の傘●用心は前にあり
類:●Prevention is better than cure.予防は治療に勝る●Light your lamp before it becomes dark.ランプは暗くなる前にともせ<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典

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源五郎には、あやとお咲がどうやって弥兵衛を丸め込んだのか、皆目(かいもく)見当(けんとう)も付かなかった。
「分かってくださいました」というあやの言葉を信用するしかない。

>源:それじゃあ、八兵衛と半次を擦り替えちまっても良いってんだな?
>あや:いっそのこと、祝言(しゅうげん)ってことにしてしまいますか?
>源:そいつは気が早えってもんだろ。弥兵衛父つぁんにだって、心の用意ってもんがある。
>あや:心の用意はすっかりできちゃったようですよ。
>源:なんだと? 一体(いったい)、お前ぇら、何してきやがったんだ? 真逆(まさか)ほんとに「駆け落ちさせる」って脅(おど)かしたんじゃねえだろうな?
>あや:そんなことしませんよ、お夏ちゃんじゃあるまいし。
>源:そうか、それなら良いんだが。
>あや:祝言はまだにしても、なるべく早めに一席設(もう)けてくださいませんか?
>源:お互いにそういう気持ちだってんなら、何も急ぐことはねえじゃねえか。逃げも隠れもしねえんだろ?
>あや:念のためですよ。・・・あんまり日が経(た)っちゃうと、お腹(なか)が苦しくなっちゃうんですよね。それも、わたしだけじゃなく、菜々ちゃんやお三っちゃんもね。
>源:五六蔵の嫁は関係ねえだろ。
>あや:仲良しなんですってよ、後から聞いたんですけど。
>源:そうなのか? ・・・なんだよ。そうと知ってりゃ、お前ぇらじゃなくお三千を遣(や)っときゃ、世話なしだったじゃねえか。
>あや:そうでもないですよ。顔馴染みのお三っちゃんが言ったのでは、逆に耳を貸さなかったかも知れませんから。
>源:そんな際疾(きわど)いことを言ってきたのか?
>あや:「際疾い」だなんて、人聞きが悪いですよ。押し付けがましくした訳じゃありませんもの。「理詰め」とかなんとかって言ってください。
>源:・・・結局、やらかしてきちまったってことか。
>あや:良いじゃありませんか。「終わり良ければ全て良し」ですよ。
>源:まるで八の野郎みてえなことを言いやがる。

>あや:八兵衛さんといえば、お嫁探しはどうしましょう?
>源:なんだかよ、盛り上がりかけたところを下げちまったもんだから、今んところ冷(さ)めちまってるようだぜ。
>あや:あら、そうなんですか? 悪いことをしてしまいましたわね。
>源:本当に済まねえと思ってんのか?
>あや:あら、そうは見えません?
>源:八に同情してるようには見えねえがな。
>あや:まあいけない。わたしったら、どうもいけませんね。根が正直な者ですから、すぐ顔に出てしまって。
>源:お前ぇなあ。・・・まあ良い。じっくりやらして貰うとするか。良い話なんてものは、そうそう転がっちゃいねえからな。八の野郎も、「花より団子ですよ、親方」なんて言ってやがるし。
>あや:そうですか。なら、また振舞い酒でもしてあげないといけませんね。親方も偶(たま)には「だるま」に顔を出してあげたらどうです?
>源:仕方ねえか。あんまり気は進まねえがな。・・・お前ぇの方は、今度の十五夜に、月見団子をたんまり拵(こさ)えといて呉れ。そうすりゃ八の野郎も、暫(しばら)くは大人しくしてて呉れるだろうよ。

その頃、八兵衛と熊五郎は、三吉を従えて「だるま」に向かっていた。五六蔵と四郎は、身重の女房に付いててやるからと、それぞれ帰っていった。

>熊:それで? 半次はどうしたんだって?
>八:お咲坊が弥兵衛父つぁんのとこへ、引っ張っていったとよ。
>熊:良かったじゃねえか。
>八:なにが良かったもんか。また1人、周りの独(ひと)り身が減っちまうんだぞ。残されるこっちの身にもなれってんだ。
>熊:そんなら、親方にもっと食い下がってくりゃ良かったじゃねえか。「思い立ったが吉日って言うじゃねえですか」とかなんとか言ってよ。
>八:おいらの吉日は、半次と飲んだあの晩で終わっちまったのよ。次の朝の小便(しょんべん)と一緒に流れちまったって訳だ。
>熊:それで終わりってことはねえだろう。またすぐに来るって。
>八:どうだかな。・・・せめて、あの晩の小遣い銭の半分でも残ってりゃあな。
>熊:お前ぇ、それじゃあまるで、見合いが駄目になったことより、銭がなくなったことの方が辛(つら)いように聞こえるぞ。
>八:おいらにとっちゃ、どっちも大事(おおごと)なの。嗚呼(ああ)、あの日に帰りてえ・・・
>熊:流行唄(はやりうた)かなんかみてえなことを言ってんじゃねえ。

「だるま」には、弥兵衛のところまで半次を連れて行った帰りの、お咲が待っていた。

>咲:「こっ恥(ぱ)ずかしいから付いてくるな」なんて言っときながら、戸の前でもじもじしてるのよ、半次さんったら。
>熊:喋(しゃべ)り言葉が悪いってのは、初心(うぶ)だってことの裏返しなんだよな、あいつの場合。
>咲:可愛いところがあるのよね。・・・女って、ときに、男のそういうところに、妙に惹(ひ)かれたりするのよね。
>八:おいらだって、そんなようなもんだぞ。
>熊:どこが、だ。
>八:いつもお気楽そうにしてるのは、傷付き易い、小心者だってことよ。
>熊:お前ぇのは、生まれつきだろ? 長い付き合いだが、「八兵衛の裏返し」なんか一遍だって拝(おが)んだことがねえ。
>八:そうだったか? そりゃあきっと、お前ぇたちが寝静まった頃にしくしくと枕を濡らしてるからだな。
>熊:・・・だとよ。お咲坊、何とか言ってやれよ。
>咲:「お休み」って言った途端に眠るのが十八番(おはこ)だって言ってたわよ、おっ母(か)さんが。
>八:何い? そんなことまでみんなに言っちまってるのか、あの婆(ばば)ぁは。
>咲:でもね、八つぁん、そういう生き方の方が良いのよ、きっと。八つぁんは八つぁんじゃない。
>熊:そうだぜ。半次は半次で、好きでそういう風になっちまった訳じゃねえんだからな。相手から分かり易いのが一番なの。案外、半次の野郎も、お前ぇみてえな性質(たち)に憧(あこが)れてるんじゃねえのか?
>八:そ、そうか? そう言われたら悪い気はしねえな。・・・安心したら急に腹が減ってきやがったぜ。おーい親爺(おやじ)ぃ、松茸があったら丸のまま焼いて呉れーっ。
>熊:そんなのここにある訳ねえじゃねえか。
>八:それもそうだな。第一、そんなもんがほんとに出てきた日にゃあ、明日っからの食い扶持(ぶち)に差し支(つか)える。

親爺が「これでも食ってろ」と置いていった椎茸(しいたけ)入りの煮染(にし)めを突付いているところに、源五郎がやってきた。

>熊:お、親方あ? どういう
風の吹き回しで?
>源:なんだ? 俺が来ちゃあいけねえのか?
>熊:
とんでもねえですよ。ささ、どうぞどうぞ。
>咲:今晩は、親方。また一組纏(まと)め上げちゃいましたね?
>源:別に俺の手柄(てがら)でもなんでもねえさ。お咲ちゃんの方がよっぽど
立ち回って呉れたんじゃねえか?
>咲:あら、立ち回ったのはあやさんの方よ。親方にも見せてあげたかったな、あやさんの大
立ち回り
>源:そ、そんなことやりやがったのか?
>咲:掴(つか)み合いの喧嘩をしたって言うんじゃないわよ。お芝居かなんかみたいに素敵だったってこと。良いわね、親方は。
>源:何が良いもんか。こっちは冷や冷やさせられっ放しだぜ。
>咲:そこが良いんじゃない。ね、八つぁん。ね、熊さん。
>八:姐さんって、一等上等ですよね。・・・だって、ここに来るように言ったのも、姐さんなんでしょう?
>熊:調子の好い野郎だな、まったく。・・・お前ぇが腐(くさ)らねえように、
先手を打たれたんだってのが分からねえのか?
>八:なんでだ? そんなことされなくたって、おいらちっとも腐ったりしねえぞ。見合いってったって、ご当人と会ってから振られたんじゃねえもんな。姐さんも、今度のことに関しちゃ、
当てが外れやしたかね。
>源:まあ、当たろうが外れようが、そんなのどっちでも良いだろう。家主の下見を押し付けたのから始まって、お前ぇたちには面倒を掛けたからな。俺のささやかな詫(わ)びの印だと思って呉れ。
>八:そういうことでしたら、喜んで。・・・おーい親爺い、松茸はほんとにねえのかぁ?

いつもの通り6つ半(19時頃)にやってきたお夏に、源五郎が何やら包みを渡した。
出掛けに「ついでにお願いしても良いですか?」と渡されていたものである。

>夏:あれまあ。やっぱりあやさんには、嘘は吐(つ)けないわね。
>咲:ねえ、なになに? あたしにも見せて。
>夏:脚絆(きゃはん)、かな?
>咲:なんなの、それ? なんでそんなの呉れる訳?
>夏:だってお咲ちゃん、旅には必要でしょ? 
もしものことがあったら大変じゃない。
>熊:旅って、真逆(まさか)・・・
>夏:そ。来月出掛けるの。・・・長崎。
>八:行っちゃうのか?
>夏:行っちゃう。
>八:ここはどうするんだよ。ここの客たちはどうするんだよ。おいら、どうすりゃ良いんだ?
>夏:代わりの人は見付けてあるの。そのうち連れてくるわね。どう? 
手回しが良いでしょ?

>熊:一人旅なのか?
>夏:断(ことわ)ったんだけどね、坂田様が余計に
気を回して呉れちゃってね。あたしは要(い)らないって言ったのよ。
>熊:そりゃぁもしかして、余計な働きをして謹慎(きんしん)させられてる馬鹿同心か?
>夏:へへ。ちょっと口煩(うる)そうだけど、確かに用心棒には
持って来いよね。お堅(かた)いお役人よりは、機転も利きそうだしね。
(第22章の完・つづく)−−−≪HOME