180.【け】 『月下氷人(げっかひょうじん)』 (2003/05/12)
『月下氷人』
媒酌人、仲人(なこうど)のこと。
類:●月下老●月下老人●月下翁●赤縄子

★「月下老人」と「氷人」との結合した語<国語大辞典(小学館)>
故事:晋書−芸術伝・索屁」 中国、晋の令狐策が、氷上に立って氷の下の人と話をした夢を、索屁が、陽である氷上から陰の氷下に語ったから、仲人をするだろうと予言し、その通りになった。
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ばつが悪かったせいか、純と弟の忠乗は、「今日のところはお先に失礼させていただきます」と言って去っていった。
大路郎は、竜之介がどうしてもと頭を下げるので、留まることになった。
八兵衛は、事情はどうあれ、夕飯にありつける可能性が出てきて、ほくほく顔である。

>八:ねえご隠居、厳(いか)めしい人も帰ったことですし、これから後は喉(のど)でも湿(しめ)らしながらってのはどうですかい?
>内:そうですね。陽気が良いので、喉も渇きますね。八つぁんは茶菓子が足りなかったようですしね?
>八:ははは、見てらしたんでやすか。ご隠居も人が悪い
>内:市毛殿、竜之介さん、どうですか? 飲みながらの話ということにしても宜しゅう御座いますか?
>大:そのような、ご迷惑では御座りませぬか?
>内:とんでもない。そのようなことはありませんとも。ここに5人も揃うなんてことは滅多にありませんからね。・・・竜之介さんも宜しいですね?
>竜:英雄は色を好み、豪傑は酒を好むと申す。喜んでお付き合いいたそうぞ。
>内:ほっほ。まったくもって変わってらっしゃる。

>熊:大(おお)先生、「豪傑は酒を好む」なんて言葉ありましたっけ?
>大:さあな。大方、どこぞの三文文士の捏(で)っち上げであろう。
>竜:そのようなことは御座らぬぞ、義父(ちち)上。現に、関羽も張飛も大酒飲みであった。
>大:それにしたとて、実際にそうであったかどうかは誰も分からぬであろう。唐(から)の国の歴史書は、史実ばかりでないらしいからな。
>八:そうなんですか? 歴史書なのに嘘八百を並べてるんでやすか?
>大:そうだ。後の文官が英雄豪傑はかくあるべしとして、脚色するのだ。劉備などは、猿(ましら)か何かのように足が短く、腕が地に付くほど不恰好だったそうだ。
>竜:義父上といえど、その悪口(あっこう)は許せぬ。将軍たるお方を貶(けな)すということは、上様を悪(あ)し様(ざま)に言うのと変わらぬ狼藉(ろうぜき)である。
>大:そうかも知れぬが、お前の三国志気触(かぶ)れは度を越しておる。
>内:まあ、そのくらいになさいませ。市毛殿、歴史書が出鱈目なのなら、劉備の格好のことだってほんとのことかどうか知れたものじゃありません。そうですよね?
>大:そう仰られてしまうと、立つ瀬もありませんな。

立ち上がり掛けた竜之介だったが、それ以上何も言わず、怒りを納めたようである。
市毛も、つまらないことを言い出しましてと、恥ずかしそうに詫(わ)びた。

>八:流石(さすが)ご隠居、巧いこと言って丸め込んじまいやすねえ。
>内:八つぁん、それじゃああんまり人聞きが悪い。まるであたしが阿漕(あこぎ)なことをしているようじゃありませんか。
>八:そういうつもりはないんですよ。おいらは誉(ほ)めてるつもりなんでやすから。
>熊:もうちょいと言葉を選べってんだ。
>八:言葉なんてものは相手に通じてりゃ良いのさ。「人聞きが悪い」って言われたら「へへへ」って笑いながら謝(あやま)りゃ良いの。
>熊:まったく、お前ぇってやつは・・・

>八:ときにご隠居、丸め込むっていやあ、太助がやってるお奉行様の瓦版ってのはどうなんですかい?
>熊:そう言や、近頃あんまり見ねえな。
>内:それがですね。お奉行様はこのところあることに掛かりっ切りになってましてね。
>八:あることって言いますと?
>内:なんでも、奉行所の若いもんに嫁を世話してくれないかと頼まれたそうでしてね。
>八:嫁の世話ですかい?
>内:柄にもないからといって伸ばし伸ばしにしてたそうですが、どうも気になってお裁きにも気が入らないらしい。
>八:そいつは困りもんですね。見事なお裁きが見られねえと、太助のやつだって飯の食い上げになっちまいやすぜ。
>内:まったくもって、変な話ですよね。人情裁きとかと言われているお人だというのに、嫁の1人も世話できないとはねえ。
>八:うちの親方だったら、ちょちょいのちょいで纏(まと)めちまうんですがねえ。
>熊:そりゃあ町衆の話だろう。お役人様になんて、いくらなんだって親方には無理だよ。
>八:そうか? だってよ、鹿の字だって巧くやってるじゃねえか。
>熊:あれは、相手がお針子のしかちゃんだったからじゃねえか。そもそも親方にはお武家様の知り合いなんか、そうそういるもんじゃねえだろうよ。・・・っと、真逆(まさか)お前ぇ、また
首を突っ込もうってんじゃねえだろうな。
>八:何を言ってやがる。あの大食らいの太助が干上がるかどうかの瀬戸際なんだぞ。
>熊:おいら、止(や)めといた方が良いと思うぞ。
>八:何を言いやがる。お誂(あつら)え向きに大先生たちがいるじゃねえか。頼んでみる価値はあるんじゃねえのか?
>熊:おいおい。いくらなんだって偶々(たまたま)ここにいたからって、そうそう良い話ができる訳じゃねえって。

それはそうである。市毛には娘は1人しかいない。そういう親戚がいるという話も聞いたことがない。
そうは問屋が卸さないのである。

>内:お気持ちだけは有り難いんですが、大工の八つぁんには、できることとできないことがあります。元はと言えば、頼まれごとに真剣にならなかったお奉行が悪いのです。これで少しは懲りるでしょう。
>八:そんなこと言ったって、お奉行様がそんな状態じゃ、太助のやつが困るでしょう。何とかしてやらなきゃ・・・
>内:八つぁんは相変わらず良いお人すねえ。お奉行がここにいたら涙を流して感激することでしょう。

>竜:・・・余計な口出しではあるが、耳寄りな話を知っておる。
>八:なんでやすって? ほんとですかい、若先生?
>大:竜之介、儂(わし)はそんな話、1つも知らぬぞ。
>竜:今朝早くに、憂さ晴らしを兼ねて猪ノ吉師範代のところへ言ったときの話であるから、義父上は知りよう筈もない。
>大:柿本がか? しかし、柿本には妹などいない筈だが。
>竜:ご師範の嘗(かつ)ての同僚の娘御だという。
>大:千場殿のか? 確かにそれでは捨て置けぬことではある。しかしな、お家の問題とか、身分のことなどもあろう。偶々(たまたま)時期が同じだからといって、必ず釣り合うとは思えぬ。
>竜:そのようなことは、本人同士が決めることである。その橋渡しの労など、些(いささ)かのものでも御座らぬ。
>大:かといって、関わってしまったら成就すべく立ち回らねばなるまい。こと千場殿のこととなれば、儂とて素知らぬ振りはできぬ。
>内:竜之介さん、その話、この老体も混ぜて貰えんかの?
>大:ご隠居様。それは・・・
>竜:うむ。ご老人には、何かと世話になったゆえ、思うようになさるが良かろうよ。
>内:それは有り難い。それでは、早速、千場道場に出向いてみましょうかね。

>大:これからですか? いくらなんでも・・・
>熊:ご隠居さんは根がせっかちなもんでして。
>八:ご隠居、あ、あの、これからは酒を飲みながら若先生の相談を聞くんじゃなかったんですかい?
>内:なあに、名前のことは10年も掛けて決めれば良いことです。しかし、縁談となると早いに越したことはありません。太助どんの暮らしにも関わるとなれば尚更でしょう?
>八:そりゃあそうですが・・・。とほほ。またお預けか。
>内:なんでしたら、八つぁんたちはここでお夕飯でも食べながら待ちますか?
>八:へ? そんなことしてても良いんですかい?
>熊:駄目に決まってんじゃねえか。太助のためになるんなら、邪魔かも知れねえけど、付いていくべきなんじゃねえのか? 初めにそういったのはお前ぇの方じゃねえか。
>八:・・・はあ。あんなこと言わなきゃ良かった。まったく、口は禍の元って、昔の人は良く言ったもんだな。
>熊:まったくお前ぇってやつは、食い物が掛かって初めて肝心なことに気が付くんだからな。

なんだか妙なことになってきてしまったなと、熊五郎は思い始めていた。
まあ、稚児(やや)の名前の内輪喧嘩よりも増しかと、自分を納得させるしかない。
それにしても、武家の縁談などに大工風情が関わっても良いものなのだろうか?
内房正道は、そんなことはお構いなし相好(そうごう)を崩している。「これでまた1つ、お奉行に貸しができそうです」などと、大路郎に向かってにこにこと話している。
つづく)−−−≪HOME