97.【お】 『親の光は七光り』 (2001/10/01)
『親の光は七光り』
親の社会的地位や名声が子の出世に大いに役立つこと。親の名声の恩恵を大いに受けること。
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熊五郎は、鹿之助が町娘でも構わないと納得したということを、源五郎に伝えた。
源五郎は、その意向を確認した上で、あやの判断を訪ねてみた。

>源:両方の人間と会ってみてどんな感じだ?
>あや:そうですねえ。変わった取り合わせですけど、案外巧くいくかもしれませんね。
>源:お前ぇ「あんまりとんとん拍子に行くのは気に食わねえ」って言ってたろ?
>あや:そこなんですよね。何かちょっとした障害でもないとね。料理の薬味みたいなものですよ。
>源:お前ぇ、面白がってねえか?
>あや:ちょっとはね。・・・でも、雨降って地固まるって言うじゃありませんか。夫婦仲なんていうものは、その方が巧くいくもんですよ。
>源:そりゃあそうだが。・・・まあ良いや。兎も角、大筋ではこの2人で話を進めても構わねえんだな?
>あや:ゆっくりと行きましょう。薬味があっちからやって来るまでね。
>源:そんなの、来るもんかね。
>あや:来るわよ。来なければこっちから呼びに行っちゃえば良いじゃない。
>源:お前ぇ何か魂胆でもあるのか?
>あや:あら、幾らなんだって、わたしもそこまでの策士じゃありませんよ。
>源:それなら良いが。
>あや:・・・でも、鹿之助さんにおしかさんだなんて、冗談みたいな取り合わせですよね。それに、絵に描いたような蚤の夫婦
>源:お前ぇ、やっぱり面白がってんだろ?

それからあやは、毎日のようにおしかの元を訪れて、ただ世間話をして帰ってくるだけということを続けていた。
その間、鹿之助に対しては殆ど梨の礫(つぶて)で、お夏は少しずつ焦(じ)れ始めていた。

>夏:ねえ熊お兄ちゃん、その後親方たちから、進み具合の話は出てきてないの?
>熊:姐さんの方は足繁(あししげ)く娘さんのところに通ってるみてえなんだがな。あんまり進展があるような様子には見えねえんだよな。
>夏:あやさんらしくもないわね。・・・もしかして、その女の人、兄上みたいな小役人じゃ気に入らないってことなのかしら?
>熊:さあ。なんにしろ一切報告がねえからなあ。
>夏:あたし、その人のところへ行っちゃおうかしら?
>熊:おいおい、姐さんに任せてるんだから、勝手な真似なんかするもんじゃねえよ。
>夏:だって、気が揉めるじゃない。明日辺りあやさんのところに行ってこようかしら。
>熊:まあ、そういうことだったら止める訳にはいかねえがな。けどな、姐さんには姐さんのお考えってものがあるんだろうから、その辺のことは了解して行きなよ。
>夏:分かってるわよ。

翌日。あやはお夏を「そろそろ来る頃じゃないかと思ってたわ」と言って迎えた。

>夏:正直に言って、兄上ってその人とは合いそうにない?
>あや:いきなり核心を突いてくるわね。・・・大丈夫よ。巧く行くわ。
>夏:でも、何も進展してなさそうなんだもの。
>あや:表向きにはね。その娘さん、ちょっと臆病(おくびょう)になってるようなところがあるんで、ちょっとずつ懐柔(かいじゅう)してるのよ。
>夏:そうなの。・・・それで? 巧く行ってるの?
>あや:もう大丈夫そうね。そこで相談なんだけど・・・
>夏:待ってました。そう来なくちゃね。
>あや:鹿之助さんと会う前に、お父上に会わせたらどうかと思ってるんだけど、どうかしら。
>夏:あたしの家に連れてくるの?
>あや:それじゃあ、いかにもって感じじゃない? お互い畏(かしこ)まっちゃうでしょ? できれば、どこかで偶然にっていうのが良いんじゃないかと思うのよ。
>夏:ふむ。面白そうね。あたし、俄然協力しちゃう。
>あや:丁度間もなく、頼んでる縫い物が仕上がるところなの。届け先は養生所ってことになってるんだけど、だいたいの刻限を合わせておけば、巧い具合にいくんじゃないかしら?
>夏:そんなことを仕込んでたの? 相変わらずのお茶目さんね。
>あや:安心した?

その当日。着物の受け取り人は栗林清四郎という方(かた)で、小石川養生所での受け渡しになると伝えると、おしかではなく、その父親・佐羽衛門が問い返してきた。

>佐:栗林様って、公事(くじ)方の栗林様ですか?
>あや:今はご病気ということで、ご自宅で療養されていますから、正確には「公事方の」ではないんですけれど。
>佐:こいつは驚いた。あや様が栗林様とご昵懇(じっこん)とは知りやせんでした。
>あや:あら。こちらこそ、ご存じとは思いませんでした。どういうお知り合いですか?
>佐:勿論、お役目の方で関わった訳じゃありやせんよ。鉤裂きしちまった紋付を急場で縫って差し上げたことがあるだけでして、たったそんだけのことなのにご丁寧にお礼に見えやして。時折、新調なさるときにお声掛けも頂いておりやした。
>あや:そうだったんですか。
>佐:ご病気ということも知らないで失礼していやしたんで、お詫び方々あっしも同道してえと思いやすが。
>あや:是非そうしてくださいまし。栗林様もお喜びになるでしょうから。

思わぬ拾い物だと、あやは考えた。
そして、更にもう一つ、計画外のことが起こった。「起こってしまった」と言うべきだろうか。
清志郎が、養生所へ向かう道で、軽い発作を起こしてしまったのである。
そこを佐羽衛門父娘が通り掛かたのだが、父が挨拶(あいさつ)を交わす暇(いとま)もなく、おしかが清志郎を抱え上げて、養生所へ駆け込んだのである。
泡を食ったお夏は、一大事とばかりに、兄を呼びに役所へと向かい、かくて図らずも、親同士、本人同士の見合いが成立してしまったのだ。

>清:又しても佐羽衛門殿に救われてしまったか。
>佐:救うだなんて、そんな大袈裟なもんじゃねえですよ。却ってこっちが事を大きくしちまったみてえで申し訳ありやせん。
>清:実はな、いつぞや袖を縢(かが)って貰ったときも、大事な会合で、下手をしたら腹を召さねばならぬところだったのだよ。
>佐:はあ、お役人も面倒なもんなんですねえ。
>清:それにしても佐羽衛門殿の娘御はたいした健脚だな。痩せ衰えてるとはいえ男一人を軽々と運ぶのだからな。
>佐:お恥ずかしい限りです。女らしいところなんかこれっぽっちもありゃしねえ。
>清:そうでもあるまいよ。本気になってわしを助けてくれようとしてのことだ。こんな慈愛に満ちた娘御を持てて、お主は幸せ者だな。
>佐:栗林様は、いつも、あっしのことを買い被り過ぎますよ。
>清:いや、少なくともわしにとっては、救いの神だよ。うちの不肖(ふしょう)の倅(せがれ)に娘御の爪の垢でも煎(せん)じて飲ませたいくらいだ。
>佐:そんな勿体無い。ご子息はご子息で、栗林様のような立派なお役人になられるんでしょうから、こちらこそ目を掛けて頂きたいくらいでして。
>清:わしが公事方の要職にあったからどうにか取り立てられてるようなものだよ。石頭なところばかり似おって、全く融通(ゆうずう)というものを知らん。せめて妻子でも持つようになれば、少しは増しになって呉れるかと期待しておるのだがな。
>佐:親として厳しい目で見過ぎているんですよ。さっきのここの先生方への指図(さしず)のてきぱきしてるところなんざ、どうしてどうして、しっかりしていなさる証(あかし)ですよ。きっと立派に出世なさいますとも。
>清:そう言って貰えると、ご愛嬌にしても嬉しいものだな。
>佐:ご愛嬌なんて、
滅相もない蛙の子は蛙でやすよ。あっしのとこなんざ、親がこの通りがらっぱちなもんで、娘までがらっぱちに育っちまいやがって、人前へ出すのだって恥ずかしいくらいですよ。
>清:そんなことはない。少々大らかだからといってそれを責めるのなら、責める世間の方が間違っているということだ。そうは思わんか? ・・・名は、何と申す?
>しか:はい。「しか」です。
>夏:あら、兄上と同じ。あのね、おしかさん、うちの兄上は鹿之助っていうの。奇遇よね。・・・いっそのこと一緒になっちゃったら面白い夫婦(めおと)になるかもね。
>清:これ、夏。面白半分にものを申すものではない。おしかさんにもおしかさんの事情というものがあろう。それに、鹿之助のことはもう既に、源五郎殿に任せてしまっておるのだし。そう勝手にできるものではない。
>佐:なんですと? 大工の源五郎様ですかい? こりゃあ魂消た
>清:知っておるのか?
>佐:へい。実はうちのおしかのことも、源五郎様のお内儀にお願いしてありやして、程なく見合いの機会を作るからと、そう仰っておいででした。

もしかして? と顔を見合わせた清志郎と佐羽衛門、鹿之助とおしかに向かって、お夏は「へへっ」とにっこり笑い掛け、ぺろりと、舌を出して見せた。

>夏:ねえ、兄上。「土用の丑」とかいう宣伝文句に乗せられて、鰻でも奮発(ふんぱつ)しちゃうってのはどう?
(第10章の完・つづく)−−−≪HOME