341.【と】 『所(ところ)変(か)われば品(しな)変わる』 (2006.07.31)
『所変われば品変わる』
土地が違えば、それに従って風俗・習慣・言語などが違うものである。
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曇りがちの1日をぐうたらと過ごした後、約束の当日は、皮肉にも上天気だった。
八兵衛は、三吉のところへ寄るために、いつもより早めに家を出た。

>八:午之助(うまのすけ)父(と)っつぁん、お早う。三吉の野郎は起きてるかい?
>午:おう、八の兄さんかね。今、飯を食ってるよ。・・・なんでも、三吉の親方になるってことだそうじゃねえか。
>八:そうと言われた訳じゃねえって。うちのお花が勝手に言ってるだけなの。
>午:そうかい。それならそれで良かったぜ。
>八:なんてえ言い種(ぐさ)だよ。
>午:いやなにね、お前ぇさんが駄目(だめ)だって言ってるんじゃねえんだよ。気を悪くしねえで呉れよ。俺はな、源五郎って男に惚(ほ)れてるんだ。あいつに勝(まさ)る奴はいねえと思ってる。そういうことさ。
>八:そりゃ、親方と比べたら、腕だって度量だって、おいらにゃ勝てやしねえがよ。
>午:そうだろ? ありゃあ、いつまでも一介の親方にしとくにゃ惜しい奴だ。やがて、元締めにでもなって貰わねえとな。
>八:源蔵棟梁だってなってねえってのに、気の早いお人だねえ、まったく。
>午:ああ、そうだったな。相馬屋の爺さんも、早いとこ跡目を渡しゃ良いのにな。
>八:働かねえ代わりに悪さもしでかさねえから良いんじゃねえの?
>午:程があるってことよ。話が聞こえねえんじゃ、決まるもんも決まらねえじゃねえか。
>八:はは。ご尤(もっと)もで。
>午:だがな、八公。
>八:なんですかい?
>午:倅(せがれ)がまだ5つってんじゃ、源五郎もまだまだ棟梁にはなれねえな。
>八:だったら、おいらと三吉の話も、お花の思い過ごしってことでしょう?
>午:まあな。・・・源五郎の考え方なんか、分かりゃしねえけどな。

飯を食べ終えた三吉が、やっと出てきた。

>三:八兄い、お待たせしました。出掛けるとしますか。
>八:お町ちゃんと、別れの抱擁でもしてきやがったか?
>三:そ、そんなことしますかって。
>八:良いじゃねえか。新所帯(しんじょたい)なんだからよ。
>三:仮令(たとえ)そんなのしたことなくたって、舅(しゅうと)のいる前でそんな話できますかって。
>午:俺は良いんだぜ。そんなのちっとも気にならねえ。若い男と若い娘が一緒になりゃ、稚児(やや)を生(な)すのが仕事ってもんだ。なあ?
>八:まあ、精々励(はげ)むこったな。
>三:なんて話だ。これから、変なとこへ行こうってのに。
>午:あ、そうそう。武兵衛の爺さんだがな。
>八:なんか知ってるのかい?
>午:知ってるさ。ここいらで知らねえのなんかいねえよ。
>八:やっぱり、食わせもんでしょ?
>午:そんなことあるか。あんな面倒見の良い人はいねえ。そんなこと言ってると罰(ばち)が当たるぞ。

>八:あれがですかい?
>午:そうよ。ここいらにだって、嫁を世話して貰った野郎たちがごろごろいるぞ。
>八:あの爺さんが嫁の世話だぁ?
>午:ああ見えて、若い娘たちには評判なんだよ。仕事しながら見ててみな。偶(たま)に見掛けることもあるだろうよ。
>八:へえ。こりゃ魂消(たまげ)た。近頃の娘たちゃ何を考えてるんだかね。

兎も角、行ってみないことには始まらない
八兵衛と三吉は、のたのたと市谷本村町(ほんむらちょう)へ向かった。

武兵衛の家に着くと、もう友助が来ていて、2人で頭を寄せ合って図面のようなものを見ていた。

>武:遅(おせ)えぞ、手前ぇら。
>八:遅いってったって、まだ5つ(=8時頃)前じゃねえですか。
>武:そりゃあ源五郎のやりようだろ? ここはそうじゃねえ。
>八:だって、5つなら、青物売りとか魚売りとかしか働いてねえ刻限ですぜ。
>武:そんなの知ったことか。ここに来た以上、ここのやり方でやって貰う。
>八:でも5つってのはいくらなんでも早過ぎやしませんか?
>武:この友助なんぞ、昨日っから来てるんだぜ。昨夜は泊まりだ。
>八:へ? だって、昨日は休むようにってことで・・・
>武:休みの訳ぁねえだろう。図面と材木の用意だから、お前ぇたち大工が来てもしょうがねえって言っただけだ。
>八:あ、さいですか。・・・でも、図面なんて1日でできるもんじゃねえでしょう?
>武:そんなもん、使い回しに決まってんだろ? 雨漏(あまも)り直す時に何を見てたんだ、手前ぇら。
>八:そっか。みんなおんなじ造りですもんね。
>武:分かったら、とっとと道具を出して、柱を削(けず)り始めな。

>八:へーい。
>武:なんだその気のねえ返事は? そんなんじゃ、一緒に付いてきた三吉がやる気を失くすだろう?
>三:へ? おいらですか? なんでおいらの・・・
>武:名を知ってるのかって? そりゃ、こっちだって、名も知らねえ大工を働かす訳にゃいかねえからな。銭を出すのはこっちなんだぜ?
>三:はあ。そりゃそうです。立派な心掛けで。
>八:やい三吉、妙なところに感心してねえで、鑿(のみ)の用意をしやがれ。
>武:おうおう、そう来なくっちゃいけねえな。八兵衛はそうやって、三吉のことを叱(しか)り付けねえといけねえな。
>八:そんなことで褒(ほ)められちまうんですかい? こりゃ良いな。うっしっし。
>武:その阿呆(あほう)みてえな笑いは余計だ。

武兵衛爺さんは、殊(こと)の外(ほか)大工仕事に詳しかった。
同じような家を十数件も建てていればそうもなると言うかも知れないが、それにしても度を越していた。

>八:大家さんは、大工をやってたことでもあるんですかい?
>武:そんな訳なかろう。俺はずっと家貸ししかやってねえ。
>八:その割りに随分とお詳しいんですね。
>武:一々細かいとこを聞くからだな。初めに来た大工は、5日来てもう来なくなっちまった。その次のは3日だった。
>八:そんなことってあるんですかい? だって、自分らで建て始めた家でしょう? 途中で放り投げる大工がいたらお目に掛かりてえもんです。
>武:そういう奴らもいたってことだ。俺がやらせる大工ってのは、駆け出しもんばっかりだったからな。
>八:なんでそんなのばっかり呼んだんですかい? 普通は腕の良い大工に頼むもんでしょう?
>武:長い付き合いをしたかったんだな、多分。・・・ずっと、おんなじ大工に面倒を見て貰いたかったのさ。
>八:それで、そういう風にならなかったんですね?
>武:そうでもねえさ。駆け出しもんでも、源蔵は良くやったもんだ。
>八:へ? あの棟梁がですかい?
>武:そうよ。もう40年も前のこった。ずぶの素人(しろうと)だったよ。

>八:へえ、あの棟梁にもそんな頃があったんですか。
>武:当たり前ぇじゃねえか。お前ぇ、相当な馬鹿だな。
>八:まあ、決して良い方じゃぁありませんやね。
>武:ふん。素直なことだけは間違いねえか。
>八:それに掛けちゃ、天下一品ですぜ。
>武:それに、喋(しゃべ)りながらでも手がお留守になってねえ。
>八:そりゃ、慣れてますから。
>武:そうか。面白い馬鹿だな。気に入ったぜ。
>八:養子にでもして、この家をおいらに呉れやすかい?
>武:俺もそこまでお人好しじゃねえよ。・・・だがな、お前ぇのことは、ちゃんとした親方にしてやる。
>八:爺さん、耄碌(もうろく)してるんじゃねえですかい? おいらを親方にできるのは源五郎親方だけですぜ。
>武:そうでもねえさ。
>八:どうしてですか?
>武:そいつは、蛇の道は蛇って奴よ。こっちにはこっちのやり方ってもんがある。お前ぇには考えも付かねえやりようがな。

>八:なんだか分からねえけど、お花の奴が言ったのが当たっちまうってことかい?
>武:嬉しかろう?
>八:さあ。どんなもんでしょう? ・・・三吉、お前ぇはどうだ?
>三:おいらは、あんまり嬉しくありませんね、正直なとこ。
>武:そうなのか? なんだ。折角(せっかく)こっちが良かれと思っているってのに。
>八:いや、有り難(がて)えとは思いますよ。でも、なんだか、親方ってぇ肩書きが付くことって、そんなに大したことなんでやすかね? おいら、その辺のとこがあんまり良く分かってねえんですよ。
>武:ほう。変わった馬鹿だな。そういうのを見てるのも面白いな。・・・ま、当分面倒を見てやるから、真面目に働けよ。
>八:「当分」なんですか、やっぱり?
>武:そうだ。当分だ。

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