333.【と】 『桃李(とうり)言わざれども下(した)(おの)ずから蹊(けい)を成す』 (2006.05.16)
『桃李言わざれども下自ずから蹊を成す』
桃や李(すもも)は何も言わないが、花の美しさに惹(ひ)かれて多くの人が集まってくるから、木の下には自然と道ができる。徳望のある人のところには、自(みずか)ら求めなくても、その徳を慕(した)って人が自然と集まって来ることの喩え。
出典:「史記−李将軍(李広)列伝・賛」「諺曰、桃李不言、下自成蹊、此言雖小、可以諭大也」
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三吉は、八兵衛から頼み込まれて、最初の2箇所だけは同行することになった。

>三:八兄いが独(ひと)りで行くようにってご隠居様も言ってたじゃないですか。
>八:あれはな、年寄りの道楽なの。おいらが困った顔をするのが楽しいんだな。だからよ、もう困った顔を見せてやったから、これで十分なの。
>三:でも、終(しま)いまで付き合ったりはしませんよ。
>八:なんでだ? どうせ暇なんだろう?
>三:暇なもんですか。お町と一緒んなってまだ3月ですよ。義父(おやじ)さんとだってまだしっくりといっちゃいないんです。仕事のない日に遅くまでふらふらなんかしてられますかって。
>八:おいらんとこはそんなことちっとも気にしなかったがな。
>三:そりゃぁ、八兄いは婿(むこ)に出た訳じゃねえんですもん。そこんとこは違いますよ。
>八:ふうん。そんなもんかねえ。
>三:そういうもんなんです。だから、2軒までです。
>八:お前ぇもつれねえなあ。
>三:何を言ってるんですか。子供じゃあるまいし。・・・さ、行きますよ。
>八:へいへい。頼まれごとも面倒なもんだねえ、まったく。
>三:先に食うもんを食わされちまったら、後へは引けませんよね。
>八:商人(あきんど)はこうだから敵(かな)わねえよな。
>三:八兄いが食いしん坊だから付け入られるんですよ。


八兵衛には返す言葉もない。
最初に訪(たず)ねた店は、日本橋の「越前(えちぜん)屋」であった。

>八:こんちはーっ。旦那さんいるかい?
>丁稚:は、はい。・・・あの、どなた様で御座いますか?
>八:おいらかい? おいらは八兵衛。「一黒屋」さんから頼まれて文(ふみ)を持ってきたって伝えと呉れ。
>丁稚:え? 「一黒屋」さんのお使い? そ、それはそれは。それでしたら、こちらへどうぞ。お連れ様もどうぞ。
>八:・・・なあ、三吉よ。大したもんだねえ。まだ小僧だってのに、ちゃーんと客あしらいできるじゃねえか。
>三:そりゃ、これだけの大店(おおだな)ですからね。躾(しつけ)も厳しいんでしょう。
>八:大工なんかとは大違いだな。
>三:大工は職人ですから。腕で勝負ですもん。
>八:その肝心(かんじん)な腕が半人前じゃ、この小僧より劣(おと)るってことだな。
>三:なんてことを言うんですか。妙なところで比べないでくださいよ。
>丁稚:今、手前どもの番頭に取り次いで、大旦那を呼ぶように申し伝えますので、少々お待ちくださいまし。
>八:はいはい、分かりやしたよ。・・・どうだ、立派なもんじゃねえか。
>三:日頃からの苦労の賜物(たまもの)なんでしょうね。偉いもんですねえ。
>八:八百八町の中でも指折りの大店って評判も伊達(だて)じゃねえってことだな。・・・これなら、お客さんも買いに来たくもなろうってもんだな。
>三:「一黒屋」さんとは、また違ったやりようですよね。
>八:世の中には銭を持て余してるって奴らもいるってことだな。
>三:肖(あやか)りてえもんですね。
>八:無理無理。職人は逆立ちしたってそんな大金にはお目に掛かれやしねえさ。だから、そこまでのとこで面白可笑(おもしろおか)しく暮らしていきゃ良いの。
>三:自分の生き方への言い訳ですか?

程なく番頭らしき者と、それより遥(はる)かに若い生真面目(きまじめ)そうな男が現れた。
若い方が「大旦那」なのだろうか。

>番頭:あなた方ですか、「一黒屋」さんのお使いというのは?
>八:そうでやすよ。おいらが八兵衛で、こいつが三吉って言います。
>番:そうですか。こちらが、当店の主(あるじ)の5代目越前屋利蔵(としぞう)です。
>越:足元のお悪い中、ご足労(そくろう)いただきまして痛み入ります。なんでも、文をお持ちとか、拝見できますか?
>八:へ、へい。・・・えーとえーと、こいつですかね、こいつです。はい。
>越:なんですか? 他にも幾つかあるんですか?
>八:ええまあ。まったく人使いの荒いお人でやすからね。これから、豊島(としま)と神田と本郷へ行かなきゃならねえんです。その順番で。
>越:ははあ。そういうことですか。
>八:そんなんで分かっちまうんですかい?
>越:分かりますとも。あたしも「一黒屋」さんとは同じ穴の狢(むじな)ですからね。
>八:同じような悪い考えを持ってるってことですかい?
>越:はっは。人聞きの悪いことは言わないようにしていただかないと困りますね。・・・違うのですよ。お役人の考えることというのはね、時に、無駄なことが多過ぎるということなんです。
>八:もう少し分かり易く言って貰えやせんか?

>越:お役人は良かれと思って5つものお店に仕事をさせようとしますがね、実は1軒1軒とお店が増えれば、それだけ品物の値が上がっていくということに気が付いてないのです。
>八:どうしてなんですかい?
>越:誰だって、只働(ただばたら)きなどしたくないでしょう?
>八:そりゃ勿論(もちろん)そうですよ。
>越:だから、工程が1つ増えればそれだけ手間賃が上乗せされていくということなのです。
>八:だって使う材料は一緒なんでしょう?
>越:お店で売られている品物の値というのはね、詰まるところ、殆(ほとん)どが人の手間賃なのです。着物だろうと家財だろうと、食べ物だろうとね。
>八:食いもんもですかい?
>越:そうですよ。青物ならお百姓さん、魚なら漁師さん、餅(もち)や饅頭(まんじゅう)だってそれを作っている人たちの手間賃が値の大部分なんです。そうではないですか?
>八:なるほど。そう言われりゃそうですねえ。
>越:だから、豊島や神田のお店は手を引いていただかないと困るのです。
>八:困るんですか?
>越:だって、寺社奉行のご要望は、「手頃な値の被布」なんですからね。

>八:でも、仕事がなくなっちまったら、豊島のだって神田のだって困るんじゃねえんですか?
>越:そこはあたしらだって鬼という訳ではありません。懇(ねんご)ろなお詫(わ)びはいたしますよ。別の形で仕事を出すとか、相応の贈り物をするとかですが。
>八:贈り物ってのは「
豪華大金餅詰め合わせ」とかですかい?
>越:おや、面白いことを知ってらっしゃいますね。
>八:そりゃそうですよ。そいつを考え出したのはおいらたちなんですからね。
>越:本当ですか?
>八:そんなことで嘘を言っても仕方ねえでしょう?
>越:まあ、そういうことにしておきましょう。
>八:信じねえんですかい?
>越:信じろと言われましてもねえ・・・
>八:よう三吉。こんなこと言ってるぜ。なんとか言ってやりなよ。
>三:はい。考え出したのは栗林夏という人で、今は長崎に医術を習いに行ってます。そいつを初めて使ったのは、勘定組頭だった林田って人です。
>越:おお。正(まさ)にその通り。・・・あなた方は、一体何者なんですか?
>八:だから、しがない大工ですって。
>越:そうですか。・・・「一黒屋」さんも、珍しい方たちを抱えてらっしゃる。これは落ち落ちしてられませんね。

越後屋利蔵は、「こちらからも文を書きますので、一緒にお持ちください」と言って八兵衛に3通を預けた。
一旦は断った八兵衛だか、手土産(てみやげ)にと反物(たんもの)を2つ差し出されると、二つ返事引き受けた。
風呂敷には、ちゃっかり店章(てんしょう)の「越」の字が染め抜かれていた。

>八:あーあ。また余計な仕事が増えちまったじゃねえか。
>三:でも、気前が良いですよね。見も知らないおいらたちに反物を2本ですよ。
>八:雨の中を来た甲斐(かい)があったろう?
>三:手土産にしちゃ上等過ぎますがね。・・・でも、お町の奴、飛び上がって喜ぶでしょうね。
>八:家(うち)も喜ぶな。お芳(よし)のお湿(しめ)に丁度良いや。
>三:止(よ)してくださいよ。こんな上等なのをお湿になんか使ったら罰(ばち)が当たりますよ。
>八:ふうん、そんなもんかね。
>三:でも、あの旦那、気前は良いしお頭(つむ)の巡りも早そうだし、あれなら繁盛(はんじょう)する訳ですよね。
>八:まあな。銭の使い道に困ってる奴らばっかりじゃなさそうだな。
>三:見直しました?
>八:馬鹿言え。見直すも何も、そんな店があることだって知らなかったし、もう2度と、日本橋くんだりまで来ることもねえよ。
>三:あれま。・・・まあ、八兄いらしくて、その方が良いかも知れませんね。
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