328.【て】 『天(てん)は自(みずか)ら助(たす)くる者を助く』 (2006.03.27)
『天は自ら助くる者を助く』
天は、他人の助けを借りないで自身で努力する者を助けて成功させる。
★英Heaven helps those who help themselves.-サミュエル・スマイルズ『自助論』-の訳語。元は、17世紀の英国の政治家、哲学者のアルジャーノン・シドニーの言葉God helps those who help themselves.という
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お須美は、お咲に「本当に今夜から働くわ」と言い切った。
それじゃあ、暮れ6つ(=18時頃)より後の適当な頃合いに「だるま」へ来るようにと言って別れた。

そういうことになると、おみなには明日から1日置きではどうかと聞いてみなくてはならない。
真逆(まさか)半分だから嫌だとは言うまい。

>みな:ほんとに良いの? 働かせて貰えるの?
>咲:毎晩じゃなくても良い?
>みな:そんなことはなんだって良いのよ。もしかすると、毎日だと三日坊主になっちゃうかもね。あたしったら飽きっぽいから。
>咲:厳しいのは苦手なんて言わないわよね?
>みな:その点は平気。飛脚って、気の荒いもんばっかり揃(そろ)ってるから、お父つぁんもおっ母さんも口が悪いの。
>咲:そう、それなら良かった。
>みな:・・・ねえ、常連さんで、見込みのありそうな人っていない?
>咲:なあに? お仕事を覚える前にそっちの話なの?
>みな:呆(あき)れた?
>咲:ええ。呆れた。
>みな:仕事は仕事、そっちはそっちよ。大丈夫。やらなきゃいけないことはちゃんとするから。
>咲:ほんと?
>みな:だって、客あしらいも満足にできない娘なんか、誰も相手にして呉れないでしょう?
>咲:それはどうかしら? ・・・でも、おみなさんが、そういうところを喜ぶ人が望ましいと思うんだったら、そうした方が良いんじゃない?
>みな:そんな回り諄(くど)い言い方しないでよ。あたしお頭(つむ)の回りが良い方じゃないんだから。

>咲:それじゃ、この際だから聞いちゃうけど、おみなさんはどういうことが得意なの?
>みな:あたし? ・・・そうねえ。足だったら速いわよ。
>咲:足が速い? 何それ?
>みな:あんまり自慢できることじゃないけどね。家(うち)の若い衆あたりと走り比べなんかもしたことあるわよ。品川まで行って帰ってくるの。片道で2里(=約8キロ)くらいかしら。
>咲:ってことは、4里も? 休みなしで?
>みな:あら、そのくらいなんてことないわよ。飛脚は1日に20里走るのよ。
>咲:東海道だったらどこまで行けるの?
>みな:小田原までよ。箱根の関の前で泊(と)まるの。
>咲:へえ。1日で行けちゃうんだ。・・・吃驚(びっくり)。
>みな:それくらいなら、あたしだって行けるわよ。
>咲:ほんとなの?
>みな:朝早くに出掛けて、戸塚の宿(しゅく)まで行って帰ってきたら夕方だったもの。3回ほど行ったことがあるわ。
>咲:走りっ放し?
>みな:真逆。お握(にぎ)りくらい食べるわよ。
>咲:へえ。走るのもそこまでくると、確かに、立派な取り柄(え)ね。

何が嬉しくて1日中走ったりできるのだろう?
そんな必要に迫(せま)られたことのないお咲には、到底(とうてい)理解の及ばないことだった。

>咲:もう1人の人はね、お須美さんって言って、天神町(てんじんまち)の方に住んでる人。年は、おみなさんと同じくらいだって。
>みな:代わり番こじゃ、会わず仕舞いで終わっちゃうのかもね。
>咲:そんなことないわ。忙しい日はてんてこ舞い猫の手も借りたいほどになるんだから。ふらっと、「手伝いに来たわよ」って行けば喜んで呉れるわ。

>みな:ふらっと行っちゃっても良いの?
>咲:勿論(もちろん)。・・・反対に、呼ばれちゃうこともあるけどね。
>みな:望むところよ。
>咲:なあに? ほんとは、家にいたくない事情でもあるみたいよ。
>みな:え? なんで分かっちゃったの?
>咲:当てずっぽう。当たっちゃった?
>みな:嫌ねえ。年上をからかうもんじゃないわ。・・・追い追い話すわ。
>咲:それじゃ、覚えといて。あたしの取り柄はね、人の厄介(やっかい)ごとに首を突っ込んじゃうってこと。お足は要らない。
>みな:何それ? 唯(ただ)のお節介(せっかい)じゃない。
>咲:そうとも言うわね。
>みな:まあ、当面は自分でなんとかしてみるわ。
>咲:それで片付くのが一番よね。
>みな:でも、上手くいかなかったら、その節は宜しくね。今日びは、そういうお節介焼きもめっきり少なくなっちゃったものね。

話してみると、あやが言った通り、中々話の分かる娘である。
「だるま」を任せても良さそうだ。
きっと、評判の看板娘になることだろう。早々に嫁入り先を決めたりしなければ。

そんな頃、「一黒屋」に向かった八兵衛は、与太郎から蜜柑(みかん)を買った。

>八:いくら傷(いた)み易いものだってったって、こんなに高いもんなのか?
>与太:そりゃそうですよ。暖(あたた)かいところでしか出来ないものなんだから。これだって江戸じゃ安い方なんだよ。
>八:まったく足元を見やがって。こっちはな、稚児(やや)を産むのが大変だろうからって、態々(わざわざ)遠いところを買いに来てやってるんだぞ。
>与太:それは分かるけど。でも、それはそれでしょ。蜜柑は自分の足で歩いてくる訳じゃないんだからね。船賃だって人足の手間賃だって掛かってるの。
>八:お前ぇも、随分と偉そうになっちまったもんだよな。
>与太:そんな言い方しないでくださいよ。おいら1人のことだったら、ちょっとくらいおまけしたって構わないんだけど。数次(かずじ)さんの手前、あんまり勝手なことはしてられないの。
>八:なんだ、そんなことか。そんならよ、ご隠居さんに頼んでみて、「良いよ」ってなことになりゃ、ちっとは手心を加えて呉れるんだな?
>与太:それは無理ですよ。
>八:何が無理だってんだよ。ここのお店(たな)はご隠居さんのもんだろう? そんなら、良いじゃねえか。一々若旦那に聞くこともねえだろう?
>与太:その若旦那だって駄目なの。
>八:なんだと? 若旦那はもう、そんなにがっちり帳場(ちょうば)を仕切っちまっているのか?
>与太:違うんですって。
>八:何がどうなってるってんだ。はっきり言いやがれ。

>与太:あのですね。ご隠居と若旦那とおつるさんは、今、草津へ行っちゃってるんです。
>八:なんだと? 揃(そろ)って温泉に浸(つ)かりに行っちまってるってのか?
>与太:はい。・・・だから、無理なの。
>八:それじゃあ、お前ぇが任されてるってことじゃねえか。そんなら良いだろううよ。
>与太:それだからこそ駄目なんじゃないですか。ちゃんと帳面に付けて、戻った数次さんに見せなきゃなりませんから。
>八:そんなのなんとでも言いようがあるじゃねえか。傷み始めちまったから半値で売っちまったとかよ。
>与太:八つぁんは、あたいに嘘を吐(つ)けって言うんですか? そりゃあ、あんまりです。
>八:ちょちょ、ちょっと待てよ。何もそうまでして値切ろうってんじゃねえんだよ。な?
>与太:それじゃ、5つ一山で40文(=約800円)です。毎度ありぃ。
>八:ちぇっ。ご隠居に酒の肴(さかな)でも集(たか)ろうと思ったのによ。余計に払わされることになろうとはな。
>与太:余計じゃないでしょう。ちゃんとした値なんですからね。
>八:分かったよ。

その夜、お花は無事に女の子を出産した。
万吉と千吉の長屋には振る舞い酒と膳が用意されており、熊五郎とお咲が長屋の住人を持て成していた。
知らされていなかった八兵衛は、胸が一杯になり、飲もうにも殆(ほとん)ど喉(のど)を通らないありさまだった。

それでも、八兵衛にはこの上ない幸せな宵(よい)だった。

それから2日して、「一黒屋」の数次から祝いの品が届けられた。
草津から戻ったご隠居たちに、与太郎が出産のことを伝えて呉れたらしい。
世の中というものは、欲を掻くとんしっぺ返しを食らい、無欲でいると報(むく)われたりするものである。
(第39章の完・つづく)−−−≪HOME