324.【て】 『椽大(てんだい)の筆(ふで)』 (2006.02.27)
『椽大の筆』
垂木(たるき)のような大きな筆という意味から、転じて、立派な文章のこと。堂々たる大文章。
類:●椽筆(てんぴつ)
出典:「晋書−王c伝」「c夢人以大筆如椽与之」 東晋の王c(おうじゅん)が、垂木のような大きな筆を与えられた夢を見た。程なく孝武帝が崩御し、その弔辞(ちょうじ)や諡号(しごう)を定める文章を書くことになった。後に、王cは、「大手筆(だいしゅひつ)」と称された。
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翌日、お咲はあやの文(ふみ)にあった2人を訪(たず)ねてみることにした。
先(ま)ずは、あやのところに寄って、それぞれの住まいがどこかを聞いてみないことには始まらない

>あや:お十三(とみ)さんの知っているっていう人は、「お須美(すみ)」ちゃん。友助さんの方は、「おみな」ちゃん。
>咲:何をしてる家(うち)の娘さん?
>あや:虫売りに、飛脚(ひきゃく)だって。変わってるでしょう?
>咲:虫売りって、秋だけでしょう? ちゃんと食べていけてるの?
>あや:わたしも気になって聞いてみたの。冬には凧(たこ)、春は鳥籠(とりかご)、夏は苔(こけ)や羊歯(しだ)なんかも売ってるんですって。手広いのね。
>咲:そのお須美さんって人も手伝っているの?
>あや:そうみたい。でも、あまり実入りが良くないから、できることなら別のことをやってみたいって。
>咲:ふうん。・・・もう1人のおみなさんの方は?
>あや:暮らし向きはそう悪そうじゃないんだけど、お父つぁんがそろそろ年だから心配だって言ってたわ。
>咲:こっちはもう暫(しばら)く平気そうね。
>あや:平気かどうかは、良く聞いてみなくちゃ分からないわよ。
>咲:だって、飛脚なら、それを取り纏(まと)める元締めみたいな人がいるんでしょう? それなら、走れなくなったって面倒を見て貰えそうじゃない。それに、友助さんの下にいたって言うんなら、兄さんは両替商でしょう? 余裕(よゆう)余裕。
>あや:そうね。それじゃあ、先におみなちゃんの方へ行ってみる?
>咲:そうしようかな。「もう別の人に決まっちゃったの」なんて言い出せないもんね。
>あや:話し方は任(まか)せるわね。でも、角を立てないようにね。友助さんの顔も立てとかないといけないから。
>咲:合点(がってん)でい。
>あや:うふ。すっかり、大工さんみたい。
>咲:それを言うんだったら、「若女将(おかみ)みたい」って言って貰いたいものだわねえ。

おみなの家は牛込北町の方にあった。お町の家から然程(さほど)遠くない。
お咲が「おみなさんはいらっしゃいますか」と呼ぶと、「はーい」と、明るい声が返ってきた。
直ぐに障子が開き、快活(かいかつ)そうな娘が現れた。

>みな:源五郎親方のところの方ですか?
>咲:はい。お咲といいます。
>みな:あら、鉄漿(おはぐろ)? ・・・まだお若いわよね。あたしより2つ3つ下かしら?
>咲:19(=数え)です。
>みな:まあ。5つも違うのね。そうは見えないわ。あたしなんかより、よっぽどしっかりしていそうだもの。
>咲:まあ、お上手ね。・・・あやさんから、大体のところは聞いてると思いますけど・・・
>みな:じゃあ、使って貰えるの?
>咲:あの、もう1人のところには、これからなの。両方と会ってからでも構わないかしら?
>みな:そりゃもう、こっちはお願いしてる方だもの。我が儘(まま)は言えないわ。
>咲:御免なさいね。思わせ振りだけはしたくないもんで。
>みな:そうね。その方があたしも良いわ。後から当てが外れたってことだと、好い気がしないものね。

>咲:・・・それで、2、3聞いても良いかしら?
>みな:どうぞ。
>咲:お父さんが飛脚で、お兄さんが両替商。別に暮らしに困っているとは思えないんだけど。
>みな:こんなご時勢だもの、困ってない訳はないんだけど、まあ、まだ家はゆとりがある方かな?
>咲:それじゃあ、なんで?
>みな:だって、あそこで働くと、好い人と一緒になれるって評判なんだもの。
>咲:そんなこと、どこで聞いたの?
>みな:そこら中よ。ここいらの行き遅れの娘なら誰だって知ってるわ。
>咲:そうなの。そんなことになってるとは知らなかったな。
>みな:あなたも少し働いてみたらどう? 好い人に会えるかもよ。
>咲:あ、そういうことならあたしは良いのよ。もう沢山(たくさん)。
>みな:そうよね。ご亭主があるんだものね。
>咲:あたしも、偶(たま)に手伝ってたのよ、「だるま」。
>みな:そうなの? それじゃ、本当にご利益(りやく)があるんだ。凄(すご)いわね。
>咲:好い人かどうかは、なんとも言えないけどね。
>みな:またまたぁ。お惚気(のろけ)?

詳(くわ)しく聞いてみたら、「だるま」の看板娘の話は、瓦版(かわらばん)に小さく載っていたということだった。
「背の高い人が配ってたの」と言っていた。太助に間違いなさそうである。
お咲の好奇の心がむくむくと頭を擡(もた)げてきた。

>咲:何が書いてあったの?
>みな:この前来て呉れた人の名前が、一番最初に書いてあったと思ったけど。・・・ええと、春だか夏だかって人と、草だか花だかって人でしょう、それと、お町さんのことが出てたわ。
>咲:知ってるの、お町さんのこと?
>みな:そりゃ、あんだけの器量だもの。ここいらの人なら誰だって知ってるわよ。年も、あたしと1つしか違わないし。
>咲:そうなの。・・・こりゃ難しくなってきたわね。お町さんの知り合いとなるとなあ・・・
>みな:でも、そんなに親しい訳じゃないから。家のお父つぁんったら、あんまり人付き合いが上手い方じゃなくって。
>咲:それは午(うま)之助さんだって似たり寄ったりなんじゃないかしら?
>みな:そんなことはないんでしょうけど。・・・あ、そうだ、あの瓦版、あたし2枚持ってるから1枚あげるわね。

おみなはごそごそと行李(こうり)を引っ掻き回して、瓦版をお咲に渡した。
「どうぞ良しなに」と頭を下げてから、障子を閉めた。
お咲が読んでみると、確かに隅の方に小さく記事が出ていた。
『縁結びの近道、縄暖簾(なわのれん)の看板娘』などと書いてある。
よくよく見れば、お咲の名前も申し訳程度に載っているではないか。

お咲は、右の見出しに大書(たいしょ)してある文字を見て驚いた。
『ばくち打ちを縛(ばく)に、八州廻(はっしゅうまわ)り』などという文字が躍(おど)っている。
「蛟(みずち)の太郎兵衛、遂(つい)に捕まる」などとも書いてある。
これは大変だとばかり、お咲は、内房正道(うちぼうせいどう)のところへと駆け出した。

>咲:ご、ご、ご隠居様、これ、こ、これは、ほんとうなの?
>内:なんですか、若いご新造(しんぞう)さんが大慌てで。
>咲:はしたないのは百も承知です。でも、太郎兵衛が捕まったって、ほんとのことなの?
>内:本当ですが、違います。
>咲:どういうこと? 何を言ってるんだか分からないじゃないの。
>内:「太郎兵衛」という男は捕まりましたよ、確かに。ですが、淡路(あわじ)屋の太郎兵衛とは似ても似付かぬ小者(こもの)です。
>咲:へ? そうなの?
>内:はい。ちょっとは関わりがあったようなので、調べているところだと聞いていますよ。でも、大事なことは、どうせ聞き出せないでしょう。

>咲:それじゃあ、なんでこんなに大きく書いてあるの?
>内:餌(えさ)ですよ。
>咲:餌?
>内:瓦版を見て、慌(あわ)て出す者が出てくるかも知れません。
>咲:あたしみたいに?
>内:そうですよ。お咲さんや熊さん、八つぁんが来て呉れれば、あたしの話し相手になって貰えます。お役人がざわつき始めれば、お奉行がにんまりします。小者どもが騒(さわ)げば、八州廻りの手柄(てがら)が増えます。若年寄が狼狽(うろた)えれば、・・・いえ、これは無理でしょうかね。
>咲:そう美味く行くかしら?
>内:現に、お咲さんは来て呉れたじゃありませんか。ちょっとばかし、小技を利かせましたがね。
>咲:「看板娘」っていう奴ですか?
>内:まったく、太助どんも剽(ひょう)げてますね。「おいらにもご利益がないかな」ですって。・・・勿論(もちろん)、飲み食いをさせて呉れないかなということですが。
>咲:お嫁さんが欲しいっていうんじゃないところが、太助どんらしいわね。

>内:そんな訳で、瓦版はあちこちにばら撒(ま)くようにしています。今日辺りは、甲州への街道筋に行ってます。明日は中山道(なかせんどう)、そして日光街道。
>咲:でも、なんだかこれを読んでると、この「蛟の太郎兵衛」ってのが物凄い大親分みたいに読めちゃうんですけど。
>内:そうでしょう、そうでしょう。何を隠そう、今売り出し中曲亭馬琴という者に書かせているのです。
>咲:ええ? そんなことまでしたんですか?
>内:内緒ですが、あたしが会ってみたかったのですよ。結構好きなんです。
>咲:はあ?
>内:「この次は、室町時代のものでも手掛けてみようかな」などと言っていました。楽しみですねえ。
>咲:なんだか、気が抜けちゃったな。・・・それじゃ、「だるま」の親爺(おやじ)さんに話だけはしときますよ。太助どんにちょっと飲み食いさせてあげてって。
>内:お町さんの後が決まってからで構いませんよ。
>咲:え? なんでご隠居様がそんなことまで知ってらっしゃるんですか?
>内:耳は遠いですが、地獄耳なんです。殊(こと)に、あなた方に関わることにはね。
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