313.【つ】 『鶴(つる)の一声(ひとこえ)』 (2005.12.05)
『鶴の一声』
衆人(しゅうじん)の千言(せんげん)を一言で鎮(しず)めるような、優れた者の一声。また、多くの人を否応(いやおう)なしに従わせる有力者や権威者の一言。
類:●雀の千声鶴の一声
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やがて、熊五郎とお咲もやって来た。
太助が食べているおからの丼(どんぶり)は2杯目だと聞いて、「やっぱりな」と肩を落とした。

>熊:だから言ったじゃねえか。先に行かせると、こういうことになるってよ。
>咲:だって、「1杯分だけよ」って言ってあるんだもん。過ぎた分は、八つぁんにでも出して貰いましょうよ。
>八:お、おい。そりゃぁねえよ。おいらの飲み食いが少なくなっちまうじゃねえか。
>熊:元はと言えば、お前ぇが引き受けちまったことなんだからな。
>八:あれ、そうだっけ?
>熊:何を惚(とぼ)けてやがるかね。・・・なあ、太助よ。
>太:・・・。
>熊:やい、太助。
>太:はあ? ・・・ああ、熊さん。いつの間に来てたんだい?
>熊:まったく困った奴だね。・・・お前ぇ、あとどれくらい飲み食いしようってんだ?
>太:そうだね。あと、烏賊(いか)と大根の煮付けだろう、金平牛蒡(きんぴらごぼう)だろう、そんでもって、茶漬けとお新香(しんこ)ってとこかなあ? あ、茶漬けは2杯ね。
>熊:そんなに食うつもりなのか?
>八:こりゃ魂消(たまげ)たね。何が魂消たって、銭もねえってのに良くそんだけ図々しくできるってことだな。
>太:だって、勝手に腹が減っちまうんだから仕方ないよ。
>八:そこを我慢(がまん)するのが男ってもんだ。言うだろう、「のっぽは食わねど高楊枝(たかようじ)」って?
>熊:「武士は」だっての。

>三:あの。聞かれる前に言っときますが、おいらは余分な銭なんか持ち合わせちゃいませんからね。
>熊:そんなの言われなくたって分かってら。こっちだって、自分が飲み食いしたのより高い銭なんて払いたかねえや。
>咲:あたしだって、おから1杯分しか払う気ないからね。
>太:おいらは持ってませんから・・・
>八:分かった分かった。分かったからもう黙(だま)りやがれ。・・・太助、食う方は食わしてやる。
>太:良いんですか、八兵衛様?
>八:こいつ急に丁寧(ていねい)になりやがったよ。現金な野郎だぜ。・・・その代わり、酒は我慢しろ。
>太:うーん。・・・背に腹は替えられないってことですか? ちょっと惜(お)しい気もしますが、今日のところは我慢しちゃいます。でも、おいらが明日(あした)華々しい働きをしたら、酒も茶漬けもいただきますからね。
>八:お前ぇが「華々しい」働きなんかできるかっての。でも、まあ良いや。そういうことにしておこう。
>太:うふ。明後日(あさって)が楽しみだな。
>熊:明日がどうなるかなんて、分かったもんじゃねえっての。

ところが、である。翌日に、太助が手柄(てがら)を立てることになる。
一夜明けて、前の日と同じようにお咲と太助が「田伯楽」を張り込んでいると、幹次郎に従(したが)って荷車が入ってきた。
5つ半(=9時頃)のことである。

>太:お咲ちゃん、あれが砂糖なんだな、きっと。
>咲:抜け荷の?
>太:なんだか、お武家様みたいだな。そうすると、抜け荷じゃないんだな。
>咲:それじゃあ、なんなの?
>太:うーん。・・・分かんない。
>咲:後を付ければ分かるかもね。どうする?
>太:ご馳走(ちそう)のためなら、仮令(たとえ)火の中水の中
>咲:心強いんだか、情けないんだか・・・
>太:ようし、頑張るぞーっ。

程なく、荷車を引いてきた武士2人が出てくると、お咲たちは目立たぬようにその後を付けた。
2人ともまだ若く、どうして「田伯楽」に遣(や)らされたのかも分かっていないようである。
途中、人気(ひとけ)が少ないところに大八車を停(と)めると、懐(ふところ)から紙包みを取り出して、まだ湯気が立っている田楽(でんがく)を食べ始めた。
お咲の制止も聞かず、太助はつかつかと歩み寄り、2人に声を掛けた。

>太:お武家様ぁ、とっても端(はした)ない話なんですけど、1つ恵(めぐ)んでいただけないかな?
>武1:なんだ、お前は?
>太:太助ってもんなんですけど、昨夜(ゆうべ)からなんにも食ってないんだな。ふらふらで、もう歩けないんだな。
>武2:まあ、怪(あや)しい者ではなさそうだな。
>武1:田楽では滋養(じよう)も何もないぞ。
>太:腹の足(た)しになれば、一先(ひとま)ず、なんとか凌(しの)げるんだな。頼みます、後生(ごしょう)ですから
>武2:まあ、たくさんあるから、1つ2つやっても構うまい。そもそも、武士の食するものではないからな。
>武1:そうだな。・・・芋(いも)と蒟蒻(こんにゃく)とがあるが、どちらを所望(しょもう)か?
>太:できましたら、両方1つずつ・・・
>武1:そうか。それでは食すが良い。
>太:有難う御座います。それでは・・・
>武2:・・・これは、余程(よほど)腹を空かしていたらしい。貪(むさぼ)るように食べておる。
>武1:2本だけで、足りるのか?
>太:もごもご・・・。
>武1:ん? なんだ?
>武2:指を2本立てているということは、あと2本欲しいというのではないのか?
>武1:おお、頷(うなず)いておる。・・・それなら、食すが良い。
>武2:ほう。見事(みごと)な食べっぷりであるな。・・・おお、もう食べ終わってしまったぞ。

>太:た、助かったんだな。これでどうにか、生き長らえられたんだな。どうも、有難う。
>武1:こちらとしても、面白いものを見せて貰った。・・・さ、もう良かろう。さあ、往(い)ね。
>太:あのう、後でお礼に伺(うかが)いたいんだけど、どちら様か教えて貰いたいんだな。
>武1:良い良い。礼など要(い)らぬ。
>太:それは困るんだな。親父(おやじ)の言い置きで、人様に世話になったら必ず名と所を聞いておきなさいって言い付けられてるんだな。いつか偉(えら)くなって、お返ししなさいって言ったんだな。
>武1:そうか? ・・・なあ、どうする?
>武2:まあ、礼は要らぬがな。しかし、どうせ訪(たず)ねてくることはあるまい。
>武1:そうだな。・・・私は阿波(あわ)は徳島藩、進物役(しんもつやく)の那賀川圭一郎である。
>武2:同じく、進物役、寺井洋一郎である。
>太:あのぅ、徳島藩って、どこなのか知らないんだな。阿波ってのは遠いのかな?
>武1:阿波は四国だ。来られる筈がなかろう。芝の三田(みた)に江戸屋敷がある。
>太:あは、芝なら行ったことがあるんだな。四十七士なんだな。
>武1:まあ、その近くだ。・・・もう良かろう。
>武2:達者(たっしゃ)で暮らせよ。
>太:お有難う御座ぁい。

遣りようはどうあれ、聞き出せたことに違いはない。
お咲は太助を連れて家へ戻り、六之進のへぼ将棋(しょうぎ)に付き合わされていた「お付きの者」に事情を説明した。
「おお、それは有り難い」と言って、勇(いさ)んで坂田太市の元へとすっ飛んでいった。半(なか)ば、逃げるように。

>六:なんだ。もう少しで勝っておったのに。
>咲:将棋なんかをしている場合じゃないでしょう? 献上品の横流しなのよ、横流し。
>六:それでは、この一件を操(あやつ)っていたのは、その外様(とざま)大名だったということなのだな?
>咲:違うわよ。
>六:どこが違うのだ?
>咲:太助どんとも話してきたんだけど、四国の小さい藩が日本橋の土地を買い漁(あさ)ったって仕方ないでしょう?
>六:屋敷を建てて、土地のものを売るとかいうのではないのか?
>咲:違うと思うわ。・・・もしかすると、「銀座」かも知れないんだって。5年前に日本橋の近くの蛎殻町(かきがらまち)に移したんですってよ、知ってた?
>六:知らんが。それに、どうして銭作りなど?
>太:阿波の国では銀が取れるんだな。
>咲:誰かが、銀をちょろまかそうとしてるんじゃないかってこと。
>六:ふむ。確かに動く銭は莫大(ばくだい)であるな。・・・して、それは誰なのだ?
>咲:そんなとこまで分からないわよ。分かったのは、唯(ただ)、口実(こうじつ)に「田伯楽」の名前を使ってるだけだろうってこと。
>六:そうすると、やっぱり、目当ては銀座ということか。
>咲:そう。それで、こんな大掛かりなことをしようっていうからには、相当偉(えら)い人が糸を引いてるんだってことよ。やくざ者だって、「行ってこい」って一声掛けたら「はいはいーっ」て二つ返事で動かせちゃうって訳。
>六:それでは、儂(わし)らは、もうこれ以上立ち入れぬことになるな?
>咲:そういうこと。後は、太市の小父(おじ)様に任(まか)せるだけ。
>太:そんでもって、おいらは、ご馳走に有り付くだけってことなんだな。うふっ。

確かに、ちゃんと方が付くのなら、今回の功労者は太助ということになる。
釈然(しゃくぜん)とはしないけれども。
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