269.【た】 『太公望(たいこうぼう)』 (2005.01.31)
『太公望』
太公望の釣りに関する故事から、釣りをする人。釣り好きの人。
故事:史記−斉世家」 周の文王が、渭水で釣りをしていた呂尚(りよしよう)を見て、「吾が太公(祖父、古公亶父(ここうたんぽ))、子(し)を望むこと久し」と言ったという。
人物:太公望(たいこうぼう)・呂尚(りょしょう)・姜子牙(きょうしが) 中国、周の政治家。春秋時代斉の始祖。姓名、呂尚。字は子牙。号は飛熊(ひゆう)。生没年不詳。渭水(いすい)で釣りをしていて文王に見出されてその師となり、文王、武王を助けて殷を滅ぼした。周の祖太公が待ち望んでいた賢者という意味で、太公望と名付けられた。『三略』『六韜』の撰者という。
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翌日源五郎は、根塚厳ノ輔(ねづかごんのすけ)に、上がり框(がまち)のことを話してみた。
厳ノ輔は、暫(しばら)く考えさせて欲しいと言った。
「20畳と3寸の隙間」として考えていたところに、「17畳半と上がり框」と切り出されて、少々面食らったということもあった。

>厳:17畳半にするとは、思いも寄りませんでしたな。ふむ。それでしたら敷居の3寸のことは一遍(いっぺん)に片付いてしまいますな。
>源:居間を通り抜けてぞろぞろ通るよりはと思いやして。
>厳:それも有り難い限りです。年を取りましたのでな、一々立ったり座ったりさせられるのは億劫(おっくう)ですからな。
>源:それでは、これで掛からせていただいてもよろしいですかい?
>厳:ちょっと待ってください。
>源:何か支障がありますんで?
>厳:この部屋だけのことなら、それで良いのです。しかし・・・
>源:しかし?
>厳:そうすると、庭側の隣の部屋の襖(ふすま)は3枚襖になりますな?
>源:へい。そういうことになります。
>厳:その3枚目の襖の寸法を、3寸短く変えなければなりませんのか?
>源:か、勘定(かんじょう)すると、そういうことになっちまいますね。差し障りがありますかい?
>厳:実は、ありますのじゃ。3枚にすることはなんでもないことなんですが、幅を短くするのは、ちと困ります。・・・まあ、見て貰った方が早そうですな。こちらへどうぞ。

襖のあちら面には、魚拓(ぎょたく)が貼られてあった。
3方の襖の都合12枚に、12枚の魚拓が、丁度目の高さに来るように貼り付けられていたのである。

>八:こ、こりゃあ、でかい。全部ご隠居さんの獲物(えもの)で?
>厳:はは。若気(わかげ)の至りですよ。ですが、奥の正面のものは、この夏に仕留めたものです。あのときは付いていました。大漁でしてな。ご近所に配っても山ほど余ってしまいました。
>八:そいつは勿体ない。そういうときこそ、おいらに声を掛けて貰いてえもんです。
>厳:そうですか。魚は好きですか。それでしたら、今度は是非(ぜひ)そうさせていただきますよ。
>八:有り難(がて)え。・・・ねえご隠居様、次はいつ行きなさるんで?
>厳:寒くて敵(かな)いませんからな。
>八:でも、寒いときの方が美味(うま)いのが多いですぜ。「いなだ」なんてのは釣らねえんですかい?
>厳:若い頃はやりましたよ。脂(あぶら)が乗って美味しいですね。
>八:分厚く切ったのを、山葵醤油(わさびじょうゆ)にちょいと浸(つ)けて・・・ああ、堪(たま)んねえ
>厳:お酒にも合いますね。
>八:おっ、ご隠居さんも行ける口ですかい?
>厳:魚(さかな)釣りが下戸(げこ)でどうしますか。船にでも酔っていろとでも言いますか?
>八:こりゃあ良い。話が分かるご隠居様で良かったですよ。そのうち一遍ご相伴(しょうばん)に与(あずか)りてえもんです。
>厳:そういう話なら、喜んで。

>源:するってえと、この魚拓のために、襖は縮められねえと?
>厳:そうなのです。尻尾を切る訳にはいかないでしょう?
>源:そりゃ、そう、・・・なんでしょうねえ。
>厳:釣り仲間に見られでもしたら、指を差して笑われてしまいます。風上にも置けないってね。
>源:そうですか。それはいけませんねえ。別の方策を考えねえと・・・
>四:・・・あの。ちょっと考えたことがあるんですが、聞いて貰っても良いですか?
>源:なんだ、言ってみろ。
>四:おいらが考えたのは、襖絵を曝(さら)しっ放しにしてると日に焼けて色が変わっちゃうんじゃないかってことなんです。
>源:それとこれとが、関わりでもあるのか?
>四:はい。それでこう考えたんです。「襖絵の前に障子を付けてやった方が良いんじゃないか」って。
>源:それってのは、敷居をなくしちまうんじゃなくって、奥へ持ってっちまうってことか?
>四:はあ。余計なことでしょうか?
>厳:いえ。それは大変良いです。それなら、絵をいつまでも綺麗なままに保てます。それに、大切に守っていると見せることで、襖絵の有り難味も増すというものです。
>三:そりゃあ、一石二鳥ですね?
>五六:「ご開帳(かいちょう)ーっ」なんて言ってみたりしてですかい?
>厳:そこまではしませんよ。ご仏像ではないのですからね。
>八:でも、そういう風にすれば、賽銭(さいせん)を置いていくのも出てくるんじゃないですか?
>厳:態々(わざわざ)見に来てくだすったお客様から銭金など取れませんよ。
>八:でも、こっちは、見たいから来るんでしょう? ちっとくらいの見料(けんりょう)なんか安いもんじゃないですか。
>四:幾らか溜まったら、絵師の先生にもう1枚描(か)いて貰うっていうのはどうですか? そうやって増えていけば、見に来る方も喜ぶし、絵師の先生だって暮らしが楽になるんじゃないでしょうか?
>厳:ふむ。そういうことですか。・・・うーん、そういうことでしたら、考えてみる価値はありそうですね。

厳ノ輔は、四郎の言ったものを最良の策と結論付けた。
どうやらこれで仕事に掛かれそうである。
準備に取り掛かるために、今日のところはと、根塚邸を辞(じ)した。

五六蔵と熊五郎は、経過報告ということで、藺平(いへい)のところへ向かった。

>藺:よう。どうしたい?
>五六:お陰さまで旨(うま)く行きやした。
>藺:そうかい。そりゃあ良かったな。
>五六:20畳になるところを17畳半にするってことで、話が纏(まと)まりやした。お義父(とっ)つぁんには申し訳ねえんでやすが、1枚を半分に仕替えて貰う仕事しか回せやせん。
>藺:そんなの気にするなよ。俺は、お前ぇたちが納得(なっとく)のいく仕事をするってことの方が嬉しいんだ。俺の方のことなんか考えるこたぁねえ。
>五六:済いやせん。
>熊:・・・それで、藺平父つぁん。ちょいと知恵を貸して貰いてえんです。
>藺:俺で足りるんだったら一緒に考えてやるぜ。言ってみな。
>熊:へい。今度の件の根塚ってご隠居様なんですが、どうやら釣りに目がねえってお人らしいんで。
>藺:ほう。そりゃまた、優雅だねえ。
>熊:それで、ご隠居様が喜びそうなものってのがなんかねえか考えてるんですが、おいらたちにゃ、見当(けんとう)も付かねえんで。
>藺:成る程。釣り好きの人ねえ。うーん。・・・竿(さお)さえありゃ良いんだろうがなあ。
>五六:そりゃそうかも知れねえですが、竿の良し悪しなんか、あっしらにゃ分かりやせんからね。
>藺:でもまあ、頼まれたからって訳じゃねえんだろう? そんなら、ほんの気持ちで良いんじゃねえのか?
>熊:例えば、どんなもんでしょう?
>藺:そうさな、畳表(たたみおもて)で座布団みてえなのを作ってやろうか? 濡(ぬ)れたって直ぐに乾くし、軽いから持って歩くのも大変じゃねえぞ。
>熊:そんなこともできるんですか?
>藺:そんなの訳(わけ)ぁねえ。柔らかいのが良いんなら藁(わら)を詰めてやったって良い。どうせちょん切った半畳は捨てちまうんだしな。
>熊:そいつで十分です。
>五六:ご隠居様が気に入ってくだすって、欲しいって客が一杯来ちまったらどうしやす?
>藺:はっは。そりゃあ良い。そうなったら、藺草作りの百姓たちの、良い内職になる。願ってもねえことだ。

仕事の目処(めど)も立ったし、留守(るす)中に次の仕事の話も舞い込んできていた。
明日からは二手に分かれてそれぞれの現場に向かうことになった。
八兵衛、五六蔵、四郎が根塚邸へ、源五郎と熊五郎、三吉が別の方へということになった。
友助は、材木の調達と、その他の手配で飛び回ることとなる。

>源:また明日っから忙しくなるな。
>八:やっぱり、こうでないといけませんやね。ぼうっとしてると、折角(せっかく)のおいらのお頭(つむ)が無駄(むだ)になっちまいますもんね。
>熊:何が「物識(ものし)り」だ。結局考えたのは、藺平父つぁんと友さんと四郎だけじゃねえか。
>八:そんなことあるか。おいらだって欄間(らんま)のことを考えたじゃねえか。
>熊:ご隠居様は、「考えとく」って言っただけじゃねえか。
>八:そう言って見せてるだけだっての。お前ぇらの目の前で決めちまったら、おいらを依姑贔屓(えこひいき)してるみてえだからって、憚(はばか)っただけだ。最後には、どうせ決めてくださるんだよ。
>熊:どうだか。
>八:それにしてもよ、楽しみじゃねえか。2尺(=約61センチ)近い大物が食えるかもしれねえんだぞ。
>熊:そういつもいつも大物が掛かるかってんだ。
>八:だってよ、これまでに12匹も掛かってるんだぞ。次に行くときに掛かったって可笑(おか)しくねえ。
>熊:60年で12回とすると、えーと、5年に一遍って勘定になるんだがな。
>八:なんだと? するってえと何か? 次は5年後ってことなのか?
>熊:そんなこと、おいらに分かるかってんだ。釣られる魚にでも聞いてみろ。
>八:魚が喋(しゃべ)るかってんだ。そもそも、喋りに寄ってくるってんなら、喋る前に、手掴(てづか)みで獲(と)っちまうがよ。
>熊:喩(たと)え話だっての。
>八:分かってるってんだ。・・・でもよ、こんな話をしてたら魚が食いたくなっちまったな。どうだ? 身欠き鰊(にしん)でも食いにいかねえか?
>熊:「だるま」にゃ、あるときと、ねえときがあるからな。
>八:そうか。鰊がなけりゃ、目刺しでも良いや。
>熊:また、随分と安くなっちまったね。
>八:こうなりゃ、尻尾(しっぽ)があって鰭(ひれ)が付いてるもんならなんでも良いや。良く言うだろ? 「鯛(たい)に尾鰭が付いてる」ってよ。
>熊:まったく、どこが物識りだってんだ。講釈(こうしゃく)するのも馬鹿馬鹿しくなってくるぜ。
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