262.【そ】 『総領(そうりょう)の甚六(じんろく)』 (2004.12.13)
『総領の甚六』
長子は次子以下に比べておっとりしている。長男または長女は、大事に育てられるので、弟や妹に比べるとお人好しで愚鈍だということ。
参考:甚六は「順禄」から出た言葉で、愚かな長子を意味する。
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八兵衛と四郎は、旅籠(はたご)の昼食を鱈腹(たらふく)食べて、茶までご馳走(ちそう)になってから席を立った。
源五郎たちのところへ辿(たど)り着いたのは、9つ半(13時ころ)時分だった。

>八:親方ぁ、遅くなりましたぁ。
>熊:お前ぇ、いつまで掛かってやがるんだ? もう日が暮れちまうぞ。まったく、油を売るにも程がある
>八:そうか? だってよ、腹が減っちゃ戦(いくさ)はできねえって言うだろ? 飯は食わねえとな。
>熊:出掛けたのは朝っぱらで、十分な朝飯(あさめし)も食っただろう?
>八:ご隠居のとこまで行って帰ってくるのって、結構遠いんだぞ。1食じゃ足りねえだろ?
>熊:足りるってんだ。普通の腹ならな。
>八:そんじゃよ、おいらの腹は普通じゃねえんだな、きっと。なあ、四郎?
>四:八兄いったら、おいらが残した飯とかお吸い物まで平らげちまったんですよ。
>八:「もう食えねえ」って言ったのはお前ぇじゃねえか。
>四:普通の腹なら、あれくらいが丁度良い量なんです。
>八:そうか? おいら、もう1膳(ぜん)食えってんなら食えたぞ。・・・それにしても、美味(うま)い鱈(たら)だったな。
>熊:そんなもん食ってきやがったのか? お前ぇには勿体(もったい)ねえな、まったくよ。
>八:なんだ? お前ぇも食いたかったのか? そんじゃよ、今度は四郎じゃなくって熊と行ってくるとするか?
>熊:そういうことじゃねえってんだ。・・・ま、どうでも良いから、内房のご隠居様の話を、親方にご説明申し上げろ。

>八:ああ、そうだな。でもよ、そういうことは四郎の方が巧いから、特別に四郎に話させてやるよ。
>四:おいらが話すんですか?
>八:鱈を食わしてやっただろ? 鱈の分の働きぐらいしろ。
>四:そういう言い分はないと思うんですけど。・・・仕方ないですねえ。分かりましたよ。
>八:分かればよろしい。
>熊:何が「分かればよろしい」だ。面倒なことは全部四郎におっ被(かぶ)せてよ。仕舞いには「ちょいと昼寝を」とかなんとか言い出すんじゃねえだろうな?
>八:そんなこと言うかっての。こう見えてもな、ことの重大さくらい分かってるんだからな。

とは言ったものの、四郎が話し始めて四半時(しはんとき=30分)としないうちに、こっくりこっくりと舟を漕(こ)ぎ始めた。
源五郎も「もう良い。放っておけ」と、呆(あき)れ果てたようである。

>四:それでですね、その百屋(ももや)というのが抱(かか)え込んだまま放さないんだそうです。
>源:そうか。しかし、上州(じょうしゅう)か、遠いな。
>五六:遠いからって、指を銜(くわ)えて見てるだけには行かねえでしょう?
>源:うーん。難しいところだよな。
>五六:あっしが行ってきやしょう。田舎(いなか)の追分(おいわけ)からすりゃ近いもんでやすよ。
>熊:ま、待てよ。お前ぇが1人で行ったって片付くとは限らねえんだぜ。
>源:熊の言う通りだ。もうちっと考えようじゃねえか。
>五六:へい。そりゃ、考えなしに飛び出してくのがつまらねえことだってのは分かりやす。・・・ですがね、半公が困っちまってるじゃねえですか。少しでも早くなんとかしてやりてえんです。
>半:五六蔵、お前ぇ・・・
>五六:そ、そういうんじゃねえからな。なんてったって一等困るのは大工なんだからよ。そ、そういうこったよ。

>半:分かってるって。・・・そんで親方、なんか打つ手はねえんですかねえ?
>源:そうさな。・・・四郎、それで、ご隠居さんはその話、誰から聞いたんだって?
>四:家島(いえじま)様だそうで。
>源:寺社奉行所まで関わってるのか?
>四:いえ。お兄さんの小豆(しょうど)様から「妙なことになってるようだが、誰かに報告しておいてくれぬか」って頼まれたそうなんです。それで、ご隠居様を通して上の方(かた)へ知らせて貰おうとしたようです。
>熊:上の方ってえと? 真逆(まさか)・・・
>四:はい。あの「斉(なり)ちゃん」のようなんです。
>源:それで、ご隠居さんは、ご注進(ちゅうしん)奉(たてまつ)ったのか?
>四:まだだって言ってました。「あの方とてそう暇ではないのです。こんなことを知らせようもんなら、大事(おおごと)になります」とのことです。
>熊:そりゃあ、職人の困りごとの一々になんか拘(かかず)らっていられねえやな。
>源:そういうことじゃねえんだろう、四郎?
>四:親方のお考え通りです。政(まつりごと)など放ったらかしにして、喜び勇(いさ)んで城下に繰り出してくるでしょうからって言って、溜め息を吐(つ)いていらっしゃいました。
>熊:そういうことか。成る程ね。そうとなりゃ、また、「八つぁんは困っておるのか?」なんてことになっちまう。
>半:斉ちゃんってのは、いつぞやの紅葉(もみじ)狩りんときの変梃(へんてこ)な奴だろ? 一体(いったい)何者なんだい?
>熊:ま、まあ良いじゃねえか。小(ちい)せえことは気にするな。な?

半次は納得(なっとく)し兼ねている風であったが、源五郎が慌てて話を戻した。

>源:それで、ご隠居さんはこれからどうするって?
>四:へい。江戸の材木問屋の中に、百屋を焚(た)き付けてるところが、あるのかないのかを確かめたいと。
>熊:そんなのが、いるってことかい?
>四:どうでしょう? おいらにはなんとも。
>源:いねえことを願うしかねえな。・・・まあ、どっちにしろ、百屋が1人でやってることじゃなさそうだっていうのが、ご隠居さんの読みだってことだな。
>熊:江戸にいると?
>源:十中八九(じっちゅうはっく)な。材木問屋か、普請(ふしん)方の役人か、将又(はたまた)若年寄か・・・
>熊:堀田摂津守(ほったせっつのかみ)でやすか?
>源:或いはな。・・・だが、若年寄が直(じか)に百屋と繋(つな)がっているとは思えねえ。必ず間に誰かが入る。
>熊:するってえと、銭を儲(もう)けて、そんでもってもしかすると、その何某(なにがし)かを若年寄に納(おさ)めて、便宜(べんぎ)を図(はか)って貰おうってことですよね?
>源:飽くまでも、もしかすると、だがな。・・・だが俺にはどうも、そういう腹黒い奴が陰で糸を引いてるとしか思えねえんだ。
>四:ご隠居様がはっきりとは言わなかった訳は、そういうことがあってのことかも知れません。
>半:・・・やいやい、どうでも良いから、もっと俺にも分かるように話せってんだ。
>熊:まあ、そういうことは、追い追いな。追い追い。

四郎の話が終わったころになって、やっと、八兵衛が身震いと共に目を覚ました。

>八:あれ? おいら寝ちまったんですかい?
>源:良うく眠ってたな。
>熊:お前ぇには、切羽詰まってるってとこがこれっぽっちもねえのか?
>八:何を言ってやがるかね。お前ぇは芝居ってものを見たことねえのか? 主役ってもんは、最後の最後、一番良いとこで出てくるもんなの。
>熊:いっそのこと、最後まで眠ったままでいろってんだ。
>八:何をぉ? そんなこと言ってると、一番肝心なことを教えてやらねえぞ。
>熊:なんだ? まだそんなことがあるのか?
>八:あたぼうよ。どうせ四郎のこったから、まだ話してねえだろう? おいらみたいに切れもんじゃねえからな。
>熊:能書きはもう良いから、早く言いやがれ。
>八:昼飯を食いながら教えて呉れたんだがよ。百屋七右衛門ってのは出来が悪くってよ、12になるまで青っ洟(ぱな)を垂らしてたそうだぜ。それに比べて、弟の八右衛門は読み書き算盤(そろばん)なんでも御座れってもんだったんだとさ。
>熊:そんなことの、どこが肝心なことなんだよ。
>八:決まってんだろ? 弟の繁盛(はんじょう)振りが気に食わねえってんなら、弟と懇意(こんい)にしてるとこを抱き込んじまえば良いって考えるのと違うのか?
>熊:ほう。そう来たか。
>源:そいつは、面白いとこに気が付いたな。
>八:でしょう?
>熊:抜け作のことは、抜け作が一番知ってるってこったな。
>八:なんだと? おいらのどこが抜け作だってんだ?
>源:がたがた騒ぐな。・・・だがな、「牛は牛連れ」ってのも、強(あなが)ち、舐(な)めて掛かれねえもんだな。
>八:なんですかい、そりゃ? 新しい褒(ほ)め言葉ですかい?
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