243.【す】 『雀(すずめ)の涙(なみだ)』  (2004/08/02)
『雀の涙』
ごく僅(わず)かなものの喩え。非常に少ないこと。
 例:「雀の涙ほどの退職金」
類:●姑(しゅうとめ)の涙汁●蜂の涙ほど
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お十三(とみ)の母親の気持ちを動かしたのは、源五郎でもあやでもなく、赤ん坊の慶二だった。
終(しまい)いには、「あたしもこんな可愛い孫を抱いてみたいわ」などと言い出す始末である。
そうと決まれば話は早い。祝言(しゅうげん)の日取りやら準備する品物やらと、具体的な話へと進んでいった。
気が付いてみると、もう日が傾(かたむ)き始めていた。
そこへ「ご免くださーい。」という四郎の声がした。「うちの親方はお邪魔してませんか?」

>源:あ、いけねえ。あいつらのことをすっかり忘れてたぜ。
>あや:そうでしたわね。ちょっとくらい駄賃(だちん)を上げてくださいね。お目出度(めでた)ごとですから。
>源:そうだな。祝杯だもんな。・・・ちょいと失礼して、中座(ちゅうざ)させて貰いますよ。

源五郎は、お十三の両親に頭を下げてから、玄関口へ向かった。

>源:済まねえな、四郎。態々(わざわざ)来させちまってよ。
>四:いえ。このくらいでしたら、なんてことありません。・・・それで、友さんの方はどんなもんでしょう?
>源:すべて丸く納(おさ)まったよ。おっ母(か)さんも首を縦に振ってくだすった。
>四:それは良う御座いました。それじゃあ、早速(さっそく)兄いたちにお報(しら)せしねえと。
>源:ちょっと待て。
>四:は? はい。何か伝えることがありましたか?
>源:なんだ、あのな、八の腹踊りのことなんだがな。
>四:駄目(だめ)なんですか? おいらたちも楽しみにしてたんですが。
>源:そうじゃねえんだよ。ここの親父(おやじ)殿がよ、そういうことなら世話になってる然(さ)る大店(おおだな)のご隠居様にも見せてやりてえってんだ。
>四:そりゃあ良い。八兄いも喜ぶことでしょう。
>源:それがな、どこの誰とは言わなかったが、相当お年を召していなさるようなんだ。万が一ってことになりゃしねえかと、心配なんだよな、俺は。
>四:でも、前もって気を付けるように言っておけば大丈夫なんじゃないですか?
>源:八の親父のこともあるからなあ・・・
>四:親方、心配ばかりしてても始まらないですよ。
>源:うん。・・・そうだな。お十三ちゃんの親父殿には、呉れ呉れも良く説明しとくようにって言っとくしかねえな。

「小銭で済まねえが」と言って渡されたお捻り(ひね)には、小粒銀(=約7,000円)が2つ入っていた。
日頃は大金を持たない源五郎にしては、奮発(ふんぱつ)したものである。

>八:おい、これを見ろよ。銀だぜ。おっ魂消(たまげ)たなあ。「小さい粒の銭」には違いねえが、こりゃあ凄(すげ)え。
>熊:「だるま」でそんだけ飲むってのは、逆に至難の業(わざ)だぞ。
>八:なあに、みんなに振舞(ふるま)っちまえば良いのさ。半次に松つぁんにお咲坊に、その序(つい)でに六さんと。
>熊:お咲坊にゃ飲ますなってんだ。子供なんだからな。
>八:まあ良いじゃねえか。おいらの銭じゃねえんだしよ。だっはっは。
>四:友さんの方も巧く行ったようですので、万万歳ですね。
>八:残るはおいらだけってことか・・・
>三:おいらだって残ってるんですが。
>熊:こっちだってそうじゃねえか。勝手に自分だけになるな。
>八:良いの良いの。だっておいらは、もう親方に頼んじまってるんだからよ。順番から行くと今度はおいらの番。うっひっひ。
>熊:何がうっひっひだ。
>八:さてと、ささっと片付けて「だるま」へ繰り出そうぜ。

>四:あの、八兄い。親方がですね、腹踊りのことでちょっと心配してるみたいなんです。
>八:何をだ? そんなの一から十までおいらに任せとけば良いの。
>四:お十三さんのお父つぁんが世話になってるっていう、どこぞのご隠居様が見に来るそうなんです。
>八:どこの隠居だろうが構わねえよ。おいらの芸はよ、どこへ出しても恥ずかしくねえほど完成されているからな。
>四:それが、話によると、相当なお年寄りだそうでして・・・
>熊:おい八、そりゃあ気を付けといた方が良いぞ。
>八:どうしてだ?
>熊「親に因果が子に報い」って言うじゃねえか。
>八:なんだそりゃ? 「親の銀貨を子が盗む」だ? おいら、そんな悪いことなんかしやしねえぞ。第一、おいらのお父つぁんは、自慢じゃねえが銀の銭なんか握ったこともねえ。給金なんか碌(ろく)すっぽ貰ってなかったからよ。
>熊:そういうことじゃねえってんだ。

早めに片付けを済ませ、一行は「だるま」へやってきた。
三吉が、半次や六之進を呼びに行かされていた。慣れた道なら迷うこともないという訳である。

>亭主:おっ。なんだよ、まだ日が高えぞ。好い若いもんがこんな刻限に雁首(がんくび)を揃(そろ)えやがって。世間様がまだ働いてるって時に飲み始めるなんて、一体どういう料簡(りょうけん)だ?
>八:こちとら客だぞ。態々(わざわざ)来てやって銭を置いてってやろうってんだ。有難過ぎて泣けてくるだろう?
>亭主:何を言ってやがる。碌に物も食いやしねえで酒ばっかりじゃ、こっちは大赤字よ。
>八:そんなこと言うんだったらな、もう少し増しなものを出しやがれってんだ。一番美味いもんが胡瓜(きゅうり)味噌じゃあ仕様がねえだろう?
>亭主:良く言った。ようし、今日のは凄えぞ。浅蜊(あさり)の佃煮(つくだに)だ。どうだ、参ったか?
>八:どうせ誰かの手土産(てみやげ)だろう?
>亭主:な、なんでそんなことが分かる・・・
>八:親爺(おやじ)がそんなに手の込んだものを作る訳がねえ。・・・でも、美味そうだから山盛りで出しといて呉れ。
>亭主:お前ぇら、そんなこと言って大丈夫なのか? こっちだって商(あきな)いだ。少々は吹っ掛けるぜ。
>八:良いってことよ。今日は友さんの祝言が纏(まと)まった目出度え日だからよ。
>亭主:そうか。やっと決まったか。こりゃあご祝儀を出さなきゃいけねえな。・・・うーん、茄子(なす)の塩揉みで良いか?
>八:まったく、みみっちいことを言いやがる。

腹踊りが滅法(めっぽう)好きだというご隠居は、名を因幡屋(いなばや)卯右衛門(うえもん)という。
まだ誰も気付いていないが、雑煮の餅を喉(のど)に詰まらせて死んだ申右衛門(さるえもん)の弟である。
八兵衛の父の腹踊りを、一度見てから、忘れられなくなっていたのである。

そんなこととは露知らず、「だるま」では宴も酣(たけなわ)になっていた。
半次に呼ばれたという太助は、いつものように天こ盛りのおからを掻き込んでいるし、六之進は六之進で、納豆と葱(ねぎ)を捏(こ)ね回している。

>咲:ねえねえ五六ちゃん、今度鉤(かぎ)ちゃんを抱かせて貰いに行っても良い?
>五六:良いですとも。でも、重いですぜ。四郎んとこの元(げん)坊の二層倍はありそうですぜ。
>咲:凄(すご)おい。それじゃあお三千(みち)さんも大変ね。
>五六:漬け物石を背負(しょ)ってるみたいだって、笑いながら言ってやすよ。結構喜んでるみたいです。
>咲:良いな。あたしもそんな元気な稚児(やや)が良いな。
>六:こ、これ。お前にはまだ早過ぎる。飢えた狼の如き男どもがいるというのに、軽薄にそのようなことを言うものではない。
>咲:はーい。・・・でもね父上、あたしだってもう17(=数え)よ。娘盛りじゃない。あんまりのんびりしてると、売れ残りになっちゃうんだから。
>六:そのようなことを今から心配せずとも良い。良い時期に良い話があったら、親がなんとでもする。
>咲:また、父上ったら。そういうのは今じゃもう古いのよ。今の娘は自分で殿御を見付けるものなの。ねえ、お花さん?

>花:え? あたし? あたしはお父つぁんに決めて貰えればそれで満足よ。
>咲:またあ。流行(はや)らないわよ、そういう従順そうな娘っての。
>花:そうかしら?
>咲:そりゃあ、そういうのが良いって言う殿方も多いんでしょうけど、女子(おなご)だって言うべきことはちゃんと言わなきゃ駄目よ。
>花:はいはい。精々(せいぜい)心掛けてみるわ。
>咲:見て呉れも悪くて言葉遣(づか)いも酷(ひど)いけど、性根(しょうね)の優しい五六ちゃんみたいなのが良いわよ。これって真理だからね。
>五六:誉められてるんだか貶(けな)されてるんだか・・・
>咲:誉めてるに決まってるじゃない。五六ちゃんとか親方みたいなのってそうはいないわよ。見付けたら捉(つか)まえちゃうのが一番。・・・でも、見付からないのよね、これが。世の中そんなに甘くないか。
>六:これ、咲。お前、またいつの間にか酒を飲んでいるな? 好い加減にしなさい。
>咲:大丈夫。今日は熊に負ぶってって貰うんだもん。
>熊:お、おいらか?
>咲:何よ、熊。あたしじゃ不服だっての?
>熊:そ、そういうことを言ってるんじゃねえって・・・
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