239.【す】 『酸(す)いも甘(あま)いも噛(か)み分(わ)けた』 (2004/07/05)
『酸いも甘いも噛み分けた』[=知っている]
人生経験を十分積んでいて、世間の微妙な事情や人情の機微(きび)に通じ、分別(ふんべつ)がある。世の中の裏も表も知っている。
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翌日の午時(ひるどき)、お咲はお花を伴(ともな)ってやってきた。
詳細は話してないのであろう、お花はどうして呼ばれたのか分からず、怪訝(けげん)そうな顔をしていた。

>咲:あやさーん。お花さんを連れてきたわよーっ。
>あや:上がって貰ってちょうだい。今、お湿(しめ)を替えてて、手が離せないの。
>咲:はーい。
>花:お邪魔します。
>あや:お花さん、ご免なさいね、呼び付けちゃったりして。
>花:いえ。別に用があるという訳じゃありませんから。
>咲:ねえねえ、お湿替え終わったら慶二ちゃん抱かせて呉れる?
>あや:良いわよ。・・・でもね、こんなこと言うのはなんなんだけど、人様の子よりも自分の子の方が良いわよ。安心して抱けるし。
>咲:そうかもね、どうしても気を使っちゃうもんね。だけど、自分の子なんて、まだまだ・・・
>あや:そうかしら。およねさんだってお三(み)っちゃんだって、一昨年(おととし)まではまだまだって考えてたのよ。
>咲:だって、あたしまだ17(=数え)よ。
>あや:でも、これから夫婦(めおと)になると、稚児(やや)が産まれるのは18よ。決して早過ぎはしないでしょ?
>咲:そうかなあ? どう思う、お花さん。
>花:あたし? あたしはもうそういう丁度良い年頃を過ぎちゃったから。だから思うんだけど、早過ぎないと思うわよ。
>咲:何言ってるのよ。お花さんだってまだ24でしょう? そんなこと言ってちゃ駄目よ。
>花:でも、お父つぁんもおっ母(か)さんも「いつになったら片付いて呉れるのかね」って。半分諦(あきら)めてるみたい。
>咲:そんなことないわよ。
>あや:そうよ。わたしがここの親方と一緒になったのは28のときですもの。静(しずか)を産んだのも29よ。
>花:え? そうなんですか? 全然そうは見えない。

お花も、恐る恐るではあったが、慶二を抱いてみた。
不思議なもので、腕にすっぽりと入ると、結構しっくりとくるものである。
泣き出しもせず、ぐずりもせず、慶二は抱いている自分の顔だけを見詰めてくるのである。

>あや:ねえお花さん。・・・うちの友助にどうかって言ってたお十三(とみ)さんとは、最近お話してみたかしら?
>花:ええ。友助さんったら、2人で会うのはあんまり好きじゃないみたいで、外で会うんじゃなくって、お十三ちゃんの家へ来るんですって。
>咲:へえ。人は見掛けに依(よ)らないのね。案外前向き
>あや:巧くいってるみたいなの?
>花:お十三ちゃんのお父さんと話が合うみたい。
>咲:あやさん、親方からはなんの報告もないの?
>あや:そういうことには疎(うと)い人なのよ。自分の弟子なんだからもうちょっと気に掛けて欲しいんだけどね。
>咲:道理で。・・・でも、そういう具合いなんだったら、そろそろ祝言(しゅうげん)とかの話もしなきゃいけないんじゃないの?
>あや:そうよね。・・・お花さんの見た感じではどう? 行けそう?
>花:お十三ちゃんの方の気持ちはもう固まっているみたいなんですけど・・・
>咲:何か、いけないことでもあるの?

>花:おっ母さんが、ちょっと迷ってるんですって。
>咲:どうして? お互いが良いって言ってるんだったら良いじゃないの。
>花:それがね、お十三ちゃんのおっ母さんって、友助さんと歳が2つしか違わないんですって。
>咲:そんなこと気にしてたって始まらないじゃない。ねえ?
>花:43の男といえば世の中の裏側の汚(きたな)いところも見てきているだろうから、右も左も分からないお十三ちゃんには釣り合わないんじゃないかって。
>咲:だって、友助さん本人とも会っているんでしょう? 分かりそうなもんだけどな。
>あや:人というのはね。本人だけじゃ分からないものなのよ。どういう人の下で働いているのかとか、どういう人たちと付き合っているのかとか、そういうことの方が重要だったりするの。
>咲:じゃあ、親方と一緒にあやさん、行ってくれば良いじゃない。それで決まりよ。
>花:そうですね。応援してあげてください。あたしも、仲を取り持ったから責任を感じちゃってるんです。
>あや:そうね。今日にでも友助さんと話してみるわ。・・・親方ともね。

そんな話をしていたところに鰻(うなぎ)が届き、3人は食べながら話を続けた。
お花も漸(ようや)く慣れてきたようである。

>咲:でも、お十三さんって、威勢が良い人だって言ってなかったっけ? 「右も左も・・・」って、箱入り娘でもなでしょうに。
>花:親にとっては、我が子なんてそういう風にしか見えないのね。
>咲:そういうもんなのかな。
>あや:親はね、自分の子のことは一番良く知っていると思っている。でも、思っているだけじゃなくって、本当に一番良く知っているのよ。多分、子供本人よりも良く知っている筈。
>咲:そうかしら? うちの父上なんかなんにも知らないみたいだけど。
>あや:それはね、お咲ちゃんが知らず識(し)らずのうちに隠しちゃうからなの。恥ずかしいこととか後ろめたいことって、先(ま)ず誰に内緒(ないしょ)にする?
>咲:そりゃあ、あたしの場合、父上しかいないもの。
>あや:一番分かって貰いたいのが父上で、一番内緒にしたいのも父上。・・・それじゃあ、お咲ちゃんのことを分かりたいと思っているのに、隠されちゃうんじゃ、父上は可哀想(かわいそう)よね。
>咲:うーん。なんだか難しくなってきちゃったわよ、あやさん。
>あや:簡単に言っちゃうとね、「父上はあたしのことなんにも分かって呉れない」なんて言ったら、父上がしょんぼりしちゃうってこと。
>咲:でもあたし、そんなことしょっちゅう言ってるわよ。
>あや:それはね、父上が我慢して呉れているの。
>咲:でもさ、今更あたしはこんな馬鹿娘で、こうこうこういう過(あやま)ちを犯して参りまして御座いなんて言えない。
>あや:誰だって嫌な話はしたくないわ。全部正直に話すこともない。要はこれからってことよ。話さなきゃいけないことって、そのうち必ず出てくるでしょう? そういうときはね、菜々ちゃんとか熊五郎さんとかに仲立ちをして貰うの。聞く方だって、改まって面と向かわれるというのはあまり好きじゃないものよ。

あやの説教臭い話のどこかが琴線(きんせん)に触れたのであろうか、聞いていただけだったお花が口を開いた。

>花:あの、ちょっと聞いて貰っても良いですか?
>あや:お十三さんのこと? それとも、お花さんのこと?
>花:あたしのことです。あたしと、お父つぁんのことです。
>あや:良い人だっていう評判らしいじゃない? 良く働くって。
>花:仕事のことじゃないんです。
>あや:どんなこと?
>花:お父つぁんったら、お祭り騒ぎが好きでね、歌が巧いからって呼び出されると喜んで出掛けちゃうんです。
>あや:良いことじゃない。さぞお仲間も多いんでしょうね。
>花:でも、ご祝儀(しゅうぎ)でいただいたもの以上に振舞っちゃうもんだから、ほんとのところ、内証は火の車なんです。
>あや:そうなの? うーん、それはちょっと行き過ぎね。
>花:どうにかできないものでしょうか?
>あや:お花さん、ご兄弟は? お兄さんとか。
>花:一人っ子です。お兄ちゃんでもいて呉れれば、意見して呉れるんでしょうけど、おっ母さんとあたしじゃ、どうにも止められないんです。
>あや:そう。・・・そういうときは、ちょっとした荒療治(あらりょうじ)が必要かもね。
>花:荒療治って、一体どんな?
>咲:面白そう。ねえねえあやさん、あたしも混ぜて。
>あや:今回は駄目よ。そういうことは男の人がすることなの。・・・今夜にでもうちの親方と話しておくから、ちょっと待ってて呉れる?
>花:ええ。お願いします。なんとかしないと、おっ母さんがあんまり可哀想で。

>咲:親方に頼むってことは、どうせ熊さんと八つぁんになるんでしょ、動くのは? ちょっと心配だなあ。
>あや:大丈夫よ。ああ見えて、そういうことになると張り切る人たちだから。それに、人の善し悪(あ)しについてちゃんと説得できるくらい世の中を知っていますからね。十分に立派よ。
>咲:だけど、それだって、お夏ちゃんとかあたしのお陰じゃない。まだまだ頼りないわよ。
>あや:そうかしら? 熊五郎さんは頼れる人でしょ? お咲ちゃんにとっては。
>咲:あやさんったら、変な鎌を掛けないでよね。お花さんが勘違いするじゃない。
>あや:勘違いじゃないのよ、お花さん。少なくとも、わたしはそう願ってる。
>花:あたしも、なんだかそんな風になるような気がしてます。・・・ちょっと羨(うらや)ましいかな。
>咲:ありゃりゃ。困ったもんだわね、まったく。
>あや:お花さんは、この悩みの種が片付いたら、どうする? お嫁に行っても良いかなって、考えられるかしら?
>花:そんなこと・・・。
>咲:行っちゃえ行っちゃえ。
>花:そういう話でも来るんだったら、考えられるかしら。・・・でも、無理よね、あたしなんか。
>あや:どうかしら?

あやはにっこりと笑い掛け、もう一度、慶二をお花に抱かせてみた。
お花の「準備」は整い始めたようだった。
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