218.【し】 『士族(しぞく)の商法(しょうほう)』 (2004/02/09)
『士族の商法』
明治維新後、士族となった旧武士が生活のために、慣れない事業を起こして失敗したことを指す。適任でもない人が商売などをして、失敗が目に見えていること。
蛇足:古典落語「士族の商法」は、三遊亭圓朝の作とされ、「御膳汁粉(ごぜんじるこ)」・「素人汁粉」などとも呼ばれる。
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翌日の昼どき、八兵衛と三吉が「一黒屋」を覗いてみると、与志兵衛が数次に仕事の手解(てほど)きをしていた。
見るからに付きっ切りのようで、ともすると、客の応対など二の次といった風情(ふぜい)である。

>八:ご隠居、さん。
>与志:お? ・・・おう、八つぁん。そんなところに突っ立ってないで、お入りなさいな。
>八:昨夜(ゆうべ)はどうもご馳走(ちそう)様でした。鮟鱇(あんこう)の肝(きも)ってのは美味いもんでやすねえ。
>与志:そうでしょう? 摩(す)り下ろして鍋物の汁に混ぜても美味しいんですよ。
>八:うっひょう、美味(うま)そうっ。今度やりましょうよ、ね?
>与志:そうですね。そのときは、与太郎どんか太助どんに言付(ことづ)けますよ、必ず。はっはは。
>八:そいつぁあ楽しみですね。きっとですぜ。・・・それはそうと、数次さんの具合いはどうです?
>与志:そりゃあもう、算盤(そろばん)に関しちゃ、あたしなんかよりよっぽど達者ですよ。流石(さすが)に「両毛屋」さんです。ようく仕込まれてます。もう、天下一品です。
>八:そりゃあ良かった。それを聞いて、仲立ちしたおいらの咽喉(のど)の支(つか)えも下りるってもんでやすよ。
>与志:そうまで親身になってくれてたんですか、八つぁん。

>八:当たり前じゃねえですか。こっちだって、与太郎や太助が世話になってるんでやすからね。
>与志:世話だなんて滅相(めっそう)もない。それに、与太郎どんには違った意味で、商売の面白さを教わりましたしね。・・・感謝していますよ、与太郎どんのことも、数次さんのことも。
>八:感謝なんかしねえでくださいよ。いつもいつも美味いもんを食わして貰って、折角(せっかく)稼(かせ)いだ銭を、余計に使わせちまってるんですから。謝(あやま)りたいくらいでさあ。
>与志:あたしは好きでそんなことをしている訳ですからね、気にしなさんな。八つぁんらしくないですよ。
>八:そうですか? それじゃあ、お言葉に甘えさせていただきますよ。・・・あのですね、今なんどきですか?
>三:八兄い、「刻(とき)うどん」
じゃねえんですから。それじゃあまるで、集(たか)りにきたみたいじゃねえですか。
>八:仕方ねえだろ。咽喉の支えが取れたら、腹の具合いまで良くなっちまったんだからよ。
>与志:あっはっは。面白い人ですね、八つぁんは。それでは、お昼ご飯にしましょう。
>数:あの、お客様のことはどうなさるんですか?
>与志:留吉に任せといても大丈夫ですよ。
>数:ですが・・・
>与志:あのね、数次さん。呉服ものを買おうというお客様はだね、主(あるじ)がいないくらいの方が喜ぶのですよ。小僧さん1人なら、男どもの目を気にせずに、あれこれを手に取れるでしょう?
>数:はあ。
>与志:そういうことは、追々時を掛けて教えてあげますよ。月日はたっぷりありますからね。

与志兵衛は小僧の留吉に留守番を任せて、3人を裏手の「さち」に案内した。
昼時を少し過ぎていたお陰で、最後の2人組との入れ違いになった。

>さち:まあ、こちらで召し上がるんですか? それに・・・
>与志:済まないねえ。いつも勝手を言って。5人分は残っていないかい?
>さち:真逆(まさか)。いくら小さい店だからって、不意のお客の準備くらいできてますよ。
>八:5人分じゃなくって、4人分でやしょう、ご隠居様。それとも、おいらに2人前食わして呉れるってんですかい?
>与志:さちの分を入れて5人前ということですよ。
>八:あ、そうでやしたか。こりゃまた、端(はし)たないことで。
>与志:それだけ食い気があれば立派なもんです。・・・いつもはね、こっちのお客が片付いた後に、隠居所で一緒に食べるようにしているんですよ。
>さち:今日から3人前になったから、うちの売り上げも1人分増えましたよ。これであたしんとこも安泰(あんたい)だわ。
>与志:手間は増えるがね。
>さち:なあに。我儘(わがまま)な誰かさん1人に比べたら10分の1増えるくらいのもんですよ。
>与志:はっは。違いない。

さちは、先ほどの2人組が食べ終えた器を片付けながら、ふうと溜め息を吐(つ)いた。

>与志:どうかしたのかい?
>さち:この先にね、似たような料理茶屋ができたんですよ。大方、貴方のとこのお客を当て込んでのことでしょうけど。
>与志:それは厄介(やっかい)ですね。
>さち:いえね、お客を取られるとか、そういうことで困ってるんじゃないんですよ。
>八:どういうことなんでやすか? おいらにも分かるように話してくださいよ。事と次第によっちゃ捻じ込んできますから。
>さち:さっきのお客さんの話では、つい先日まで大店(おおだな)で働いてた人らしいんですって。
>八:へえ、そいつは変わってるな。
>数:どこもかしこもなんですねえ。人ごとじゃないですよ。
>与志:客商売をしていた人なら、切り盛りもさぞかし巧いんでしょうね。
>さち:それが、そうでもないらしいのよ。やけに横柄(おうへい)で、「こっちは食わせてやってるんだぞ」みたいな顔で客あしらいするんですって。
>八:そりゃあ駄目だな。店を開いたばっかりなんだろ? そんなんじゃ、馴染み客なんか付きゃしないんじゃねえか?
>与志:腕に自身があるんじゃないのかい?
>さち:美味しいなら少々のことは我慢しますよ。・・・それがね、女将(おかみ)さんっていう人が、どうやら、奥様じゃないらしいのよ。それが、なんというのか、ちょっと擦(す)れているというか・・・
>八:なんだよ。いいとこなんかつもねえじゃねえか。

>数:もしや、その主の名前は「哲蔵」と言いませんでしたか?
>さち:おや、数さん、どうしてそれを?
>数:「両毛屋」の倅(せがれ)ですよ、つい先(せん)だって辞(や)めさせられた。
>八:真逆。選りにも選ってなんでまたこんなとこに。
>数:身請(みう)けした女に店を持たせるんだって息巻いてたことがあるんです。良い出物があったと言っていたのが先月でしたから、時期的にも丁度合います。
>八:はあ、魂消(たまげ)たね。
>数:呉服商の「一黒屋」さんの近くなら、お店の者たちと出くわす気遣いもありませんし、それに、さっきさちさんが言ったように、「一黒屋」さんの客を当てにできる。
>与志:それで、その哲蔵さんには包丁の嗜(たしな)みがあるのですか?
>数:道楽程度ですよ。どうせ店を継ぐものと思ってますから、真面目に料理なんかする訳がありません。それに、ああいう質(たち)じゃ、客あしらいだって巧い筈がありません。
>八:そんなら、どうせ長続きしねえんでしょう? そんなら構うことはねえじゃねえですか。
>さち:「一黒屋」さんにお出でになったお客様たちが、そこと一緒くたに「一黒屋」さんを嫌っちゃうんじゃないかと思うと、なんだか悔しいんです。
>数:それは有り得ます。「安かろう悪かろうだよ」くらいのことを平気で言うお人ですからね。私が勤め始めたと聞いたら、あらぬことを吹聴(ふいちょう)し兼ねません。
>八:うーん。参ったね。・・・どうしやす、ご隠居様。
>与志:放っておきましょう。
>八:でも、困りゃしませんか?
>与志:さちの心配は有り難いんだが、元々儲(もう)けを期待している訳ではありませんからね。・・・それに、そんなことなら、ほんの一時のことです。あたしたちが誠心誠意で応対すれば、やがて逃げていったお客様も戻ってきてくださいますよ。
>数:迷惑を掛けることになるかも知れません。
>与志:良いんですよ。家の者が蒙(こうむ)る迷惑なら、一緒に立ち向かって参りましょう。
>数:旦那様・・・
>与志:実を言うと、そういうことって、あたしは嫌いじゃないんですよ。なんかこう、「家族」っていう感慨があるでしょう? あたしは長年、そういうものが欲しかったんですよ。

八兵衛が与太郎から聞いた話では、その後何日も経たないうちに哲蔵が「一黒屋」を訪れるようになったという。
その度(たび)に客の何人かはこそこそと逃げるように帰ってしまうのだということだったが、与志兵衛は一切気にせず、数次に商売の手解きを続けているという。

>八:はあ。大したご隠居さんだな。いっそのこと、おいらが養子になっときゃ良かったぜ。
>熊:何を今更。お前ぇが呉服商なんかできる訳ねえだろ。
>八:分からねえぞ。こう見えて人の女房には受けが良いんだから。
>熊:人様のものになる前の娘にはさっぱりだけどな。
>八:なにをーっ?
>与太郎:まあまあ。喧嘩はそれくらいにしてくださいよ。折角のお酒が不味くなっちゃいます。・・・それに、そういう風にかっかし易い人には、客商売はできませんよ。
>熊:な? そうだろ? お前ぇみてえなのが客商売なんかやったら、客なんかみんな逃げちまう。
>八:言っとくがな、その哲蔵とかいう馬鹿息子よりは増しだぞ。少なくとも、逆恨みみてえなことはしねえ。
>熊:そうだな。熱くなり易いが、冷めるのも早いもんな。
>八:おうよ。八兵衛さんは、古くなった里芋みてえにねちねちしやしねえ。ここの煮っ転がしみてえにはよ。
>亭主:なんだと、八公。手前ぇ、俺にまで
喧嘩を売ろうってのか?
>八:悔しかったらな、さちさんとこくらい気の利いた料理を出してみろってんだ。
>亭主:食ったことがねえもんなんか出せるか。・・・おい、お花ちゃん。
摘(つま)み出して塩撒いといて呉れ。
>花:駄目ですよ、親爺さん。今夜は寒くって客足が遠いんですから、八兵衛さんたちを帰したら、残った里芋がもっと古くなっちゃうじゃありませんか。
>八:いよっ、お花ちゃん。話が分かるねえ。仕方がねえ、お花ちゃんの顔を立てて、古くなった里芋を片付けてやる。
>花:はーい。毎度有りぃ。

>八:どうだ親爺? こうやって、どうにかこうにか来年の餅が搗(つ)けるのも、おいらのお陰だろ? 感謝しろよ。
>亭主:てやんでえ。餅を丸めて呉れる女房を貰ってから言いやがれってんだ。
(第24章の完・つづく)−−−≪HOME

お詫び多分、時代考証を誤っています。
「江戸時代の中期以降に上方で「刻うどん」として咄されていて、それがだんだん熟成されていった咄を、三代目柳家小さん師匠が「時そば」として東京で咄したのがはじまりだという。」を照らせば、この時代(1804)の江戸では、「刻うどん」は一般的でなかったと思われます。(上へ戻る