214.【し】 『地獄(じごく)で仏(ほとけ)に会う』 (2004/01/13)
『地獄で仏に会う』
非常な危難に遭ったり、大変困ったりしている時に、思い掛けない助けに会うこと。
類:●地獄の地蔵●地獄に仏
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源五郎は両毛屋善蔵に面会を求めたが、出掛けていると、素っ気なくあしらわれた。
元締めから渡されていた書面を差し出すと、「ああ」と了解したらしく、番頭と名乗る男に引き合わされた。

>番頭:こういうご時世ですので、何かと苦情を持ち込む方がいらっしゃいましてね。勿論(もちろん)殆ど全部が言い掛かりなんですけどね。ええそうですとも。手前共には何の落ち度も御座いません。
>源:そんなことはどうでも良いんですがね、番頭さん。
>番:まあ、そう仰(おっしゃ)らずに。今、お茶を用意させておりますので、本題に入るのはもう少々お待ちください。
>源:本題も何も、こっちは友助さんというのがどういう人なのか見てみたくって来てるんでやすから・・・
>番:そう慌てることは御座いません。なんでしたら、酒(ささ)でもお出ししましょうか? 幾らか聞こし召していらっしゃるようで御座いますし。
>源:なんだいそりゃ? こっちはそこいらの大工なんだぜ。「聞こし召す」とかなんて間怠(まだる)っこしい口の利き方なんか止めて貰えねえか。
>番:滅相も御座いません。お客様に対して礼を失する物言いなどできるものでは御座いません。
>源:俺は客じゃねえんだぜ。
>番:相馬屋のご主人様には一方ならぬご愛顧をいただいております。その関わりであられる貴方様も立派なお客様でいらっしゃいますとも。
>源:妙な理屈だな。

程なく女中が、1人分だけの茶を煎(い)れて運んできて、源五郎にだけ礼をして出て行った。
(まったく、徹底してやがる)と、源五郎は独り言(ご)ちた。

>源:それじゃあ、早速(さっそく)友助さんを呼んでいただきましょうか。
>番:その前に、友助がどちら様で使っていただくことになるのか、お名前だけでも聞かせていただけませんか? いえ、これといって深い意味がある訳では御座いません。ほんの形式的なことで御座います。
>源:牛込箪笥町(たんすまち)の、「源蔵」ってとこです。俺はその倅(せがれ)の源五郎っていいやす。
>番:そうで御座いますか。えーと、箪笥町の源五郎、様と。ふむ。・・・それでは、呼びに行って参ります。どうぞ、粗茶ですが、お召し上がりになってお待ちください。失礼いたします。

慇懃無礼とはこのことだと、源五郎は不快になった。
ただ、戻っていった番頭が、「源蔵という大工の評判を調べろ」と、誰かに命じたことまでは知らなかった。
四半時(約30分)も待たされて、漸(ようや)く番頭が入ってきた頃には、湯飲みも乾き切り、昼に飲まされた酒もすっかり抜けてしまっていた。

>番:いやあ、面目次第も御座いませんでした。ちょっとばかし金銭に細かいお客様の対応をしておりまして。随分と待たせてしまいました。重ね重ねお詫びを申し上げます。
>源:分かった分かった。・・・で、そっちが友助さんかい?
>友:はい。友助で御座います。この度は無理なお願いをしてしまいまして、恐縮しております。
>源:いやそんなことは構いやしねえさ。どっちにしろ、元締めから命令されたら断れやしねえんだ。
>友:はあ。
>源:今日の今日で来させて貰ったのは、お前ぇさんの気持ちを確かめたかったからなんだ。・・・お前ぇさん、ほんとに大工になりてえと思ってるのかい?
>友:それはそうです。・・・とは申しましても、この年まで商人(あきんど)しかやってきませんでしたから、使い物になるかどうかは、甚(はなは)だ不安ではあるのですが。
>源:つまりは、商人以外だと大工しかねえと、そういうことなのかい?
>友:正直言わせていただけば、そうです。
>番:これ、友助。
>源:いや、良いんだ。続きを聞かして呉れるかい?
>友:はい。こういう商売ですので、あちこちのお店(たな)とのお付き合いは御座います。ですが、それだからこそ、安易にどこそこのお店へという訳にはいかないので御座います。こんな言い方をしては誤解を招くかもしれませんが、事情を知り過ぎているのです。こちらにその気がなくても、気分を害するお客様も少なくありません。両毛屋にも火の粉が掛からぬとは言い切れませんので。
>源:そうか、それで職人に・・・
>友:旦那様から人減らしの話があったときは、はっきり言えば、愕然(がくぜん)としました。そんなとき、相馬屋さんが丁度いらっしゃいまして。天の助けと思いました。

>源:そんなら元締めが自分とこで引き受けりゃ良いじゃねえか、なあ?
>友:それが、「お前さんにぴったりな面倒見の良い大工がいる」と仰いまして。
>源:こっちの言い分を聞きもしねえで、まったく、あの親爺は・・・。
>友:やっぱり、ご迷惑でしたか?
>源:そういうんじゃねえよ。さっきも言ったが、命令だから断れねえんだ。
>友:それじゃあ、使っていただけるんですね?
>源:分かったよ。こっちが片付き次第顔を出すと良い。
>友:有難う御座います。
>番:そういうことでしたら、明日にでも。
>源:なんだと? もう準備はできちまってるのか?
>番:こういうお目出度いことは、早いに越したことがありませんからね。善は急げで御座いますよ。
>源:あんたはそれで良いのかい?
>友:勿論ですとも。宜しくお願いいたします。
>源:そうか、それなら仕方がねえ。・・・ときに、お前ぇさん、年はいくつになるんだい?
>友:40と2です。妻子はおりません。天涯孤独の身です。
>源:本厄か、俺と一緒だな。・・・明日、5つ半(9時頃)までに来て呉れ。牛込箪笥町の「源蔵」って言やぁ分かる。

明日からとは随分急である。
さてみんなにはどう伝えるべきかと考えた末、やはり酒でも入らないと話せそうもないと、飲みに連れ出そうと決めた。
・・・と、そういえば熊五郎はどうしただろうかということに思い当たった。
慌てて立ち寄ってみると、へとへとになりながらも、予定以上のところまでこなし終えていた。

>源:やあ熊、済まねえ。どうだった?
>熊:どうだったも何もありませんぜ。こんな刻限まで一体何をしていなすったんですか?
>源:それがな、話せば長くなる。・・・お詫びに今夜は鱈腹(たらふく)飲み食いさせてやるから、片づけを始めろ。
>熊:八じゃねえんですから、そんなことじゃ騙(だま)されませんぜ。
>源:騙そうってんじゃねえんだよ。大事な話があるんだ。お前ぇにも直接関わりがあることだ。
>熊:おいらに? そりゃあ一体・・・
>源:お前ぇだけじゃねえ。八や五六蔵たちにもだ。さ、とっとと戻るぞ。

話を聞いた途端、八兵衛は飛び上がって喜んだ。
昼飯が不十分だったせいで、腹が空いていたのである。それに、「一黒屋」のご馳走がお預けになったせいで、胃袋が物凄く酒を欲していたのである。

>八:そういうことなら、さっさと出掛けましょうや。ねえ親方。
>源:ちょっと待ってろ。親父とちょっとばかし話をしがてら、軍資金を巻き上げてくるからよ。
>八:そうでやすか。たんまりと巻き上げてきてくださいよーっ。
>五六:熊兄いは、どういう話だか聞いていなさるんでやすか?
>熊:いや。話の感じだと、結構込み入ったことみてえだがな。
>五六:真逆(まさか)、5人もの弟子を抱えてられねえから、誰か辞(や)めろなんてことじゃねえでしょうね?
>熊:そんなことじゃねえだろう? 今だって人手が足りなくって、猫の手も借りてえくらいなんだからよ。
>三:それじゃあ、誰かを雇(やと)うってことでやすかねえ?
>八:お前ぇ、何を考えてるんだ? どこの世の中に弟子を6人も持つ親方がいるかってんだ。そんなの聞いたこともねえぞ。
>三:そりゃそうですよね。ご尤(もっと)もでやす。
>四:それじゃあ、熊兄いか八兄いを一本立ちさせるてことじゃないですか?
>熊:まだ嫁も貰ってねえおいらたちが一本立ちなんかできる訳ねえだろ。
>四:ですが、親方だって姐さんと一緒になる前から親方をしてたんでしょう?
>熊:そりゃあ、棟梁の後継ぎなんだから、特別だよ。
>三:もしかすると、どっちかに嫁を宛がってから親方にしようってことなんじゃねえですか?
>八:そりゃあ、おいらにってことか?
>三:そうかも知れませんよ、ほんとに。

八兵衛は、「だるま」へ向かう間、にやにやしながら源五郎の後に付いて歩いていた。
(なんだこいつは?)とは思ったが、無視することにした。
弟子たちが酔っ払ってしまう前に、単刀直入に切り出してしまおうと考えていた。

>源:話ってのはだな、明日、友助ってやつが来るってことなんだ。
>八:来るって、なんか用があってですかい?
>源:そういうことじゃねえ。弟子になりてえんだとよ。
>熊:なんですって? 今朝はそんな話してなかったじゃねえですか。
>源:昼の寄り合いの後に、元締めから呼び出されて言い渡された。
>熊:決まりなんですかい?
>源:さっき本人にも会ってきた。ご当人はそのつもりだ。
>五六:ずぶの素人(しろうと)ですかい? 若いもんで?
>源:年は俺と一緒だそうだ。
>五六:するってえと、どこぞで修行をしてたとか、親方に先立たれちまったとか・・・
>源:いや。早い話が、奉公先からお払い箱になったってことだ。
>五六:奉公先ってことは、商人ですかい?
>八:そんなの使い物にならねえんじゃねえですか?
>源:ああそうだな。だが、元締めが決めた以上従わなきゃならねえ。・・・まあ、使ってみてからもう一遍話し合うとしよう。

>八:そいつ、何をしてやがったんでやすか?
>源:「両毛屋」ってとこで算盤を弾いてる。
>八:算盤でやすかい? ・・・ん? そう言やあ・・・。
>源:なんだよ。妙な笑い方するんじゃねえ。もう酔っ払ってやがるのか?
>八:違いますって。・・・ねえ親方、おいら今、算盤を弾ける奴を探してるとこだったんでやすよ。こりゃあ良いや。な、三吉。
>三:それって、「一黒屋」さんのことですか?
>八:決まってんだろ? ・・・ねえ親方、ご隠居さんがあんまりにも忙しそうなもんで、養子を世話してやっちゃどうかと考えてるんでやすよ。どうです? 連れてってやったら、願ってもないとか言って大喜びしますぜ。
>源:そんな大事なことを勝手に決められるか。それに、友助には友助の事情ってのもある。
>八:この際、そんなことは、この八兵衛様が丸く納めて見せますって。
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