左袒(さたん)

ことわざの意味
左の肩を肌脱ぎにするという意味で、味方すること。また、同意して肩を持つこと。

類似のことわざ

出典について

礼記-檀弓・下」「既封左袒、右還其封、且号者三、曰、骨肉帰復于土命也〈略〉」 春秋時代、賢者の誉(ほま)れが高かった呉の季札(きさつ)が、我が子を葬(ほうむ)ったとき、左の肩を肌脱ぎにし、右回りに墓を回って三度(みたび)号泣した。そうするのが呉国の礼だったという。

史記-呂后本紀」「為呂氏右タン[衣+亶]、為劉氏左タン」 中国、前漢。専横を続けていた呂后が死んだ後、劉邦の側近の周勃・陳平らが呂氏を討とうとした時、呂氏に付く者は右袒せよ、劉氏に付く者は左袒せよと言ったところ、軍中ことごとく左袒した。

戦国策-斉下・閔王6」「[サンズイ+卓]歯乱斉国、殺閔王、欲与我誅者、袒右」 王孫賈(か)は、加勢する者を右肩を脱がせたが、意味は同じ。