211.【さ】『山椒(さんしょう)は小粒(こつぶ)でもぴりりと辛(から)い』 (2003/12/15)
『山椒は小粒でもぴりりと辛い』
山椒の実は小さいが非常に辛いことから、特に、身体は小さくても、気性や才能が非常に鋭く優れている者を指して言う。
類:●小さくとも針は呑まれぬ
用例:俳・毛吹草−二「さんせうは小粒なれどもからし」、伎・
極附幡随長兵衛−大詰「是れが譬にいふ通り、山椒は小粒でぴりりと辛い、大きな形(なり)だがおいらは甘い」
用例の出典:
極附幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ) 歌舞伎。世話物。4幕。河竹黙阿弥。明治14年(1881)東京春木座初演。講談からの脚色。旗本水野十郎左衛門が町奴幡随長兵衛を自邸に招き、湯殿で刺殺する一件に、力士桜川五郎蔵の義死をからめる。通称「湯殿の長兵衛」。
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約束の日の晩、小豆内海(しょうどうつみ)の役宅に、10人が集まった。一堂に会するとはこのことである。
熊五郎・八兵衛・お咲に伝六、猪ノ吉・鹿之助、そして小豆一家(内海・久恵・磯次郎)と家島網綱である。
お花は、「だるま」の仕事があるので、今日は参加していない。

>八:あれ? 鹿の字は呼ばねえんじゃなかったっけ?
>熊:一昨日(おととい)の話は冗談に決まってんだろ。折角(せっかく)やる気を出したってのに、仲間外れってんじゃあんまりじゃねえか。・・・それともなにか? お前ぇは鹿之助のことを使い物にならねえとでも思ってるのか?
>八:そんな訳あるか。いくら末成(うらな)りの瓢箪みてえでも、しがねえ小役人でも、妹の半分も機転が利かねえでも、一応は立派な男なんだからよ。
>鹿:馬鹿にしてるのか、八つぁん?
>八:誉めてるんだって。
>鹿:そうは聞こえんが。
>熊:兎(と)も角(かく)、家島様がその気を起こすように立ち回って呉れたんだ。少しは敬意を払ってやれよな。
>八:分かったよ。・・・機転が利かねえってのは取り下げるよ。
>熊:それだけか?
>八:女房より背が低いけど、たいしたお役人だな、まったくよ。焼け糞だ、もう。
>熊:「背が低い」は余計だ。
>鹿:もう良いよ。こう次から次へと粗(あら)を持ち出されては、自分が情けなくなる。

家島網綱は、3人のやり取りをにやにやしながら聞いていた。
一段落着いたところで、姿勢を正し、口を開いた。

>家:そなたたちは、確か源五郎という大工のところの者たちであったな?
>八:へい。おいらが八兵衛で、こいつが熊五郎でやす。
>家:去年の正月には、兄が世話になったな。
>熊:お礼しなきゃならないのはこっちの方です。親方や棟梁の顔を潰さないで済んで、助かったんでやすから。
>家:いや。あの一件以来、兄の顔付きががらりと変わった。弟の口から言うのもなんだが、それまでは酒に浮腫(むく)んだ青魚のような顔をしていた。とても、久恵殿にお勧めできたものではなかったよ。
>小:網綱、もうそのくらいで良かろう。
顔から火が出そうだ。
>家:ある意味では、磯次郎にとくと見せてやりたかったな。きっと、立派な反面教師
になったであろうな。
>磯:見てみたかったな
>小:これ、磯次郎。
大概にしなさい。
>磯:良いじゃねえか、今は立派な人間になったんだからよ。それなりに尊敬してるんだぜ、これでも。
>家:はは。変わった父子(おやこ)だが、巧くやっているようですな、兄上。
>小:嫌味か、それは。・・・そんなことより、そろそろ本題に入ったらどうなんだ。

「確かにな」と、言ってから、家島はかなり長い間を置いた。
表情は、にこやかな儘(まま)ではあった。

>家:まず最初に、残念な話をしなければならないのだよ。
>小:どういうことなのだ?
>鹿:真逆(まさか)、今更仲間には加われぬと?
>家:そういうことではない。・・・なんと言えば良いのか、つまりだ、必要がなくなったのだよ。
>鹿:何の必要がなくなったのですか?
>家:藤木さんは、隠居を願い出られた。今朝のことだよ。
>鹿:そんな話は・・・
>家:このことを知っているのは、まだほんの一握(ひとにぎ)りの者しかいないのだよ。
>小:そんな重要なことを、どうしてお前が知っているのだ? 真逆、一人で先走ったのではあるまいな?
>家:実際に先走ったのは私ではありませんが、原因を作ったのは私です。あの方が相当なせっかちだということを、失念していました。
>八:そりゃあもしかして、内房のご隠居のことですかい?
>家:まあ、そういうことだな。

家島は、照れ臭そうに頭を掻いた。

>家:栗林さんから話を貰ったときに、少々腰が引けてしまったのだよ。正直言って、相手は途方もない人脈を持っているのだ。どこで誰とどう繋(つな)がっているか知れたものじゃないから、相談できる相手も極端に限られてしまってな。
>小:それで、内房殿はなんと仰られたのだ?
>家:「藤木様の命運は風前の灯ですよ。ふうっと息を吹き掛けるだけで消えちゃいます。なんでしたら、あたしが試してみましょうか?」と、こうお出でなさったのです。
>鹿:「風前の灯」とは、どういう意味なのですか?
>家:重要な位置にある然(さ)るお方からの覚えが悪くなったということですよ。
>八:あの、さっぱり分からねえんでやすが・・・
>家:簡単に言ってしまえば、若年寄か、然もなければ寛政の時代の生き残りあたりが、もうそろそろ手を切るべきと判断して、外方(そっぽ)を向いたのであろう。
>熊:「蜥蜴の尻尾切り」でやすか?
>家:そういうことだ。

>八:それで、ご隠居は一体何をやらかしたんでやすか?
>家:陰で糸を引いていると思(おぼ)しきご老体の名前を出しただけだそうだ。
>八:それだけでやすか?
>家:直接話した訳ではないからな。しかし実際、ご当人は近頃随分とおどおどしていたようだからな。以前からそういう兆(きざ)しがあったのではないかな?
>熊:そう言やあ、孫が剣術を始めた理由ってのがそんな内容のことじゃなかったか? なあ、猪ノ吉。
>猪:「お爺様の立場が怪しくなったから」って、確かにそう言ってた。
>家:藤木さんもちょっとばかし調子に乗り過ぎたのであろう。
>八:そんなもんで隠居を決めちまったのか。なんだかつまらねえな。折角だから、頭をぽかりとやってきたかったな。
>熊:そればっかりだな、お前ぇはよ。
>八:それに、ご隠居の旅籠(はたご)のご馳走(ちそう)も、今回はなしだな。あーあ。
>家:旅籠のご膳ほどで出なくても良いのなら、私がご馳走してあげよう。
>八:ほんとですかい? やったあ。

>小:良いのか、そんなこと約束して?
>家:管轄外のことに関わって罷免(ひめん)されることを考えれば安いものです。そうでしょう?
>小:それはそうだが・・・
>家:人生、割り切り方一つですよ、兄上。・・・兄上だってそうですよ。兄上の屋敷に、これほどの人数が集まったことなど、これまで一度だってなかったでしょう? みんな兄上を頼って集まって呉れたのです。喜ばしい限りではありませんか。
>小:う、うむ。確かに。・・・だが、儂(わし)は薄給(はっきゅう)ゆえ・・・
>家:そんなみみっちい話は止しましょう。・・・ああそうだ。内房殿の遣いの者の話でもしましょうか?
>八:あ、おいらそいつのことなら知ってやすぜ。託(ことづけ)を終えたあと、こうやって手のひらを出しやがるんですよね?
>家:はっは。そうだよ。駄賃をせがむのだよ。宿屋の丁稚(でっち)が奉行所の与力に駄賃を求めるのだ。・・・どう思うかな、兄上?
>小:商人の根性だと蔑(さげす)めというのか? 儂のようにみみっちいいということか?
>家:そうじゃありませんよ。12か13の子供が武士に対して平気でいられますか? 怖い筈でしょう? その上、駄賃まで要求するんですよ。斬られるかも知れないんですよ。どうです?
>小:内房殿の言い付けということなのか? 嫌々ながら強請(ねだ)っているということなのか?
>家:そうですよ。客商売をするということは、どんなに怖くても平然とした顔を作らねばならぬほど大変なことなのです。あの丁稚の子供は、あの年から客商売の基本を覚え始めているのです。凄(すご)いことでしょう? なんだか、やる気が出てくる話ではありませんか?
>小:うん。そうだな。将来が楽しみな小僧だな。
>八:・・・おいらんときは、にやって笑いやがったぞ、あの餓鬼。ほんとは、小遣い稼ぎが目的なんじゃねえのか?
>熊:人の顔を見られるってこった。ある意味、末恐ろしいじゃねえか。

あっけない結末ではあったが、考えようによっては、家島の言う通りなのかも知れないと、熊五郎は考えていた。
罷免などで済めばまだ良い。命だって危険になり得(う)るのだ。
黒幕というのはどこに潜んでいるのか分からないだけに恐ろしい。いつもいつも円満に解決することばかりではないということを、肝に銘じておかなければならないと、少し神妙な気持ちになった。

>猪:でもよ。藤木が隠居するとなりゃ、小豆さんがいびられることも、磯次郎が嫌がらせをされることもなくなるんだよな。
>小:儂の方はどうか分からんが、磯次郎の方はやがてなくなっていくだろう。
>熊:それに、道場に嘉剛(よしたけ)が来なくなるってんなら、猪ノ吉も楽になるな?
>猪:ああ、そうだ。案外、一番良い思いをするのは俺かも知れねえな。

・・・と、信じていたことなのに、嘉剛は懲りずに、その後も千場道場に通い続けた。
「父親からの言い付けだって、山盛りの亥(い)の子餅を差し入れてきたときにゃ、背筋を冷たいものが走ったぜ」と、「だるま」に現れた猪ノ吉は語った。
口で言っているほどには、嫌そうな顔をしていないように、熊五郎には見えた。
(第23章の完・つづく)−−−≪HOME

※お詫び
時代考証を誤っています。
「反面教師」は、1960年代に毛沢東が作った言葉ですので、この時代(1803)にはありませんでした。(上へ戻る