199.【こ】 『田作(ごまめ)の歯軋(ぎし)り』 (2003/09/22)
『田作の歯軋り』[=の〜]
悔しがっても、力がないためにどうしようもない。また、力量不足の者が徒(いたずら)にいきり立つこと。
類:●蟷螂(とうろう)の斧石亀の地団駄(じだんだ)●泥鰌の地団太
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>八:あいたたたたたた。・・・なあ熊よ。おいらそんなに飲んだっけかな?
>熊:茄子の新香を3回もお代わりしてたぜ。
>八:新香か? あーあ、飲み代(しろ)がたんまりあるってのに、茄子の新香とはね。とことん安上がりにできちまってるんだな、おいらって生き物はよ。「松茸の姿焼き」みてえなもんでもありゃあ、3本も4本も食うんだけどな。
>熊:「だるま」にそんな贅沢(ぜいたく)なもんがあるか。
>八:親爺がいつも言ってるじゃねえか、「手前ぇたちがしみったれた奴らじゃなかったら、今ごろ日本橋かどっかで高級料亭をやってる筈なんだがな」なんてよ。そうすりゃ、鯛の尾頭付きだろうが、鰻(うなぎ)の蒲焼だろうが、食えたのによ。
>熊:銭のねえお前ぇが言ったって始まらねえだろ? 新香だけで1升近くも飲んどきゃ十分だろうよ。
>八:そんなに飲んじまったのか? 今晩のために取っときゃ良かったな。
>熊:二日酔いだってのに良く飲む気になるな。
>八:今は駄目でも、日が沈みゃそういう身体になっちまうんだな、これが。
>熊:便利なんだか、不便なんだか。
>八:割り勘負けしねえ得な身体だって言って貰いてえな。
>熊:意地汚えってことだな。
>八:失礼な。「酒飲み魂」って呼んで貰いてえな。どうだ? 見上げたもんだろ?
>熊:例えばの話だが、おいらがお前ぇの嫁のてて親だったら、芯から叩き直そうと思うだろうよ。
>八:無理無理。そんな無理なことは、やるだけ馬鹿を見るってことよ。
>熊:開き直るなってんだ。本当に厳しいてて親だったらどうするんだよ。
>八:そのときはそのときよ。・・・だってよ、ちっとくらい余計に酒を飲むからって、何も人様に迷惑を掛ける訳じゃなし。そっちの方がよっぽど増しな人間だと思うぞ。
>熊:そいつは、手前ぇの勝手な言い分だろう? あそこまで飲まなくたって、真っ当に暮らしてる奴なんてのは、ごまんといるだろう? そういう奴の方が良いに決まってる。
>八:無理に我慢してる奴なんてものはな、いつかきっと我慢し切れなくなって、人様に迷惑を掛けるようになるの。おいらが言うんだから間違いはねえぞ。
>熊:お前ぇが言うからこそ怪しいんじゃねえか。

源五郎の家に着くと、八兵衛はすぐさま居間へ呼び出された。
勿論、見合いの話である。

>源:八、お前ぇももう良い年だな。
>八:へい。間もなく30の半ばになりやすから。幾らなんでもそろそろ身を固めろって、母ちゃんが喧(やかま)しくて仕様がありませんや。
>源:そのことだがな。
>八:待ってました、親方。
>源:なんだ?
>八:だって、見合いの話でしょう? 昨日一日いなかったのだって、きっとそのことに違いねえって思ってやした。
>源:そうか。それなら話が早い。相手は、櫛引きの弥兵衛っていう父つぁんの娘だ。
>八:あれ? なんか聞いたことがあるような・・・。もしかして、その娘の名はお八重って言いませんか?
>源:その通りだが、お前ぇ、会ったことがあるのか?
>八:ちょ、ちょっと待ってお呉んなさいやし。そ、その、お八重さんって娘さんは、実は、うちの長屋にいる半次の思い人なんでやす。
>源:なんだと? だがよ、向こうの親爺さんから正式に嫁の先を探してるって話が来たんだぜ。
>八:それが、込み入った事情がありやして。・・・半次の野郎、5日前に喧嘩別れしちまってからなんの音沙汰もねえって落ち込んじまってやして。
>源:それで? 半次とお八重さんってのは、お互いに好き合ってるってのか?
>八:そりゃあもう割れ鍋に閉じ蓋でさあ。
>源:そうは言わねえってんだ。「十五夜に月見団子」とかなんとか言いやがれ。
>八:成る程。中々美味そうなことを言いますね、親方。・・・でね、おいらが思うにでやすね、喧嘩の元なんてものは、何てこともねえことですよ、きっとね。お互いのことを好きだからこそ、ずけずけとものを言っちまって、ほんの少しだけ言い過ぎちまうんでやしょう。半次の野郎は、あの通り口が悪いから、尚更(なおさら)でやすね。
>源:分かった。ふむ。そういうことなら・・・
>八:どうなるんで?
>源:おい八、ちょいとみんなを仕事場に集めとけ。俺はあやの奴を連れてく。・・・ちょいと面白くなってきたぞ。
>八:・・・あの、おいらの見合いの話は?
>源:そんなの後だ後。
>八:「そんなの」ってことはねえんじゃ・・・

がっくり項垂(うなだ)れて熊五郎のところへ戻った八兵衛は、渋々、「見合いの話は延期になった」と告げた。

>熊:なんでだ? 良い話じゃなかったのか?
>八:そうじゃねえんだって。
>五六:飲兵衛は駄目だとかいう条件でも付いてたんでやすかい?
>八:そうじゃねえんだよ。
>三:あ、分かった。瘤付きの姉さん女房だったんでしょう?
>八:違うったら。・・・あのなあ、選りにも選って、あの「お八重」って娘だったのよ。
>熊:何い? 半次の相手のか? なんでまた・・・
>八:経緯(いきさつ)は分からねえがよ、昨日の昨日なんだから、そういうこともあるだろうよ。
>熊:親方は、本当に「からっきし」だったな。
>源:・・・悪口なら陰で叩けよ。
>熊:こ、こりゃ、親方。姐さんまで。まったく都合の良いところへ・・・
>源:まあ、事情を知らなかったとはいえ、このまま話を進めちゃあ、半次に対して顔向けができなくなる。そこでだ。俺たちが半次とお八重さんの間を取り持ってやろうと思うんだが、どうだ?
>熊:やったあ。そう来なくっちゃ。
>八:お前ぇ、なんだかおいらが駄目になったのを喜んでねえか?
>熊:そんなこと、ほんのこれっぽっちしかねえさ。
>八:あるってことじゃねえか、この野郎。

昨夜半次から聞かされた話を、源五郎に説明した。

>源:椎茸と占地ねえ。そんなもんで喧嘩になるかねえ?
>あや:お八重さんにとっては、とっても大事なことだったんですね、きっと。
>源:そんなもんかねえ。俺には分からねえな。
>熊:兎も角でやすね、今日、お咲坊がそのお八重さんに会って、経緯(いきさつ)を聞いてくるって言ってやした。
>あや:それじゃあ、わたしも一緒に行ってこようかしら、お散歩がてらに。
>源:何もお前ぇが行くことはねえじゃねえか。
>あや:だって、うちに来たお見合いの話でしょう? ご挨拶に行くのは筋というものじゃありまんか。
>源:お前ぇがそういう風ににっこり笑うときってのは、別の魂胆があるときに決まってるんだ。余計なことをして、引っ掻き回したりするんじゃねえだろうな?
>あや:あら、そんなことしやしませんよ。自分の気持ちに素直になれるように、ちょっとだけ後押ししてあげるだけです。
>源:それが余計なことだってんだ。
>あや:そうは仰いますが、お咲ちゃん独りで行ったって同じことをしますよ。わたしよりも単刀直入に、半次さんの名前を持ち出すに決まっています。それなら、わたしが付いていった方が良いんじゃありませんか?
>源:屁理屈を捏(こ)ねやがって。
>熊:親方も、口じゃあ姐さんにゃ敵(かな)いませんね。
>源:放っとけ。

>五六:でも、お夏ちゃんの話だと、親父さんの弥兵衛ってお人が、ちょいと曲者(くせもの)らしいってことで・・・
>三:お八重さんのことを物凄く厳しく躾(しつけ)たって話でやすぜ。
>源:そうは見えなかったぜ。物静かで、落ち着いてて、腕一本でやってるって感じの職人だった。
>四:男手1つで育て上げたから、お八重さんのこととなると頑固親爺になるってことです。
>源:そうか、成る程な。・・・それじゃあ、ちょいと慎重に運ばねえといけねえな。大丈夫か、おい?
>あや:大丈夫ですよ。
>源:そうあっさりと言うなってんだ。拗(こじ)らせちまったら、後戻りできねえようになっちまうぞ。
>あや:分かっていますよ。・・・お父様がどんなに厳しい方だって、お八重さん本人の気持ち次第なんですもの。どうあっても半次さんでは駄目だって言い張るようでしたら、わたしとお咲ちゃんとで、駆け落ちさせてしまいますから。
>源:おいおい、滅多なことを言うもんじゃねえよ。
>あや:脅かすだけですよ。本当に逃げさせたりするものですか。そういう遣り方じゃ正しい祝言(しゅうげん)にはなりませんからね。
>源:お前ぇらだと、本当にやり兼ねねえからな。
>あや:あら、お咲ちゃんって、そんな型破りな娘じゃありませんよ。
>源:お前ぇのことだよ。まったく、けろりとした顔でとんでもねえことをしやがる。

源五郎は、「まあ良かろう」と、あやが出掛けることを許した。いつも、最後は源五郎が折れるようになるのである。

>八:ねえ姐さん。あの、でやすね、・・・もし、そのお八重さんって娘さんが、半次のことは嫌いになっちまったってことになったら、おいらと見合いして呉れることになるんでやすかね?
>あや:どうかしら? 難しいかも知れませんよ。
>八:どうしてでやすか?
>あや:八兵衛さんは、半次さんと関わりがあり過ぎますからね。
>源:だがよ、それはそれだろう? よっぽどってことなら、甚兵衛長屋から出りゃあ良い。
>あや:それだけじゃ済まないでしょう? 仕事ではしょっちゅ顔を合わせる訳ですし、「だるま」でだって会う訳でしょう? 平気な顔で半次さんと話ができるかしら?
>八:そいつはなんだか面倒な感じがしやすねえ。
>熊:それによ、弥兵衛父つぁんから、酒に意地汚ねえとこを物凄く厳しく叩き直されるかも知れねえし。
>八:そ、そういうことを言うと思うか?
>熊:そりゃあ、娘に厳しいってことは、婿にだって厳しいに決まってんじゃねえか。
>八:そ、そりゃあ、あんまり旨(うま)くねえな。
>熊:威勢良く突っ撥ねるんじゃなかったのか?
>八:そりゃあお前ぇ、時と場合と、相手に因(よ)るだろうよ。厳しい親父ってのはちょっと、なんだ、あんまり慣れてねえもんでよ。・・・止(や)めやしょう、ね、親方。おいら、俄然(がぜん)半次のこと応援しちまいやすから、ね。見合いの話は、また別のときってことで。後生(ごしょう)ですから。頼みますよ、ねえ親方あ。
つづく
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