193.【こ】 『故郷(こきょう)へ錦(にしき)を飾(かざ)る』 (2003/08/11)
『故郷へ錦を飾る』
故郷を離れていた者が、立身出世して、華やかに故郷へ帰ること。
類:●故郷へは錦の袴を着て帰る
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三吉が「お夏が呼んでいる」と告げると、太助は三吉を引き摺るようにして「だるま」へ駆け付けてきた。
その第一声が「只で飲み食いさせて呉れるんですよね?」だった。

>八:そんなの知るかってんだ。
>太助:だって、呼び付けといて銭を出せってことはないでしょう?
>八:お前ぇの食いっ振りってったら尋常じゃねえからな、幾ら掛かるか分かったもんじゃねえ。
>熊:まあ良いじゃねえか。鴨太郎が来るだろうから、余計に出させりゃ良いだろうよ。・・・それにしても太助よ、お前ぇほんとに飲み食いのこととなると、まるで人が変わったようだな。
>太助:前にも言いましたが、食うことだけがたった一つの生き甲斐ですから。
>熊:まったく、変わってやがるぜ。
>八:太助、お夏ちゃんが来るまでは酔っ払うなよ。話があるって言うんだからよ。
>太:分かりました。・・・それじゃあ、親爺さーん。おからはありますかい? 丼(どんぶり)一杯欲しいんですけど。
>八:なんてこった。人の話なんか全く聞いてねえ。

もの凄い勢いでおからを掻き込む太助に半(なか)ば見蕩(みと)れながら、熊五郎たちは、胡瓜(きゅうり)味噌をちまちまと食べていた。
程なく、お咲に引っ張られるようにして、仏頂面の鴨太郎が現れた。

>熊:おお、来やがったな? この唐変木
>咲:どうかしちゃったの、鴨太郎さん? 入り辛(づら)そうにうろうろしてるなんて。
>鴨:いや、別に。
>熊:ちょいと発破を掛け
てやったんだ。勝手にいじけてるだけさ。放っといて構わねえよ。
>咲:ふうん。そういうことなの。
>八:何が「そういうこと」なんだ? 分かるように話して呉れよ。
>咲:教えてあげない。後でお夏ちゃんにでも聞いてみれば?
>八:ん? そうか? それじゃあそうするか。
>鴨:そんな下らないこと聞くな。飲み代(しろ)くらい出してやるから、猪口(ちょこ)を咥(くわ)えて大人しくしてやがれ。
>太助:ほ、ほんとで御座いますね? やったあ。・・・おーい、親爺い、お銚子5ほーん。それと、おいらにも胡瓜(きゅうり)を、丸のまま3ぼーん。

鴨太郎は、それまで太助の存在に気が付いていなかった。
周りに気を配らなかった己の迂闊(うかつ)さに、自分に向かって毒突いた。裏を返せば、熊五郎から指摘されたお夏のことで、それほど動揺していたのである。
太助が凄まじい勢いで器を空にしていく様子を見守っているとき、坂田太市が現れた。
お咲の首尾(しゅび)はどうだったかが気になって見にきたのである。
折りしも、その直(す)ぐ後ろから、お夏が元気に登場した。鴨太郎は、また一層動揺してしまっていた。

>太市:おや、桃山さんが来ているということは、首尾(しゅび)は上々だったということですか?
>咲:勿論よ。あの調子なら、残りの8つも100文(約2千円)で買い取るわよ。
>夏:ええーっ? 何々? そんなに吹っ掛けちゃったの? あんたの度胸ったら、まるで牛並みね。心臓に毛でも生えてるんじゃないの?
>咲:何よその言い方。繊細な乙女に向かって言う言葉じゃないわよ。
>熊:どこが繊細だか・・・
>咲:なんか言った?
>熊:べ、別に。
>夏:あら、もう尻に敷かれちゃってる。先が思い遣られちゃうな。
>熊:お前なあ・・・。そんなんじゃねえって言ってるじゃねえか。
>夏:はいはい。・・・それで、お咲ちゃん? 1分(ぶ)(=
約2万円)もの大枚(たいまい)で前祝しちゃうって訳?
>咲:真逆(まさか)。ちゃんと、半分ずつ金太楼の親爺さんと安兵衛さんとに渡すわよ。
>八:渡しちまうのか? ピンを撥ねちまうって訳には・・・
>咲:いかない。八つぁんが「死に損(ぞこな)い」って言ったお詫(わ)びも含めてね。
>八:それとこれとは・・・
>咲:折角(せっかく)正しいことをしようってのに、ピン撥ねなんかしちゃったら、台無しになっちゃうじゃない。そうでしょ、坂田の小父(おじ)様?
>太市:そうですね。・・・でも、本当に正しいことができた暁(あかつき)には、相当の謝礼を出すように、掛け合ってみますよ。
>八:やったあ。そういうことなら、1朱(=約5千円)や2朱の端た金(はしたがね)なんぞ取らなくたって良いや。
>熊:謝礼の額なんか期待するもんじゃねえっての。

>太市:そうですよ、八つぁん。まだ巧く行くかどうかも知れたものではないのですからね。
>夏:・・・さて。それじゃあ、次に進むとしましょうかね。
>太市:次とは?
>夏:太助さん。ちょっと頼まれて欲しいのよね。
>太助:へ、へい?
>八:お前ぇ、お夏ちゃんから話し掛けられてるときくらい、口からものを出せってんだ。
>夏:瓦版の文面はこうよ。「豪華大金餅詰合せの桐箱は賂(まいない)に持って来い」。どう?
>熊:なんだと? そんなもん瓦版にして町中にばら撒(ま)くってのか?
>夏:決まってるじゃない。焦(あせ)るわよ、勘定組頭の林田って人。そのときの顔を間近で見てみたいわ。
>鴨:ちょ、ちょ、ちょっと待て。お前ぇら一体何を仕組みやがったんだ? なんとか詰め合わせの箱ってのはなんだ?

事の成り行きは、鴨太郎への約束通り、熊五郎が説明した。
初めて聞く内容に、鴨太郎は口をあんぐり開け、目を白黒させた。

>鴨:そ、そんなことやってお上(かみ)が許すとでも思っているのか?
>熊:許すも許さねえもねえだろう? 桐箱に賂(まいない)を詰めて誰かに渡して、それで目を瞑(つぶ)って呉れって方が、よっぽど許されねえことじゃねえのか?
>太市:・・・桃山さん。今の世の中は、仕組みが可笑(おか)しくなっているのです。太平に見えても、闇ではどんどん悪い方へと移っていっているのです。少しずつでもなんでも正しい在り方に変えてゆかないと、庶民が食べていけなくなってしまうのです。お分かりですね?
>鴨:しかし、そりゃあ、命懸けですぜ。悪くすりゃ、胴から離れる首は1個や2個じゃねえかも知れねえ。
>太市:覚悟の上です。尤(もっと)も、こちらの皆さんにはできる限り
累が及ばないようにするつもりです。
>鴨:聞いちまった以上、俺だって黙って見てられねえんだぜ。
>熊:当事者が何言ってやがる。
>鴨:なんだと? 俺がどうして当事者なんだ? こんな話、今聞いたばっかりじゃねえか。
>熊:お夏坊の筋だとよ、林田のところに踏み込むのはお前ぇの役なんだがな。
>鴨:か、勝手に決めるな。・・・仮に見事(みごと)証(あか)しを押さえたって、町奉行の分(ぶん)を越えてんだろう。
>熊:そんなの当たり前ぇじゃねえか。だがよ、本来その役にある筈の役人が賂を握(にぎ)らされてて、取り締まろうともしねえんだったら、分を越えた誰かが捕まえてやるしかねえだろ?
>鴨:うーむ。・・・そういう筋書きになっちまってるんだな?
>熊:そうだ。
>鴨:分かったよ。これも、お前ぇらと付き合っちまったばっかりの「
運の尽き」ってやつだな。・・・あーあ。この年でお役御免、浪人暮らしか。ま、それも、俺らしくって良いか。
>夏:そうならないように瓦版を出すんじゃない。みんなが騒げば、決して悪いお裁きはしないでしょ、今のお奉行様なら。

お夏の配慮がそこまで行き届いていたのなら、まだ
脈はある
お夏の中で、鴨太郎に下(くだ)る処分のことが、重要な問題だったというのなら、鴨太郎としても気持ちに応(こた)えなければならない。

>太市:わたしの力がないばかりに、桃山さんにはご迷惑をお掛けすることになりそうです。
面目(めんぼく)ない
>熊:良いんですよ。太市の旦那のせいじゃありません。遅かれ早かれお役人の遣り方から食(は)み出しちまうのは
目に見えてたんです。ちょっとばかし早まっただけのことですよ。
>鴨:分かったようなことを言うな。偶々(たまたま)妻子もなく、これといって困らないから良いようなものの、年老いた両親ががっくりして寝込んじまうようなことになったらどうする?
>熊:お前ぇの父上はそんなことでへこんじまう人じゃねえだろう? 母上だってそうだ。却(かえ)ってよ、「良くやった」って誉めてくださるだろうよ。
>鴨:ああそうだな。住んでる屋敷は召し上げだろうがな。
>熊:田舎(いなか)にでも引っ込むんだな。・・・今回のことで本当に手柄(てがら)が立てられりゃ、幟(のぼり)を上げて歓迎して呉れるだろうよ。
>鴨:親父達はそれで良いとしても、俺は嫌だね。傘を貼りながらでも、江戸に残る。
>熊:そんならよ、いっそのこと、用心棒なんてのはどうだ?
>鴨:馬鹿を言え。元同心を雇(やと)うようなところなんかあるかよ。
>熊:そうじゃねえってんだ。うら若い乙女が遥か彼方の長崎に行こうって言ってるんだ。その用心棒でもしてやれってこった。
>鴨:そ、そんな・・・
>熊:なんだ? そんな打って付けの話なんか、ある筈ねえってのか? そんなの分からねえぜ。・・・ねえ、太市の旦那?

>八:さっきから、何の話をしてるんだ? 用心棒なんかしねえで、お夏ちゃんが辞(や)めちまうとかいう後の「だるま」の給仕でもやりゃあ良いじゃねえか。親爺と話を付けやっても良いぞ。
>熊:お前ぇは草津にでも行って逆上(のぼ)せたお頭(つむ)を冷やしてこいってんだ。
>五六:あっしが案内しても良いですぜ、八兄い。一遍お三千を披露(ひろう)しに行きてえなと思ってたところでやすからね。
>八:なんでおいらがお頭を冷やさなきゃならねえんだ? なあ、お咲坊、講釈して呉んねえか?
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お詫び:時代考証を誤まっています
「発破」つまり、ダイナマイトがノーベルによって発明されたのは1866年ですので、この時代(享和3年1803)には、「発破を掛ける」は、どう考えても使われていません。(上へ戻る