162.【く】 『口も八丁(はっちょう)手も八丁』 (2003/01/06)
『口も八丁手も八丁』
喋ることも、することも、非常に達者であること。
類:●口八丁手八丁
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>八:そ、そ、そ、それだけはご勘弁(かんべん)を。
>斉:そんなことを言われてもの。もう呼んでしまって居(お)る。程なくここに来るぞ。
>八:お、おいら、か、か、帰らせて貰いやす。・・・熊、後のことは頼んだぜ。
>熊:頼むって言われても・・・
>八:ゆんべの飲み代(しろ)の礼だ。遠慮せずに取っとけよ、な。
>斉:待たっしゃい。・・・余人に渡してはならんと言ったであろう。守れぬのであれば、手打ちにして呉れる。
>八:て、手打ちでやすって? そ、そんな殺生(せっしょう)な。
>斉:まあ、呉れてしまった後に、誰かに売り渡そうが、簀(す)巻きにして捨てようが、こっちの知ったことではないがな。・・・まあ、面と向かうだけ会いませい。
>八:それが嫌だから逃げようってんじゃねえですか。おいら、睨み付けられただけで気絶しちまいますぜ。
>斉:そうか。その様を見せて貰うのも一興よの。はっはっは。
>八:笑いごとじゃあありやせんぜ。こっちは寿命が縮むかも知れねえんでやすからね。
>斉:それは面白い。寿命が縮むところを是非見せて貰いたいものだな。
>八:そんなの目に見えますかってんだ。

会話が段々掛け合い台詞(ぜりふ)じみてきたところで、内房老人が割って入って呉れた。

>内:なんですか、上様も大人気ない。もうそのくらいにしてお上げなさいませ。
>斉:ここで止(や)めてしまっては面白くないではないか。
>内:面白い面白くないで済ませるようなことではありません。・・・仮にも、お方様である人を大工に下げ渡すなど、聞いたことが御座いません。前代未聞のことですぞ。
>斉:そうか。それなら余が最初の将軍ということになるの。これもまた一興。
>内:前代未聞というのは、口の悪い言いようをすれば「頓珍漢」ということですぞ。空(うつ)け者呼ばわりされでもしたら、いかがなさいます?
>斉:放っておけば良い。捨て置け。
>内:上様。・・・それでなくとも放蕩が過ぎると皆頭を抱えておるのですぞ。これ以上の奇行はお止めください。
>斉:ふむ。放蕩と言われては返す言葉もないの。しかしな、福の所業には些(いささ)か目に余るものがある。このまま奥に置いておく訳にもいくまいて。どうじゃ?
>内:それはそうでもありましょうが、もそっと穏便に済ますこともできましょう。それに、若君のことも御座います。
>斉:若はどこぞの藩へ出せば良い。下手に置いておくと、命が危ういからの。
>内:なるほど。その点に付きましてはご明察で御座いますが、お福の方様の件は、何卒(なにとぞ)別の手段を。
>斉:ふむ。仕方ないかの。・・・だがな、呼んでしまっておる。折角だから、対面だけはさせても良いであろう。
>内:上様・・・。まったく、あなたという人は。
>斉:よし決まった。・・・そういうことである。八つぁん、嫁の件はなしじゃ。
>八:会うのもなしにして貰えやせんか?
>斉:駄目じゃ。

やがて、店の主(あるじ)に小言を言いながら、お福の方が現れた。

>福:このような下賎の者が使うようなところに呼び付けられるとは、安く見られたものです。上様のお遣いでなかったら、来たりなぞしておりませぬぞ。
>主:はあ。まことに恐縮至極に存知奉りますです、はい。
>福:わらわに用とは、いったいどこのどなたじゃ?
>斉:余じゃ。
>福:う、上様? 何故このようなことろに? ご用でしたら、奥にお運び遊ばせば宜しいでは御座いませぬか?
>斉:ちと、会わせたい者があったのでな。のう、ご老体。
>福:内房、わらわに諫言(かんげん)でも聞かせようということか?
>内:滅相も御座いません。この老体には然様(さよう)な力も身分も御座いません。
>斉:のう、福。そこに居る町人に見覚えはないかの?
>福:わらわに、町民ごときの知り合いなぞ・・・、おや? はて、どこかで・・・
>斉:八兵衛である。再会の言葉を掛けてやるが良い。
>福:八兵衛というと、箪笥町のか? あの盗人(ぬすっと)の八公か?
>八:誰が盗人だと?
>福:おおそうじゃ。やっぱり八公じゃ。よくもわらわの団子を取って呉れたの。それに、飴玉も。
>八:だから、取ってなんかいねえってんだ。勝手に大笑いして落っことしたんじゃねえか。こちとらなんにも悪いことなんかしてねえぞ。ちゃあんと洗って返してやろうとしたじゃねえか。それを取られた取られたって大騒ぎしやがって。
>福:団子を台無しにしておいて言い逃れか? 盗人猛々しいとはこのことじゃ。
>八:首っ玉をふん掴まれて1辻も引き摺り回されて、あちこち怪我をさせられたのはおいらの方だっての。
>福:なにを? 町人風情がわらわに口答えしようというのか?
>八:今じゃお方様だかなんだか知らねえがな、蝦蟇(がま)みてえなでかい口を開けて下品に大笑いしやがったのは、手前ぇの方なんだからな。

>斉:どういうことなのじゃ、八つぁん。
>八:死んだ父ちゃんの話をしたことはありやせんでしたか? 然(さ)るお偉いさんの前で腹踊りをやったばっかりに、お手打ちになったんでやすがね、おいらも、おんなじなんでやすかねえ。
>斉:腹踊りで手打ちになったなどという話は聞いたこともないぞ。余程下手だったということか?
>八:その逆でやすよ。おいらの父ちゃんは喋りも達者だが、その腹踊りときたら、天下一品だったってことでさあ。ご機嫌でご覧になってたお偉いさんが、運悪く食いもんを咽喉(のど)に詰まらせて死んじまったんです。
>斉:ほう、それで手打ちか。それは可愛そうにの。それで?
>八:祭りんとき、ちょいと真似して、腹踊りをやって見せたってことでやすよ。お福ちゃんは、齧(かぶ)り付きで見てたんでやすが、あんまり笑い過ぎて、手に持ってた団子を落っことしたって訳でやす。おいら、なんにも悪くねえでしょう?
>斉:そうよの。悪いとは思えぬな。
>福:なによ。泥が付いた団子を無理に食べさせようとしたじゃない。
>八:ちゃんと、泥のところを取ってやったじゃねえか。
>福:齧(かじ)って取ったのよ。そんなもの食べられる訳がないじゃないの。それに、辻でばったり会う度に腹を捲って踊って見せたじゃないの。お父つぁんに買って貰ったばっかりの、こんな大きな飴玉を落っことしたのもそのせいなんだからね。
>八:だから、洗ってやっただろ?
>福:天水桶(てんすいおけ)の汚い水で洗ったのなんか口に入れられる訳ないでしょう?
>斉:ふむ、それはばばっちいの。
>内:そのような言葉をどこで覚えてらっしゃったのですか? お止しなさい、上様。
>斉:はは、済まぬ。福が町衆の言葉を使うので、つい。

>八:でも、だからってって道を引き摺り回すことはねえじゃねえか。
>福:知らないわよ。泣いてるときの自分が何をしてるかなんて、誰が責任を持てるって言うのよ。
>八:普通は責任が持てるぜ。
>福:あたしは持てないの。
>八:それからは、会うたんびに泣かれて、引っ張り回されて、あちこち擦り剥いて、揚句(あげく)の果てに怖くて道も歩けなくなっちまったんだからよ。
>福:そんなのあたしの知ったこっちゃないわよ。
>斉:ほう、福、そなたは泣き虫であったのか?
>福:とんでも御座りませぬ。わらわはいつの時代も気丈な、気高(けだか)い者で御座いました。
>斉:八つぁんの話とは違うの。
>福:八公だけで御座います。この者の前だけ弱者になってしまうので御座います。
>斉:惚れて居ったのか?
>福:上様、何を仰るかと思えば、たわいもない。このような下賎の者に特別な感情を持つ道理など、ある訳がないではありませぬか。

>内:お福の方様、泣き虫が即(すなわ)ち弱者な訳でも、誰かに愛情を持つことが詮(せん)無いことでもありませぬぞ。世の中には軟弱に見えるものが実は強いということなど、ざらにあるのです。
>福:内房、小言か?
>内:いえ、ただの助言で御座います。
>斉:ほう。中々巧(うま)いことを言うのう。
>内:恐れ入ります。・・・更に助言をさせていただけるなら、誰かを貶(おとし)めたりして、力尽(ず)くで勝ち得るものなど、本当は脆(もろ)く儚(はかな)いものなのですよ。
>福:随分と際(きわ)どいところを突いてくるな。
>内:年寄りの独り言です。・・・しかし、ここに居合わせていらっしゃる川田様や竹上様なら、あたしの言いたいことを理解していただけたかも知れませんね。

竹上と、既に気絶から回復し成り行きを見守っていた川田とが、居住まいを正した。

>斉:福、そなたが無闇に毒を用いたこと、余の耳にも聞こえてきておる。
>福:上様。
>斉:確かに、最悪の結果には至らなかった。この一件は不問に付そう。しかし、そのような考えを起こしたことは許されるものではない。近日内に暇を出されるであろう。
>福:そんな・・・
>斉:若は養子に出される。二度と目通りは叶(かな)わぬと思うが良い。
>福:上様、そればかりは、どうか・・・
>斉:そちが望むのであれば、八つぁんたちのいる町に戻るのも良い。髪を下ろして、仏に仕えるのも良し。・・・それから、川田と竹上。そちたちにもなんらかのお達しが下(くだ)されよう。坂田は暫(しばら)く内房預かりとする。
>3人:ははあ。

>斉:内房。なんだか、お主の思うように操(あやつ)られてしまったような気がするのだがな。
>内:それは、気のせいで御座いましょう。
>斉:ま、そういうことにしておくとするか。・・・しかし、こんなことになってしまったからには、余自身も、もう放蕩ばかりはしていられないのだな?
>内:御意(ぎょい)。
>斉:まったく、この策士めが。
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