150.【き】 『窮(きゅう)すれば通(つう)ず』 (2002/10/15)
『窮すれば通ず』
行き詰まってどうにもならないところまで来てみると、ひょんな切っ掛けで、案外打開の道が見付かるものだ。
類:●窮すれば則ち変じ、変ずれば則ち通ず●When you are in real trouble you will find a way out.●The darkest hour is that before the dawn.(一番暗いのは夜明け前)<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典
出典:「易経−繋辞・下」 「則變、變則通
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源五郎は、「困りましたわねえ」というあやの溜め息を聞く度に、自分の不甲斐なさを思い知らされていた。
もう半月近くもそんなことになっている。このままでは、あやのお産にも障(さわ)ろうというものだ。
どうにかしなければならない。

>源:八、その後思わしい男は現れねえのか?
>八:そんなこと言いやしても、おいら男より女の方が好きなんでやすから、仕方がねえじゃありませんか。
>源:お前ぇには端(はな)っから期待してねえ。太助とか与太郎とか、長屋に顔が広いもんがいるだろう。
>八:太助はもう干上がっちまいましたし、与太郎は「一黒屋」の青物のことで天手古舞いしてて、使いもんになりやせんや。ここはやっぱりこの八兵衛が腰を上げるしかなさそうでやすね。
>源:なんだ手前ぇは今まで腰を上げてなかったってのか?
>八:奥の手は最後に取っておくって決まってるじゃねえですか。
>源:それなら、目星を付けてあるんだな?
>八:全然。これからでやすよ。
>源:どこが奥の手だ。・・・頼むぜ。俺はな、あやのやつを早く安心させてやりてえんだよ。
>八:そりゃあおいらたちだって、早く姐さんを安心させてやりてえですよ。元気な稚児(やや)を産んで貰わねえと困りやすからね。・・・ですが、お杉坊が「はいそうですか」って言って呉れねえんだからどうしようもないじゃねえですか。
>源:そうだよな。お前ぇたちばかりを責める訳にもいかねえよな。・・・だが、もう幾日もねえんだよ。頼むから、もう一遍、お杉ちゃんに掛け合ってみちゃあ呉れねえか?

>八:そうでやすね。呼んでみやしょうか。丁度今夜は丈二に呼び付けられていやすしね。
>源:誰なんだ? その、丈二ってのは?
>八:町火消しですよ。奈良屋の小火(ぼや)を消した野郎です。・・・相談事があるみてえなんですよ、おいらに。
>源:お前ぇに相談だぁ? とち狂ってるんじゃねえのか?
>八:なんてことを言うんですか。こう見えたって、おいらは結構頼りにされるんでやすからね。現に今だってお杉坊のことと丈二のこと、合わせて2件も搗(か)ち合っちまたじゃあねえですか。
>源:分かった分かった。熊とお咲ちゃんと、ついでにお夏ちゃんに力になって貰え。
>八:まあ、お夏ちゃん以外は頼りになりやせんが、小間使いの足しくらいにはなるでしょう。
>源:しっかり頼むぜ。早く片付いたら美味いものを鱈腹(たらふく)食わしてやるからよ。
>八:それを聞いて勇気百倍でやすよ。まあ見ててください。2・3日でちょちょいのちょいと片付けちまいますから。
>源:その軽さを見てると、益々不安になるぜ。

日が傾く時分になって、雨が降り出した。
大工仕事を早目に片付けて、八兵衛と熊五郎は、お咲に協力を頼みに、長屋へ戻った。
お杉も定吉もまだ勤め先から戻っていなかった。
あやのために是が非でもお杉を引っ張ってくるようにと言い置いて、「だるま」へと向かった。

>熊:なあ八よ、お前ぇ、なんか目当てでもあるのか?
>八:そんなものありゃあしねえよ。だがな、もう半月以上経ってるんだぜ、お杉坊だって少しくらい考え方が柔らかくなってるんじゃねえのか? 要は本人の気持ちだろう? なんとかなるって。
>熊:そんなことでなんとかなるかよ。刻限(とき)がねえんだぞ。
>八:分かってるよ。お夏ちゃんに任せときゃなんとかなるって。
>熊:まったくお前ぇって奴は。暢気(のんき)なのも程々にしとけよ。
>八:・・・あそうだ、丈二の野郎が相談に乗って貰いてえんだとよ。どんな話だと思う?
>熊:大方、人手が足りねえとか、町人にも夜回りをさせちゃあどうかとか、そんなとこだろうよ。
>八:うーん。あの顔付きだとそんなことでもなさそうだったがな。・・・嫁が欲しいとか、そんな話だったらどうする?
>熊:また縁結びかよ。勘弁してくれよ。お杉坊1人も儘ならねえってのによ。
>八:いっそのこと、2人がくっ付いちまえば良いのにな。
>熊:そう簡単に行くかよ。

雨が降り出したお陰で、丈二は早々に勤めから解放されていた。
考えたら、雨が降ると暇になるのは大工も火消しも一緒のようだ。

>丈:よう熊さん、良く来て呉れたな。
>熊:呼ばれなくたって殆ど毎晩来てるっての。・・・何か話があるんだって?
>丈:まあそう慌てなさんなって。恥ずかしくって素面(しらふ)じゃ話し辛(づれ)えんだ。まあ、くいっとやっと呉れよ。
>熊:なんだ、夜回りを手伝えとか、そういう話じゃねえのか?
>丈:とんでもねえ。庶民の皆さんを手伝わせたりなんかしたら火消しの名が廃(すた)るってもんだ。誰がそんなことさせるかってんだ。火消しを舐(な)めるのも好い加減にしてくれよな。
>熊:済まねえ。お前ぇがおいらたちに話なんて、そのくらいしか思い浮かばなかったんでよ。
>八:そんで? なんの話なんだよ。
>丈:だから、もうちょいと飲んでからにして呉れってんだ。良いだろ?

銚子1本しか飲まなかった丈二が、今夜は3本を一気に飲み干した。

>八:へえ、やるねえ。いつものお前ぇとは大違いだ。
>丈:まあ、雨だからな。罷(まか)り間違って火が出たとしても燃え移らねえで済むからな。良いだろ、雨んときくらい酔わせて貰ってもよ。
>熊:お前ぇ、今朝早かったんだろ? 肝心なことを話す前に寝ちまったなんてことにならねえようにしろよな。
>丈:朝早かったんじゃねえよ。寝てねえのよ。
>熊:それじゃあ尚更だ。
>丈:相談ってのはだな、奈良屋のお杉さんのことなんだ。
>八:お杉坊がどうしたんだ? 油でも売り付けられたか?
>熊:そんなことでおいらたちに相談するかよ。丈二、お前ぇ真逆(まさか)・・・
>丈:そういうこった。半月ほど前に、ここへ連れてきただろ?
>熊:前から知ってたのか?
>丈:名前までは知らなかったが、奈良屋で働いてるのは知ってた。何度かうろうろしてはみたんだが、喋る機会は1回もなかったがな。
>熊:そりゃあそうだ。夜回りなんかしてたって、夜のうちは長屋へ戻っちまうんだもんな。それこそ入れ違いだ。
>丈:それだよ。おいらはそれを知らなかったんだよな。だから、夜な夜な奈良屋の周りばっかりうろついてた訳だ。
>熊:それじゃあお前ぇ、ここんとこ殆ど寝てねえんじゃねえのか?
>丈:ああ。昼間はうつらうつらしてるし、布団に潜(もぐ)っても寝返りばっかり打ってるって具合いだ。・・・このまんまじゃ、おいらどうにかなっちまう。
>熊:なんでそこまで思い詰めちまったんだ?

>丈:頭(かしら)からな、そろそろ嫁を取れって、言い付けられてるんだ。「小頭が独り身じゃあ格好付かねえぞ」ってな。
>八:小頭になったのか?
>丈:まださ。年が明けたらどうかって言われてる。・・・だから、それまでに嫁を決めなきゃならねえ。好き合った相手がないんなら頭の遠縁の娘を娶(めあ)わせて呉れるってことなんだがよ・・・
>熊:お杉坊に惚(ほ)れちまったってことだな。
>八:そうなのか? そんならくっ付いちまえば良いじゃねえか。
>熊:そんなに簡単じゃねえだろうってんだ。
>丈:なあ熊さん、お杉さんは、やっぱり、商家の手代とかじゃねえと駄目なのかな?
>熊:そうじゃないといけないってことはねえんだろうが、少しはそう思ってるかも知れねえ。
>八:そんなこたあどうでも良いじゃねえかよ。熊の知り合いの鹿の字なんか武家の癖にお針子と一緒になって結構幸せにやってるじゃねえか。それに比べりゃ火消しと油屋でどこが悪い?
>熊:でも、そうは言ってもなあ・・・
>八:でもも雁擬(がんも)もあるか。丈二には時がねえんだろ? うちの姐さんにも時がねえんだ。そんなら2人をくっ付けるように立ち回るのがおいらたちの役目じゃねえのか?
>熊:ほう、抜かしやがったな? ・・・上等だ。そういうことならこの熊五郎、一肌も二肌も脱いでやろうじゃねえか。

お杉にとって「小頭の女房」は決して悪い話ではない。言ってはなんだが、売れ残りには過ぎた嫁入り先である。
仮にお杉が断ってきても、丈二が通い詰めれば気持ちも動くかもしれない。定吉を巻き込んでしまうのも手である。

>八:あのな丈二、間もなくお杉坊がここへ来ることになってる。
>丈:な、なんだと? これからなのか?
>八:そうよ。ここは一発がつーんと言ってやるんだな。「商(あきな)いが大事」って言われようが「もう少し考えさせて」って言われようが、押して押して押し通すんだぞ。
>丈:おいらにそんなことできるかよ。
>八:じゃあ諦(あきら)めるのか? 切羽詰まってんだろ?
>丈:うん。まあ、確かにこんな体(てい)たらくではあるが・・・
>八:当たって砕けろだよ、な。
>熊:砕けちゃ駄目だっての。

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