第15章「呟き四郎の一大決心(仮題)」

135.【か】 『堪忍袋(かんにんぶくろ)の緒(お)が切(き)れる』
 
(2002/07/01)
『堪忍袋の緒が切れる』
もうこれ以上は、我慢し続けていることができなくなる。我慢の限界を超える。
反:●虫を殺す
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下野(しもつけ)の国までの往復は20日程度だからと出掛けていったけれども、「珍道中」が帰ってきたのは、空に入道雲が浮かぶような季節だった。
かれこれ、一月半も留守にしていた勘定である。

>八:やい、四郎。宿場ごとに何かを送るって言ってなかったか?
>四:送ったじゃありませんか。
>八:そりゃあ、最初のうちこそ1日置きくらいで届いたがよ。それが3日置きになり、5日置きになり、終いには音沙汰なしじゃねえか。数え合わせたって10にもなりゃしねえ。おいらがいくら温厚な質(たち)だからっていっても、許せることと許せねえことがあるぞ。
>熊:どこが温厚だか・・・
>四:良いものがあったら送っていますよ。言ったじゃないですか、干瓢(かんぴょう)しかないんだって。
>八:干瓢でも何でも送って寄越せば良いじゃねえか。干してあるんだから、日持ちもするだろう。
>四:そんなもの貯め込んだって仕様がないじゃないですか。乾物問屋にでも売り込もうってんですか?
>八:そうじゃねえよ。「だるま」に持っていって親爺に煮付けさせるのよ。そんでもって、「お通しでござい」って、小鉢10文(約200円)で客に売り付けさせる。1束で小鉢50くらいになるから、ざっと2朱(約1万円)少々になるだろう。
>三:ですが八兄い、そいつは「だるま」の親爺の儲(もう)けでやしょう?
>八:何を言ってやがる。材料と思い付きを出したのはおいらなんだぜ。取り分は8:2(はちにー)で、おいらが8だよな。なんてったって、名前からして八兵衛だもんな。
>熊:なに馬鹿なことを言ってやがる。そもそも送られてねえんだから、そんなことを話しても仕方ねえだろう。それに、仮にそんなことになってたとしてもだ、元手は全部一黒屋のご隠居様なんだろ? そういうのをな、「人の褌(ふんどし)で相撲を取る」ってんだ。
>八:良いじゃねえかよ。送って貰ったんなら、もう、おいらのもんだろ? おいらのもんをおいらがどう使おうと、ご隠居様には関わりのねえことなんじゃねえか?
>熊:だからよ、ご隠居様は、お前ぇが喜んで食うだろうってことで送って呉れるんだろ? そんなご厚意を銭儲けにしちまおうっていう根性が、曲がってるとは思わねえのか? お前ぇはそんな人でなしか?

>八:うーん。確かにな。厚意を無にするってやつだよな。・・・だがよ、ご隠居にばれなきゃ、ちょっとくらいやったって良いんじゃねえのか?
>八:全部だろうがちょっとだろうが、やっちまったら、もう、咎(とが)なの。2朱だろうと20文だろうと、お縄になりゃあ一緒ってことだ。
>八:たった20文でか? それで、どんな咎になるんだ?
>熊:そうだな、「騙(かた)り」になるのかな? まあ遠島(えんとう)だな。良くても所払いじゃねえか? お奉行様の機嫌が悪いとかで、罷り間違えば、獄門(ごくもん)だな。
>八:冗談は止(よ)せよ。高々20文で獄門にされちゃあ敵(かな)わねえぜ。
>熊:ご法度(はっと)はご法度だからな。
>八:てやんでえ。このお江戸にゃあ、20文で打ち首になさるようなお奉行様なんか居るもんか。現に、南の根岸様は相変わらず、立派なお裁(さば)きをなさってるんだろ?
>熊:立派なお奉行様だからこそ、ご政道には厳しいんじゃねえか。軽い気持ちでいると、痛い目を見るぞ。
>八:大丈夫だよ。いざとなったら内房のご隠居が付いてるもんね。
>熊:その反対だぞ。考えてもみろ。内房のご隠居様は、馴染みだからって手心を加えるようなお人じゃねえだろう? せいぜい厳しくお仕置きするよう、ご進言くださるだろうよ。
>八:20文ぽっちでもか?
>熊:ああ。20文ぽっちでもだ。

絶妙な思い付きだと得意になり掛けた八兵衛だったが、「政道だ」「ご法度だ」と、堅いことを言われては引き下がるしかない。
気も削(そ)がれて、四郎に詰め寄っていたのも、尻切れ蜻蛉のまま、もうどうでも良くなってしまっていた。

>八:それで? 田舎のみんなには会ってこられたのか?
>四:はい。相変わらずのんびりした連中でして、おいらが帰ったからって、喜ぶでもなし怒るでもなしってもんですよ。
>八:へえ、変わってるな。五六蔵んところとは大違いだな。
>五六:まったく。代わって貰いてえくらいでやすよ。
>四:ただ、1つ上の兄(あん)ちゃんだけは酷(ひど)く感激して呉れまして、そのうち必ず遊びに行くからなって、在所(ざいしょ)を書かされました。だから、つい、親方のところを教えてきちゃいました。
>八:そりゃあ、親方の家の方がでかいし、分かり易かろう。構わねえんじゃねえか?
>四:問題はそこじゃないんです。・・・あの、なんて言っていいんでしょうか? ええと・・・
>熊:真逆(まさか)お前ぇ、自分が親方で、5人の弟子を養(やしな)ってるとかって言ってきちまったんじゃねえだろうな?
>四:め、滅相もありません。自分の口からそんな大それたことなんか言い出す筈がないじゃありませんか。
>熊:そうだよな。どっちかってえと控え目なお前ぇが、そんなことを言う筈はねえな。・・・で? 問題はなんだ?
>四:はあ。・・・確かに自分の口から言い出しはしませんでしたが、兄ちゃんが勝手に独り合点してしまいまして。
>八:お前が親方だって思い込んじまったってのか?
>四:ご隠居様も与太郎さんも、ちゃんと説明して呉れないんですよ。恰幅(かっぷく)の良い商人風体(ふうてい)の人がいて、そんな同行人から「さん」付けで呼ばれていたら、勘違いもするでしょう?
>熊:それで? 誤解したまんまなのか?
>四:「遊びに行く」なんていうのは、どうせお愛想(あいそ)だから、構わないだろうって、ご隠居様が・・・
>八:来ねえんなら良いじゃねえか。
>四:それが、直ぐ上の兄ちゃんに限ってはそうとばかり言ってはいられないんです。なんて言いますか、拘(こだわ)るって言いますか、不言実行の人って言いますか・・・
>八:来るのか?
>四:多分・・・。

>八:面白(おもしれ)えじゃねえか。どうせ2、3日のことだろ? 四郎親方って呼んでやりゃあ良いんだろ?
>四:そんな。とんでもないことです。誰がどう見たって、皆さん方の方が貫禄があって、おいらの方が下っ端なのは一目瞭然です。贔屓目(ひいきめ)に見たら三吉くらいなら弟子で通るかもしれませんけど。
>三:なんだと?
>四:何もそうだって言ってる訳じゃないよ。言葉の文(あや)だよ。・・・八兄い、態々(わざわざ)話をややこしくしなくても良いんです。きっと、ちゃんと説明すれば兄ちゃんも納得しますから。
>八:やってみなけりゃ分からねえだろ? まあ、この八兵衛さんに任(まか)しときな。
>熊:なあ八、止(よ)しといたのが良いんじゃねえのか?
>五六:あっしは、ちょっとくらいなら、付き合ってやっても良いかなって思いやすが。
>熊:五六蔵まで。大概にしとけよ。お前ぇら、源五郎親方にどうやって説明するってんだ?
>八:大丈夫よ。親方ったら2人目の稚児(ややこ)のことで浮かれちまってるから、案外乗ってくるかも知れねえぜ。
>熊:いくらなんでも、あの親方が乗ってくるかってんだ。
>八:じゃあ、もし、親方が首を縦に振ったら、お前ぇも付き合うんだな?
>熊:万が一そういうことになったら仕方ねえだろ?

>八:決まりだな。ようし。・・・で? いつ来るんだって?
>四:そんなこと分かりませんよ。何しろ不言実行の人ですから。
>五六:その兄ちゃんの名前って、もしかして三郎ってのか?
>四:いえ、二郎です。
>五六:数が合わねえじゃねか。
>四:双子でして、姉ちゃんがおみつって言います。
>八:美人か?
>熊:なに聞いてやがるんだ、お前ぇは。
>四:八兄い、そんな訳ないじゃありませんか。おいらとおんなじ顔をしてますよ。
>八:そうか。
>三:待てよ、お前にそっくりなら、色は白くてなよっとしてて、背は高からず低からず、結構いけるんじゃねえのか?
>四:止せよ、もうとっくに嫁に出ちゃってるんだから。干瓢のお陰で、まあまあ増しなところと縁付いたみたいなんだ。

八兵衛が予想した通り、源五郎は上の空で、「まあ良いんじゃねえか」と、虚(うつ)ろな顔で頷(うなず)いた。

>八:ほれ見ろ。言った通りだろ?
>熊:おいらはあんまり気乗りがしねえな。
>八:まあ良いじゃねえか。・・・あ、そうだ。仮にも「親方」なんだから、女将(おかみ)さんを宛がってやらなきゃならねえな。
>熊:なんだと?
>八:四郎が情けねえ分、しっかりした女将さんが良いよな?
>熊:そこまで律義(りちぎ)にお膳立てする必要があるのか?
>八:当たり前だろ? やるんならとことんやるぜ、おいらは。・・・なあ、お咲坊なんてったら、お前ぇ、怒るか?
>熊:怒るもなにも、子供を巻き込むなってんだ。
>八:良いじゃねえか、ご当人が「子供扱いしないで!」って言うんだからよ。
>熊:それはそうだが・・・。四郎とじゃ、あんまりにも釣り合いが取れねえだろう。
>八:あ、本音を吐きやがったな? 嘘だって分かってても、他人のものになるのが堪(た)えられねえんだろ。
>熊:ほざいてろ。

>八:まあ、お咲坊は冗談だけどな。ほかに誰か良さそうなのは居ねえかね?
>熊:いっそのこと、姐(あね)さんに頼んで、本当の嫁を宛がって貰っちゃどうだ?
>八:なんだと? 大先輩のおいらがまだだってのに若造の四郎が先に嫁を貰うだと?
>熊:それを言うんなら、「まだ駆け出しの」だろうが。こと婚姻に関しちゃあ、年の順なんてことはねえんだからよ。
>八:そんなこと誰が決めやがったんだ。
>熊:誰が決めたかって、お前ぇ、誰も決めねえからばらばらなんじゃねえか。
>八:じゃあ、誰か決めやがれってんだ。ご政道が間違ってるのか? ・・・良いだろ。おいらが奉行所にでもお城にでも掛け合ってこようじゃねえか。「男子は年の順に嫁を貰って良い」ってよ。
>熊:何を熱くなってやがる。頭を冷やせよ。・・・こう考えてみろ。そんなのを人様が決めることになったら、お前ぇの嫁がお福ちゃんだったって文句を言わずに引き受けなくちゃならねえんだぜ?
>八:そ、そ、それだけはご勘弁。
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