126.【か】 『痒(かゆ)いところに手が届(とど)く』 (2002/04/30)
『痒いところに手が届く』
細かい所まで気が付いて十分に配慮が行き届いている。
類:●至れり尽くせり気が利く
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棟梁(源蔵)が戻ってきたのは、5つ半(21時頃)になろうとする刻限だった。
源五郎が「初っ端から随分綿密な下打ち合わせだな」と、詳細を聞こうとしたら、源蔵は唯(ただ)首を横に2度振った。

>棟:仕事の話はできなかった。
>源:なんだって? だって、出掛けてったのは朝方だぜ。こんな刻限まで、どこか別のところをほっつき歩いてたってのか?
>棟:そうじゃねえ。ちゃんと「一黒屋」さんと一緒にいたさ。相馬の親っさんと一緒にな。
>源:どういうことだ?
>棟:それがよ、「先ずあたしがどんな人間なのかをお話しましょう」と、こう来た訳だ。
>源:なるほど。一代であれだけのお店を築いたお人だ、自慢話もしたかろう。ま、俺も少しは興味がある。
>棟:まあ、生い立ちだの苦労話だのは、そのうち嫌でも聞かされるから脇へ置いとくとして、それからが大変だったんだ。
>源:なんで親父を名指ししてきたかってことだろ?
>棟:いいや。その話は一切話しちゃあ呉れなかった。「ちょっと訳ありで」の一点張りだ。
>源:じゃあ・・・
>棟:「棟梁も元締めも、こっちの方は行ける口ですよね?」だと。
>源:こっちって、酒のことか? 真昼間(まっぴるま)っから。向こうだって店の切り盛りとかあるだろうに良いのかよ?
>棟:「構いませんよ」ってさらりと言われちまった。ああまであっさりされちまうと断れることも断れなくなる。まったく、弱っちまったよ。

「弱っちまった」と言いつつ満更(まんざら)でない顔付きをするのが、「酒飲み」の常である。

>源:それで、丸々4刻(約8時間)もずっと飲んでたのか?
>棟:ずっとじゃねえさ。庭の散歩に付き合わされたし、終(しま)いには湯まで借りてきた。だから、こんな具合に、べろべろにならずに済んでるんじゃねえか。ありゃあ相当客あしらいに慣れてるな。
>源:やれやれ。・・・それで? これからどうしろって?
>棟:ああ。今やってるところが片付き次第取り掛かって呉れ。でも、そう慌てなくても良いぞ。「西瓜(すいか)を並べられる頃にできあがれば良いですよ」って言ってた。
>源:西瓜か・・・。親父、もしかして、嵌(は)められたんじゃねえだろうな?
>棟:どういうことだ?
>源:確かに西瓜の最盛期は6月(今の7月)頃だろうが、早生(わせ)は梅雨(つゆ)の頃出回り始めるのと違うのか?
>棟:おい、脅(おど)かすなよ。半月もねえってことか? そんなんじゃ間に合う訳ねえじゃねえか。
>源:真逆(まさか)な。変な勘繰(かんぐ)りをしちまって済まねえ。忘れて呉れ。
>棟:まあ、半日一緒にいた感じでは、そう意地が悪そうな人とは思えなかったからな。

埒(らち)の明かないことを話していても、堂々巡りになるだけだと、源蔵はさっさと寝てしまった。
源五郎は、「何故(なぜ)うちを名指してきた?」と考え始め、可能性を一つ一つ潰し始めてしまった。
最後に3つまで絞(しぼ)られたところで、やっと目を瞑(つぶ)ったが、疾(と)うに8つ(2時頃)を過ぎていた。

>三:大変だ大変だぁーっ。親方ぁ、起きてくださーい。
>雅:おや三吉、若いもんがこんな早起きとは感心だね。
>三:大女将(おおおかみ)さん、それどころじゃねえんで。五六蔵兄貴が、大変なんです。
>雅:どうしたい? 青梅にはまだ早かろうに。
>三:へ、へい。梅じゃあねえんです。それが、見当たらねえんです。
>雅:大方、どっかで飲み過ぎて、店の土間かなんかで眠りこけてるんだろうよ。
>三:それが、どうやら違うみてえなんで。・・・実は、こんなものが。
>雅:なんだい? 投げ文かい?
>三:へい。石ころに包(くる)んでありまして。見てくださいよ、このたん瘤(こぶ)。
>雅:おや、また一段と男前が上がったじゃないか。
>三:冗談は止(よ)してくださいよ。・・・そんなことより、親方だ。親方ぁーっ。

>源:朝っぱらから素っ頓狂(すっとんきょう)な声を張り上げてるんじゃねえ。こちとら寝不足なんだ。
>三:済みません。何しろ事が事ですんで。
>源:何事だ?
>三:へい。まずこの投げ文を読んでみてください。
>源:投げ文だと? どれ・・・

文(ふみ)にはこう書かれていた。
「ごろざう殿をお預かり致しそろ。当人りょうかいの上のことなれば、ごしんぱい無用にねがひたくそろ。」

>源:なんだこりゃ? 五六蔵が納得(なっとく)の上で連れて行かれただと? どういうことなんだ?
>三:さあ。
>源:お前ぇたちは昨夜(ゆうべ)一緒じゃなかったのか?
>三:最初のとこは一緒でしたが、熊兄いと八兄いが「明日っから忙しくなるからこれくらいにしとこう」って言うもんで、早目に
切り上げやした。それっきりです。
>源:このことは熊と八には報(しら)せたのか?
>三:いいえ。ここに真っ先に来ましたんで。
>源:それじゃあ叩き起こしてこい。但(ただ)し、事を大事(おおごと)にするなよ。ここに書いてある通り、本人が了解の上ってことなら、騒ぐだけ馬鹿馬鹿しいからな。

三吉は脱兎(だっと)の如く駆(か)けていった。
源五郎は、一応報告だけでもということで、居間で茶を飲んでいる源蔵のところへ行った。

>源:親父、ちょっとこれを見てくれ。
>棟:五六蔵のことか? 今、お雅から聞いたが、とんだことにならなきゃ良いがな。
>源:まあ、五六蔵もあの図体(ずうたい)だから、いざとなったら自分でなんとでもできるだろうが、でも、心配は心配だよな。
>棟:・・・おや?
>源:どうかしたか?
>棟:いや、この字、どっかで・・・。ああっ、分かったぜ。
>源:何がどう分かったってんだよ。
>棟:ちょっと待ってろ。

源蔵は、寝所に戻って、二つに折り畳まれた紙を持ってきた。

>源:こりゃなんだい?
>棟:字を比べてみろ。そっくりだから。
>源:ほんとだ。こりゃあ同じ手だな。誰なんだい?
>棟:昨日俺が会いに行った人のだ。
>源:「一黒屋」さんかい?
>棟:そうだ。・・・読んでみろ。
>源:なになに? 「大工げんざう殿。一黒屋増築のこと。一つ、費用は言い値(ね)にて申し受けそろ。一つ、期限は特にさだめずていねいな仕事を希望しそろ。一つ、大工一名を一黒屋隠居所に寝泊りさせるべきこと。なほ、人選はこちらの勝手にお任せねがひたくそろ。」だと? なんだこりゃ?
>棟:俺も、相当酔っ払っちまってたから、碌(ろく)に目を通しもしねえで、持ち帰ってきちまったって訳だ。
>源:それじゃあ何か? 五六蔵を勾引(かどわ)かしたのは一黒屋だって言うのか?
>棟:「勾引(かどわ)かした」じゃねえだろ。ちゃんとここに書いてある。
>源:俺に断(ことわ)りもなしにか? どっか可笑しいとは思わねえのか?
>棟:可笑しいには違いねえけどよ、銭と期限のことを、ここまで下手(したて)に出られちゃあ、ちょっとしたことは飲んでやらねえ訳にいかんだろ。
>源:ちょっとしたことか? 人身売買みてえなもんじゃねえかよ。下手(へた)をすりゃ、下僕(げぼく)みてえに扱(こ)き使われてるかも知れねえんだぞ。もしそうだったら、不憫(ふびん)で不憫で。

その頃。
一黒屋与志兵衛の隠居所では、五六蔵の前に山海の珍味が豪勢に並んでいた。
目を白黒させている五六蔵に向かって、与志兵衛はにっこり笑って「さあお食べ」と言った。

>五六:あの、大旦那。
>与志:大旦那は止してくださいよ、くすぐったくなるじゃありませんか。お店(たな)のことは娘婿に任せてしまって、悠悠自適の毎日なんですから。
>五六:それじゃあ、「ご隠居」さん。
>与志:はいはい。なんでしょう?
>五六:どうしてあっしに、こんな贅沢(ぜいたく)なものを出してくださるんで?
>与志:どうしてって、別に特別な意味はありませんよ。ここに遊びに来る方には皆に同じようなものをお出ししてます。
>五六:それにしても、朝っぱらからこんなに・・・
>与志:多過ぎましたか? それじゃあ減らしますか?
>五六:い、いえ。このくらいの量なんかぺろりでやすよ。それに、「据え膳食わぬは男の恥」って言うじゃねえですか。
>与志:ちょっと違うようですが。
>五六:そうですか? 済いやせん、学がなくって。こんな下品なもんにこんな豪勢な料理じゃあ、なんだか申し訳ねえようで。

>与志:遠慮なんか止してくださいよ。自分の家のように思ってくだされば良いんです。それから、あたしのことも祖父とか、差し支(つか)えなければ「父」とかと思ってくだされば尚のこと有り難いんですが。
>五六:そ、そんな滅相もねえ。というか、勿体(もったい)ねえですよ。
>与志:そうですか・・・。でも、そういう気持ちになったらいつでもそう呼んで呉れて良いですからね。それから、何か欲しいものがあったら、「さち」という者がいますから、なんでも言い付けてくださいね。決して不自由な思いはさせませんから。
>五六:はあ。・・・それはそうと、あっしの親方はこんなことになってるの分かってるんですよね?
>与志:勿論ですとも。昨夜、棟梁にちゃあんと、書面で渡してありますからね。
>五六:それなら間違いないですね。流石(さすが)ご隠居さん、手回しが良いや。それに細かいところにまで
気が配ってある。やっぱり大店を切り盛りしてきた人は違いやすねえ。
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