134.【か】 『艱難(かんなん)汝(なんじ)を玉にす』 (2002/06/24)
『艱難汝を玉にす』
人は多くの苦しみや困難を経て初めて立派な人間となる。
★西洋のことわざ「逆境は人を賢くする」の意訳。<国語大辞典(小学館)>
類:●Adversity makes a man wise.●艱難辛苦汝を玉にす
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「だるま」では、八兵衛がお夏の不在を嘆き、五六蔵は塩辛過ぎるおからを3杯平(たい)らげ、三吉は浴びるように酒を飲んでいた。
四郎は、与太郎に向かって、下野(しもつけ)とはどんな国なのかということを説明していた。

>八:やっぱりお夏ちゃんじゃねえと気分が盛り上がらねえな。
>咲:それなら、帰れば? あたしは、ご隠居様から気に入られてる五六ちゃんと、注(さ)しつ注されつして、将来のことを話し合うから。
>八:おい熊、あんなこと言ってやがるぞ。おっきい口なんか利(き)かせといて良いのか?
>熊:おいらは知らねえ。五六ちゃんとでもなんとでも宜しくやってれば良いだろ。
>八:だとよ、お咲坊。
>咲:それじゃあ、お言葉に甘えてと。・・・五六ちゃん、おからのお代わり要(い)る? 大盛りにしちゃうけど。
>五六:お咲ちゃん、あっしがいくらこんな図体(ずうたい)だからって、おからばっかりじゃ箸が進みませんや。お浸(ひた)しかなんかありやせんでしたか?
>咲:あるわよ。大盛りにする?
>五六:いやあ、お浸しは小鉢にこそっと来るから有り難えんですよ。

>熊:まったく、もうちょっと真面目(まじめ)に飲めねえもんかね。
>松:まあ良いじゃねえか。酒なんてもんは真面目腐って飲むもんじゃねえだろう。
>熊:そりゃあそうだけどよ、折角(せっかく)菜々ちゃんまで来てるんだ。五六蔵と喋りたいこともあるんじゃねえのか?
>菜:あら、あたしと五六兄ちゃんのことは気にしなくて構わないわよ。改まると、却(かえ)って喋れないもんだものね。
>松:ほれ熊さん、どうでも良いから、その眉間(みけん)の皺(しわ)をなんとかしろ。
>熊:分かったよ。
>五六:ささ、熊兄い、おひとつどうぞ。・・・どうも、ご心配を掛けやした。
>八:五六蔵。おいらにも注いで呉れるんだろ?
>五六:へい。八兄いも、心配させちまって済いやせんでした。お供の件は残念でやしたね。
>八:そうだよ。こうなったのも、全部三吉のせいだ。
>三:おいら間違ったことを言ったんじゃねえんですから・・・
>八:頭じゃあ分かってるんだが、腹の虫が「分からねえ」って言うんだよな。
>四:腹の虫が治まらないってことですか?
>八:そこまでじゃあねえさ。この八兵衛様はこう見えても心の広い男なんだぜ。食いもんのことをそういつまでも引っ張りゃあしねえさ。唯(ただ)な、あちこちの風土とか伝統とかに触れて、人間的に大きくなる機会がよ、先延ばしになったことだけが心残りでな。

>松:何が「風土とか伝統」だよ。つまりは土地土地の名産品と、伝統的な料理の仕方ってことだろ?
>熊:「人間的に大きくなる」ってのは、食い過ぎて太るってことか?
>八:何を言ってやがる。人にとって一番大事なのは、なんでもかんでも美味く食えるってことじゃねえか。そりゃあ名物に越したことはねえがよ。
>三:八兄い、ご隠居さんたちは、本当に送って呉れると思いやすか?
>八:そいつを、与太郎と四郎がしっかり見張るんじゃねえか。なあ?
>与:あたいは付いていくだけの者(もん)すから。
>八:じゃあ、四郎。宜しく頼むぜ。
>四:ですから、言ったじゃあありませんか。下野には干瓢(かんぴょう)しかないんです。
>八:川魚の甘露煮は?
>四:聞いたことありません。
>八:肉(しし)の味噌漬けは?
>四:食ったことありません。

そんな調子で、いつもの「たわいない飲みの会」へと移行していった。

一方、源五郎たちの寝所では、心配の種(たね)がなくなった源五郎が、3日振りに寛(くつろ)いでいた。
初めのうちこそ源五郎にじゃれ掛かっていた静(しずか)も、疲れてしまったらしく、布団にごろんと横になって、寝息を立て始めていた。
あやは、源五郎が語る一黒屋の騒動の経緯(いきさつ)に一々頷きながら、静の背中を単調に叩いていた。

>源:そう言や、内緒で誰かの祝言(しゅうげん)話を進めてるんだってな?
>あや:あら、ばれちゃいましたか? ・・・でも、お断りしようかと思ってるんですよ。
>源:お前が断るだなんて珍しいこともあるもんだな。
>あや:もう少ししてからと思ったんですけど、明日にでも正式にお断りしてきます。
>源:手に負えなかったってことか?
>あや:違うんですよ。当の本人にその気が全くないんです。・・・と言うべきなのかしら? ちょっと違うわね。
>源:なんだよ、お前らしくもねえ。へどもどしやがって。
>あや:一黒屋さんの近くで茶屋を
切り盛りしているさちさんという方はご存じですよね? ご亭主に先立たれて久しく経(た)つそうなんですよ。それでね、お節介(せっかい)にも、ご隠居様が世話焼きを買って出たんです。
>源:それを頼まれたのか? お前が。
>あや:そうなんです。「こちらの若い衆なんかどうでしょう」なんて切り出されたときは、吃驚(びっくり)しちゃいました。
>源:ははあ、あの狸爺(たぬきじじ)い。随分と手の込んだことをして呉れるじゃあねえか。
>あや:でもね、さちさんはね、頑(がん)として「今の生活を変える気は毛頭ありません」の一点張りなんですよ。よくよく聞いてみたら、ご隠居さんのことを憎からず思ってて、余所(よそ)の男なんか眼中にないっていうことなんです。
>源:とんだ茶番だな。
>あや:男と女の間にはこういう茶番っていうのが、案外多いものなんですよ。だって、お互いのことを大事に思っているからこそ、お節介ってものは生まれるんですものね。
>源:成る程な。

>あや:それでね、わたし、昨夜(ゆうべ)気が付いちゃったんですけどね。
>源:何にだ?
>あや:ご隠居さんの「五六蔵さんを倅にしたい」っていうのは、全部出鱈目なんじゃないかしらって。
>源:そんなことを出任せで言い出してなんの得があるってんだ?
>あや:さちさんと娶(めあ)わせて「倅のように」傍(そば)に置いておきたいっていう意味じゃないかしら?
>源:全部が、さちさんのためを思っての祝言話の一幕だってのか?
>あや:というよりも、結局、さちさんを傍(そば)に置いておきたいってことですよ。
>源:そんなことのために、青物を売るだの、増築するだのを言い始めたってのか?
>あや:ご隠居様にとっては「そんなこと」じゃあないんですよ。とっても重要なことなんです。
>源:それじゃあ、俺たちはなんにも知らねえで、ご隠居の筋書き通り踊らされてたっとことか。
>あや:気が付いちゃったんだから、今はもう、踊らされてる訳じゃないでしょ?
>源:まったく、お前ぇには敵(かな)わねえよ。

>あや:ねえ、八兵衛さんたちには、もう暫(しばら)く踊ってて貰うことにしましょ。
>源:別に教えてやっても構わねえんじゃねえのか?
>あや:親心ですよ。あの人たちには、もうちょっと騙(だま)されてみることも必要なんです。
>源:俺なんかは、騙す方じゃないだけ増しだと思うんだけどな。・・・お前ぇも意外と、底意地が悪いんだな。
>あや:あら、今頃気が付いたんですか? 幾らなんでも遅過ぎですよ。もう後には引けませんからね。
>源:馬鹿野郎。誰が後へなんか引くかってんだ。
>あや:そりゃあそうです、跡取りができたら離縁もできませんよ。1人目は娘だったけど、秋に生まれてくる子はきっと男の子だって、わたし、信じてますから。
>源:なんだと?
>あや:きっと男の子ですから、今度こそ、自分が決めた名前を付けてくださいね。
>源:・・・できたのか? そうなのか? そいつぁあ出来(でか)した。お、おーい、親父いーっ、母ちゃーん。赤飯だ赤飯。

源五郎は、どたどたと居間へ走っていった。

>源:か、か、か、母ちゃん。聞いたか? 稚児(やや)ができたんだとよ。
>雅:なんだい、お前、まだ聞いてなかったのかい? この家で知らなかったのはお前だけだよ。
>源:なんだと? みんな知ってやがったのか?
>雅:まったく、お前たちの夫婦仲(めおとなか)はほんとに大丈夫なのかい? すっ惚(とぼ)けてんのも好い加減にしなよ。

あやは、源五郎の背中を見送った後、自分の腹を撫でながら「お父さんにそっくりな、鬼瓦みたいな強い男の子で生まれてきてちょうだいね」と、囁(ささや)いていた。

そして数日後。
梅雨(つゆ)明けを待てば良いものを、梅雨入りさえ待たずに、与志兵衛、四郎、与太郎が、「珍道中」に出掛けていった。
さちは「人が嫌がるところに儲け話が落ちているっていうのが、あの人の信条ですからね」と、屈託なく笑いながら源五郎に説明した。
第14章の完つづく)−−−≪HOME