121.【か】 『壁(かべ)に耳(みみ)』 (2002/03/25)
『壁に耳』
どこで誰に聞かれているか分からないぞという戒め。密談などは、えてして漏れ易いものだということ。 例:「壁に耳あり障子に目あり」
類:●壁に耳岩に口●耳は壁を伝う●壁に耳垣に目口●石に耳あり●徳利に口あり鍋に耳あり●藪に目[=耳]●壁の物言う世●垣に耳●昼には目あり夜には耳あり●Walls have ears.●Hedges have eyes and walls have ears.(壁に耳あり障子に目あり)<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典
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宴会の用意はどうにか整っていた。「おく瀬」という名の静かな料亭の座敷である。
但(ただ)し、元手(もとで)が少ないので、酌婦と芸者は自前(じまえ)である。
次の間には、熊五郎、八兵衛、五六蔵、そして太助が控(ひか)えて、聞き耳を立てていた。
太助は、「料理が余ったら折(おり)に詰めて持ち帰っても良いか」と、しつこく食い下がった

>四:小豆(しょうど)様。綺麗所のお色直しが整(ととの)いますまで、軽く一献(いっこん)受けてくださいませんか?
>小:お、そうか? 待ち遠しいのう。「跳(は)ねっ返り」のう・・・
>三:ささ、おいらからもお一つ。
>小:この店は初めてだが、中々良いところであるな。・・・というよりも、料亭というものは須(すべか)らく良いものだな。肴(さかな)は華美(かび)で美味(うま)いし、酒も上等、おまけに女がいるとなれば、こんな至福はない。
>与:あの、正直を言いますが、あたいはこんなお店のお座敷に来るのって初めてです。なんだか落ち着きませんね。
>小:はは。然(さ)もあろう。ゆくゆくは金回りも良くなろうから、儂(わし)が嫌と言うほど連れてきてやろう。
>与:それはそれは、有り難う御座います。何回か来ていれば慣れるものでしょうか?
>小:慣れるとも。儂だって、初めはおどおどして居った。
>三:へえ、小豆殿がですか? そん時もあの坊様とお2人で?
>小:いや、そうではないがな。
>四:あ、分かりやしたぜ。あの坊様に小豆様がご出世なさるって耳打ちしたお方でしょ?
>小:まあ、そんなようなところだ。
>三:するってえと、そのお人ってのは、小豆様よりも上の方ってことですよね?
>小:まあ、そうとも言うかな?
>四:どちら様なんですか?

小豆は、四郎の問いに答えそうになったが、既(すんで)のところで思い留まった。余程きつく言われていたのだろう。
ただ、普通なら「何故そのようなことを詮索する?」と訝(いぶか)りそうなものだが、目の前の酒肴(しゅこう)に気が行っていたせいか、まったく無頓着(むとんじゃく)に言い訳なんかをし始めた。

>小:ここでは名を申す訳にはいかんのだ。
>四:よっぽど怖いお人なんですか? うちの親方なんか凄(すご)いですよ、拳固(げんこ)で叩(はた)くと、人様が3間(げん:約5.5メートル)は吹っ飛ぶんです。
>小:怖いお方には違いないが、剛力とかそういう怖さとは少し違うな。
>三:分かった。剣の腕が立つんでやしょう? 下手(へた)なことをしたら「切り捨てご免」ってんでやすね?
>小:腕も立つには違いないが、真逆(まさか)な、儂とて武士の端くれ、切り捨てご免とは行くまいよ。
>四:出世が取り消しになっちゃうとか、ですか?
>小:彼(か)のお方には、そのような権限はない。唯(ただ)、耳が聡(さと)いということは確かであるがな。
>三:真逆、次の間とか縁(えん)の下とかに、手下を忍び込ませたりしてるんじゃねえでしょうねえ。
>小:そんな、戦乱の頃ではないのだから、忍びを飼っているところなど、在(あ)ろう筈もなかろう。
>与:・・・ということはですよ、別に何も怖いことなんかないんじゃないですか?
>小:そうではないのだ。なんというか、どうした訳か、話が筒抜けなのだ。
>四:どういうことなんでしょうねえ? お化けでも手懐(なず)けてて、教えて貰うんでしょうか?
>三:止せやい。ここまで来てさっきのを蒸し返すなよ。
>四:はは。御免御免。悪気はないんだ。

>小:いや、もしかすると、そのようなことなのじゃないかと、儂も疑(うたぐ)っていたところだ。
>四:じょ、冗談でしょう?
>三:おいらが恐がりだからって、からかってるんですよね?
>小:いや、儂は至って真剣だよ。大工風情(ふぜい)を苛(いじ)めたとて、少しも嬉しくないからな。
>四:じゃあなんですかい? あの床(とこ)の間の辺りにお菊さんが浮かんでて、おいらたちが何を喋(しゃべ)ったのかを、後でそのお人に報(し)らせに行くっていうんですか?
>小:有り得る。
>三:や、止(や)めてくださいったら。おいらなんだか気味が悪くなってきやがったぜ。
>小:儂が撫道(ぶどう)と会って、どんなことを話していたか、あのお方は逐一ご存知なのだ。・・・だから、言えないのだ。
>四:小豆様がここでおいらたちと一緒に居ることを知らなくてもですかい?
>小:さあどうであろう? しかし、知れてしまう見込みがあるうちは、黙(だま)っているに越したことはない。
>与:あまり無理強いして、小豆様を困らせてもなんですから、そう言う話はもうお終(しま)いにしましょう。
>三:そうだな。そろそろ用意はできたかな? ・・・おーい、花はまだかー?

「はーい」といって、襖(ふすま)が開いた。
なるほど、武家の娘風ではあるが、ちょっとだけ派手目な着物を身に着けている。
小豆の目がきらりと輝いた。

>咲:なんだか難しそうな話をなさってるから、入るには入れないじゃありませんか。お待たせいたしました、咲に御座います。
>小:おお、咲と申すか? 可愛いのう。ほんに可愛いのう・・・
>咲:お武家様、・・・いえ、お役人様、でしたわね。一人前の女に向かって「可愛い」は貶(けな)し言葉で御座いますよ。
>小:おおそうかそうか、拗(す)ねた顔も美しいのう。ささ、もそっと近(ちこ)う。
>咲:はいはい。さ、どうぞ。・・・それはそうと、縁の下の忍びだとか、床の間の幽霊だとか、一体(いったい)何を話していらしたんですか?
四:それはおいらから説明しましょう。

いつものことながら、四郎は話を要領よく手短に纏(まと)めて説明してみせた。
小豆は止める機会も失って、逆に、吸い込まれるように、頷(うなず)きながら聞き入ってしまっていた。

>咲:お役人様。お役人様はお人が良過ぎるんですよ。
>小:どういうことだ?
>咲:決まってるじゃありませんか。そのお坊様がご報告申し上げてるのか、然もなきゃ、芸子や仲居が小遣い稼ぎに請(う)け負っていることですよ。
>小:そのようなこと、なぜ分かる?
>咲:だって、先(せん)だって、このあたし自身が頼まれましたもの。勿論(もちろん)、別のお武家様のときですけどね。結構良いお手当てになるんですよ。
>小:そ、そのようなことをあのお方がする筈は・・・
>咲:だから、人が良過ぎますって。どこのどういう偉い方だかは知りませんがね、手駒みたいに使っておきながら、貴方様のことを信じていないっていう証(あかし)じゃありませんか。ほんの少し勘の良い人なら、自分が良いように操(あやつ)られてるんだって気が付きますよ。
>小:お、お前、この儂を愚弄(ぐろう)するのか?
>咲:あら御免なさい。あたしったら、いつもこんな風にずけずけ言い過ぎて失敗するのよね。お一つやって、ご機嫌を直してくださいませ。
>小:うーむ。少し考えさせては呉れぬか?
>咲:何をで御座いますか?
>小:・・・そういえば、確かに、いつも1人だけ妙に愛想の良過ぎる女中がいたな。
>咲:・・・でしょう? 間違いないわよ。お役人様、絶対騙(だま)されてます。・・・あたし、同情しちゃいますぅ。

>小:ということは、撫道の奴も
ぐるなのか?
>咲:生臭坊主を信じる方が間違ってます。考えてもみてくださいませ。お役人と坊主が夜(よ)な夜などんちゃん騒ぎをしてるっていうのが知れて、世間が取り沙汰(ざた)するのは、坊主じゃなくて、お役人様だけなんですよ。
>小:そんなことはあるまい。誘ってきたのは坊主の方なのだから。
>咲:それじゃあ伺(うかが)いますが、「坊主が放蕩三昧(ほうとうざんまい)」なんて瓦版に書いて売れますか?
>小:どうあろう?
>三:おいらは買いませんね。
>与:あたいも。
>咲:仕組まれたんですよ。お役人様は程なく誰かに見付かって、色狂いだ賂(まいない)だと騒がれて免職ですね。嗚呼(ああ)可哀相
>小:止さぬか。
>咲:あたし、心配してるんですよ。・・・そろそろ、潮時だと思いませんか? 今ならまだ間に合います。
>小:そ、そうであろうか?
>咲:大丈夫ですって。あたしが付いています。こう見えても、結構良い後ろ盾が付いてるんですから。
>小:後ろ盾?
>咲:あら? 疑ってらっしゃるんですか? これでも、武家の娘ですよ。ちょっとした伝手くらい持ってなきゃ、大手を振って料亭などに出入りしませんって。
>小:お前真逆、目付けの?
>咲:とんでもないですよ。あたしは唯の、浪人の娘。誰かを貶(おとし)めようなんて、況(ま)して誰かを懲らしめようなんて了見は、これっぽっちも持っちゃいません。
>小:仏に掛けてか?
>咲:仏様にだって神様にだって誓えますよ。・・・ささ、もうお気持ちの決まりも付いてきたでしょう? もうちょっとお召し上がって、お心を和(やわ)らげてくださいませ。

元々根の強い質ではない小豆は、ほろ酔いということも手伝って、良いようにお咲の話に丸め込まれた。
こういう男は特に、一度蹌踉(よろめ)くと、坂道を転げるように術中に嵌(は)まり込んでしまうものらしい。
これまでの経緯を騙り始め、終いには、お咲の膝に縋(すが)って泣き崩れた。

>咲:ねえ四郎さん。もう良いんじゃないかしら?
>四:そうですね。呼びましょうか? ・・・八兄い、熊兄い、どうぞ。
>八:なんだか色仕掛けとはちょっと違ってたけど、結果はおんなじだから、ま、良いか。
>熊:小豆の旦那、あの、申し訳ねえんですが、その小娘の膝を解放してやっちゃあ呉れやせんか?
>咲:ま、熊さんったら。焼き餅
>熊:お前ぇは黙ってろってんだ。さて、八、どうして呉れようか?
>八:先ず最初においらがぽかりと1つ殴るから、後はお前ぇに任すよ。
>熊:お前ねえ・・・。見届け人がいねえと罪になるって言い出したのはお前ぇだぞ。
>八:そうだっけ? そうだったな。大工が役人を殴ってるとこなんか覗(のぞ)き見られたら、口止め料がたんまり掛かっちまうもんな。
>熊:銭の話じゃねえだろう。
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