第13章「鬼瓦源五郎の厄年(仮題)」

114.【か】 『桂(かつら)を折(お)る』 
(2002/02/04)
『桂を折る』
昔の中国の試験制度から出た言葉で、官吏登用試験に文章生が及第すること。
故事:「晋書−郤伝」 晋の郤(げきしん)が科挙に合格したとき、武帝の問いに答えて、「これは僅かに桂の一枝を折ったに過ぎません」と言ったという。
★「桂」は、日本で言うところの「木犀(もくせい)」のこと。
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年が改まった。享和2年(1802)である。
皆が歳を1つずつ重ね。源五郎に至っては、41歳の前厄(まえやく)ということになった。
正月早々、厄祓(やくばら)いはどうする、家内安全はどうすると、当人よりも親や弟子たちの方が心配する始末だった。

>熊:ねえ親方、今年の初詣は厄落としにでも行きやすか? おいらたちもお供(とも)しやすぜ。
>源:何を言ってやがる。常日頃から鬼瓦(おにがわら)呼ばわりしときながら、今更厄祓いか? 好い加減にしろってんだ。
>熊:そんなことを言いやしても、厄ってもんは、当人よりも親に降り掛かるって話でやすから、気を付けとくに越したことはねえですよ。
>源:それなら、降り掛かる側の親父(おやじ)と母ちゃんに行かせときゃ良い。
>熊:それはないですよ、厄年なのは親方なんですから。
>源:面倒臭えなあ。毘沙門(びしゃもん)さんとか八幡(はちまん)さんじゃ祓って呉れねえんだろ?
>熊:さあ。どうでやしょうか? 多分やって呉れると思いやすよ。
>源:そうか? それなら良いか。俺はまた西新井とか川崎にじゃねえと駄目なのかと思い込んでたぜ。
>八:毘沙門様って、戦(いくさ)の神様じゃなかったですか? 男の子が強くなりますようにって。親方がこれ以上強くなっちまったら大事(おおごと)ですぜ。
>熊:確かに。そりゃあ困るな。
>源:何を頓珍漢(とんちんかん)なこと言ってやがる。
>八:水天宮様なんかの方が良いんじゃんえですか?
>熊:そりゃあ安産祈願だろう。親方には縁のねえところだ。
>八:そうか。じゃあ天神様ならどうだ?
>熊:大工が学問の祈願をしたって仕様がねえだろう。
>源:もうそれくらいにしとけ。さ、毘沙門さんに行くぞ。

五六蔵、三吉、四郎も連れ立って6人で、詣(もう)で客で賑(にぎ)わう毘沙門様へと向かった。

>八:正月ってえと、淡路屋の太郎兵衛とか、丹波の英二とか、その筋のもんばかりと関わりやしたねえ。
>熊:今年は何事も起こらなきゃ良いですね。
>源:そうそう騒ぎばかり起きちゃ困る。なんてったって、俺たちは只(ただ)の大工なんだからな。
>八:喧嘩っ早い二助と出食わさなきゃ良いんだがな。
>熊:止せよ。噂をすると影が・・・。来やがったぜ。

>二:こりゃあ親方、それに熊と八とその他のみんな、明けましてお目出度うございやす。
>五:あっしらはその他大勢でやすか?
>二:まあまあ、そう熱くなりなさんなって。おいら、今年から性格を改めるって誓ってきたんだからよ。
>熊:どういうことだ?
>二:ああ。売り言葉を直ぐに買っちまって、これまで随分と酷(ひど)い目に会ってきたからな。もっと堪(こら)えるようにしようと思ってな。
>熊:そりゃあ良いこったな。へえ。自分からそこに思い当たるなんざ、大したもんじゃねえか。
>二:まあな。おいらも好い年だし、そろそろ落ち着いて、身でも固めなくちゃならねえと思ってよ。
>八:なんだなんだ? 聞き捨(ず)てならねえぞ。お前ぇ、もう目星(めぼし)は付けてあるのか?
>二:そりゃあまだだがよ。
>八:なあんだ。良かった。脅かすなよな、まったく。
>二:人間、そう思い込んで努(つと)めてりゃあそうなるもんだろ?
>八:どうだか。殊(こと)にお前ぇの場合はな。
>二:どういうことだよ。喧嘩を売ってるのか? 上等じゃねえか。
>熊:二助、それがいけねえって言うんだよ。全然懲(こ)りてねえじゃねえか。
>二:あ。そうだよな。温厚に温厚にと。・・・じゃあな八公。親方、ご免なすって

二助は、直ぐそこで商家の小僧にぶつかり、「気を付けろい」と怒鳴り付けたあと、懐手(ふところで)のまま、鼻歌を歌いながら去っていった。

>八:ありゃあ駄目だな。
>熊:まったく。でもよ、今年は二助も騒動を起こさなかったし、幸先(さいさき)好いんじゃねえか?
>八:そうだな。・・・親方、それじゃあ、早速(さっそく)厄祓いを済ましちまいましょうか。
>源:ああ。そうするとするか。

本堂へ向かおうとしたところ、ぽんぽんと、熊五郎の肩を叩く者があった。
熊五郎が振り向いてみると、鹿之助とおしか、それにお夏が立っていた。

>鹿:よう、初詣でかい?
>熊:おう、鹿之助。お前ぇたちもかい? おしかさん、お目出度う。
>しか:親方、明けましてお目出度うございます。その節はどうもお世話になりました。
>源:なあに。俺はあやのやつに好いように使われただけさ。
>鹿:源五郎殿、お陰を持ちまして、無事祝言(しゅうげん)も済みました。父も殊の外(ほか)おしかを気に入ってまして、下手をすると、私よりべったりの状態です。少々焼けてしまいます。
>源:ま、そのくらいの方が巧く回るだろう。稚児(やや)でもできたら、もっと放って置かれるようになる。
>しか:まあ。親方ったら、気が早い
>熊:そうでもねえかも知れねえぞ。なあ、鹿之助?
>鹿:私は直ぐにでも欲しいがな。
>熊:お父上に取られるより、稚児に取られた方が増しか?
>鹿:別にそういう訳からではない。
>熊:はは。・・・でも、家族が増えたら増えたで、出るもんは出るからな。小役人の扶持(ふち)で食わしてやれるのか?
>鹿:そこのところは大丈夫だ。先(せん)だって加増されたからな。
>熊:なんだと? 昇進したのか?
>鹿:暮れにな。ちょっとした試験があって、まあ良い成績を修(おさ)めたのでな。
>熊:そうか。そりゃあ良かったじゃねえか。これで、安心して子作りに励めるな。
>しか:まあ。

>熊:お夏坊も縄暖簾(なわのれん)の女中なんかしなくても済むんじゃねえのか?
>夏:あたしは辞(や)める気なんか更々ないわ。だって、常連さんたちが泣くでしょ?
>八:おいらなんか真っ先に泣き喚(わめ)くね。
>夏:ほらね。・・・それに、父上の病気のこともあるし。
>鹿:そのくらいこっちでなんとでもするって言ってるんだけどな。
>夏:言い出したら引き下がらないって、みんな分かってるでしょ?
>熊:まあな。

源五郎の厄祓いがあるからといって、鹿之助たちと別れた。
「親方が厄祓い?」と、お夏は大仰(おおぎょう)に驚いて見せ、源五郎は恥ずかしげに苦笑した。

厄落としの料金は1分(約2万円)だと言われて、源五郎は仰(の)け反(ぞ)った。
人の弱みに付け込むとはこのことである。
かと言って、手ぶらで帰る訳にも行かない。
「この、足元を見やがって」と捻(ね)じ込もうとしたが、その前に、係りの坊さんから先手を打たれた。

>坊:間もなく、豆撒(ま)きが始まるのですが、如何でしょう。豆をぶつけられる鬼の役が居ると、尚一層盛り上がると思うのです。もし、お引き受け願えれば、1朱(=約5千円)にお負けいたしましょう。
>五:なんだと? 親方に豆をぶつけるだと? そんな失礼なことをよくも・・・
>坊:何も本気で投げる訳ではありません。唯(ただ)の仏事神事の類(たぐい)ですよ。・・・なんでしたら、そちらさんも似つかわしいお顔のようです。ご一緒していただけたら、50文(=約千円)にいたしましょう。
>八:そりゃあ良い。五六蔵も出ろ出ろ。
>三:いっそのこと、6人で出るからお代の方を只(ただ)にして貰うってのはどうです?
>坊:ほう、こちら様はまた中々ご商(あきな)いごとがお上手ですな。良う御座います。お受けいたしましょう。
>八:坊様、あんた本当にお坊様か? どこぞの商家の番頭さんみてえですぜ。
>坊:それは失礼な。拙僧(せっそう)、こう見えましても、身延山(みのぶさん)にて然(しか)るべき修行を修めてきております。
>八:はは。冗談だよ。頼むから、そんな難しい話をしねえでお呉んなさいよ。

>熊:おいらたちまで出るのか?
>三:親方のためですよ、熊兄い。親方1人にそんな恥ずかしいことをさせる訳にもいかないでしょう?
>熊:それを言うなら、親方の変わりに、残りの5人で引き受けるのが筋ってもんだろ。
>坊:それでは困ります。こちら様が一等鬼の役に適してらっしゃいますから。参詣者の評判も一段と違いましょう。もし、相当な評判が出るようでしたら、来年の本厄、再来年の後厄のときにもお出で願えれば、同様にいたします。
>熊:なんだか良いように騙(だま)されてるような気がするな。
>坊:滅相も御座いません。そちら様は只同然でお祓いが受けられる。こちらはお布施(ふせ)や賽銭(さいせん)が増える。どちらにとっても良い話ではありませんか。
>八:本当に、尊(とうと)い坊様なのかよ?
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