113.【か】 『河童(かっぱ)の屁(へ)』 (2002/01/28)
『河童の屁』
1.その事を容易くできる、取るに足りないことだというたとえ。
2.無味乾燥なこと。気が抜けて効き目のないこと。主に、美味くないお茶のことを言う。
類:●朝飯前屁の河童
*********

結局、娘の聡(さと)が婿を貰うのか嫁に出るのかの結論は、後回しにすることになった。
当然のことながら、「八兵衛や熊五郎と夫婦になれたら面白いだろう」という聡の言葉は無視された。
少なくとも、相手の男を選ぶ積もりはあるということなので、市毛大路郎は、千場道場の門弟たちと立ち合ってみることになった。

>市:なんだか、間の抜けたような感じになってしまったな。
>聡:父上、頑張ってぇ。それから、お相手の皆さんも頑張って。
>市:これ、端(はし)たない。もう少ししとやかにしていなさい。
>聡:だってあたし、剣術の試合を見るのって初めてなんだもの。わくわくしちゃう。
>市:木刀とはいえ、打たれれば怪我をするのだからな、後ろで騒がれては、真剣な立会いが出来なくなるではないか。
>聡:父上、それって「真剣じゃないのに真剣」っていう洒落(しゃれ)ですか?
>市:止(よ)しなさいと言うのだ。・・・まったく、こんな野放図(のほうず)な娘に誰が育てたのだ。
>純:あなたですよ。
>市:純、そなたまでそんなことを言うのか?
>純:だってそうじゃありませんか。どのような子に育てるのかは全て親の責任でしょう? ・・・確かに、一緒に居る時間が長いのは私です。ですが、お役目お役目といって、育児を回避してきたあなたの責任はもっと重いとお思いになりませんの?
>市:そのようなこと、こんな場で言うことではなかろう。
>純:いいえ、こんな場だからこそ言うのです。今後は私と同等に聡に対していただきます。そのお相手の殿方も然りです。
>市:分かった。分かったからもうその位にしておきなさい。
>聡:父上、少しは真剣みが戻ってきましたか?

間延びしてしまって、だらけ気味だった門弟たちも、事情が分かるに従って、事の重大性が飲み込めてきたようだ。
乗り気になれないものは、師範とは目を合わせないように俯(うつむ)いてしまった。

>千:師範代。
>猪:はっ。
>千:お前が適当と思う者から指名して、市毛殿にお手合わせ願うように致せ。
>猪:承知しました。・・・では、弓山と中谷、その順番で、立ち合い致すが良い。
>弓:は、はい。しかし、手前のようなものが立ち合っては失礼に当たりませぬか?
>猪:特に許す。胸を借りる積もりで、当たるが良い。
>千:市毛殿、最初の2人はこの道場でも新参(しんざん)の者です。ですが、決して侮って出す訳ではありません。素養はあるのです。市毛殿には赤子の手を捻(ひね)るようなものでしょうが、2人は本気ですからな。「蛞蝓(なめくじ)にも角」です。
>市:承知しております。獅子は兎を追うのにも全力を尽くすということですからな。
>千:では、始めると致しましょうか?

弓山も中谷もてんで相手にならず、大路郎の小手調べにもならなかった。

>弓:流石(さすが)はご指南役だな。太刀筋が洗練されている。荒っぽい師範代とは一味違うな。
>中:お主にそんなことが分かる筈なかろう。
>弓:お主は正面(まとも)に面を食らって脳震盪を起こしたから分からなかったろうが、拙者が受けた胴などはするりと抜けるように決められてしまったではないか。ああやって斬られたら痛みもなく死ねるのかなと思ったくらいだ。
>中:へえ、随分と誉めるね。信服(しんぷく)してしまったか?
>弓:ああ。そんなようなものだ。

続く者たちも、立て続けに2本取られてしまった。ここまでの6人は、手も足も出ない儘に終わっている。

>千:師範代。50人全員を当たらせるという訳ではあるまい? 市毛殿とて、お疲れだろう。そろそろ本命を出したらどうだ?
>猪:お言葉ですが、こちらとしても、早々に総崩れする訳にはいかないのです。道場の面子(めんつ)というものもありますから。
>千:そんなことはどうでも良かろう。別に、道場破りという訳じゃないんだからな。
>猪:宜しいのですか?
>千:構わぬ。見てみなさい、銚子が出たがってうずうずしておる。
>猪:分かりました。・・・竜之介、参れ。
>竜:待ってました。いざ。

例によって、竜之介は大声で、「上総の銚子竜ここに在りーっ」と吠えてから、大路郎と向かい合った。

>市:ほう、威勢だけは良いようだな。しかし、その構えでは、腕前は大したこともあるまい。
>千:市毛殿、そう、嘗めて掛かると痛い目に会いますよ。
>市:承知。いざ。

大路郎も今度ばかりは、少し勝手が違うようだった。
竜之介は、若いということもあり、敏捷に跳ね回り、ともすると、大路郎の剣が追い付けないということも目立ち始めた。
そんな大路郎の焦りに乗じて、竜之介が小手を1本決めた。
「おお」という感嘆の声と、「きゃああっ」という聡の歓声が上がった。
2本目も同じような立ち合いになり、矢張り、竜之介が小手を決めた。

>千:それまで。
>聡:きゃー、素敵いっ。父上から2本続けて取るなんて、とんでもなく強いのよね。ねえ、母上。
>純:え? ええ。・・・驚いたわ。
>千:市毛殿。銚子はやや荒削りではありますが、勘の良い男です。
>市:完敗です。なんだかあれよあれよという間に引き摺り込まれてしまいました。私もまだまだ未熟者ですな。指南役だとか呼ばれて少々天狗になっていたのかもしれません。
>千:市毛殿。万人に1人の逸材という者も居るものです。
>市:その逸材を見出し、ここまで育て上げたのは、千場殿の手柄です。良い勉強を致し申した。
>千:どうです? 銚子に、ちゃんとした直心影流を仕込んでみたいとは思われませんか?
>市:は? 私がですか?
>千:そうですとも。いや、別に婿にせよとかと申しているのでは在りませんよ。単純に、門徒として、教育なさる気はございませんかと、お尋ねしておるのです。
>市:しかし、拙者は最早(もはや)一浪人に過ぎません。指南など到底・・・

>千:市毛殿。ご覧の通り、当道場には50人の弟子が居ります。私が半分隠居状態ですので、猪ノ吉1人に50人は少し荷が重過ぎると思うのですよ。実はそう思って、近所に土地を用意してあるのです。そこに道場を建てて、師範を勤めていただけないものでしょうか?
>市:そんな。なんの縁もない素浪人なのですよ。そんな拙者が、そこまでしていただく訳には参り申さん。
>千:縁がない訳ではないではないですか。同じ流派を究めようとする同僚であり、その上、同じ女性(にょしょう)を奪い合った仲ではありませんか。
>市:しかしそれは・・・
>千:私がそうしたいのです。そんな期待をこの25年間、密かに抱いてきたのです。夢を、夢を叶えていただけませんか?
>市:千場殿。・・・忝(かたじけ)ない。

そんなお涙頂戴(ちょうだい)の場面を演じている傍(かたわ)らでは、竜之介を囲んで喜劇が幕を開けていた。

>聡:竜之介様と仰るんですか? あたし、聡と申します。どうぞ、嫁に貰ってくださいませ。
>竜:上総の銚子竜である。田舎侍(ざむらい)の4男坊にて、一生浮き草稼業を覚悟してここに在る身故、妻女など迎えられぬものと思って居ったが、ご師範の達(たっ)ての希望により、妻帯を命ぜられた上は、甘んじてその境遇に身を委(ゆだね)る所存(しょぞん)。
>聡:きゃあ、嬉しい。旦那様、ご主人様、お館様、あなた。・・・なんとお呼びすれば宜しいかしら?
>竜:上総の銚子竜である。
>聡:・・・ですが、上総へはお帰りにならないのでしょう? それなのに「上総の銚子竜」様では可笑しいわ。
>竜:うぐ。・・・それも尤も。
>聡:後であたしが語呂が良さそうなのを見繕っておきますわ。
>竜:そうか。良しなに頼む。
>聡:・・・それにしても、竜之介様はお強いのね。
>竜:お父上のことを悪く言う訳ではないが、あのくらいは朝飯前である。
>聡:きゃあ、素敵。出世間違いなしね。祝言(しゅうげん)の日が待ち遠しいわ。

そんなこととは露知らず、父の大路郎と母の純は、功次郎の情けにしんみり浸っていた。

>千:丁度ここに、大工の源五郎殿たちも見えられていることです。新道場の建築をお願いしてしまっても宜しゅうございますな? こういうことになったのも源五郎殿のご利益(りやく)かもしれませんからな。
>八:やったあ。親方、遺言も聞いてみるもんですねえ。
>源:こら、調子に乗るんじゃねえ。
>八:でも、大先生が良いと仰って呉れてるんでやすから、お言葉に甘えましょうよ。
>千:そうしてくだされ。
>源:でも、あっしたちは殊(こと)縁談の件に関しちゃあ、何一つ骨を折っちゃいやせんから。
>熊:あの、親方、どうやらそうでもねえみてえですぜ。見てお呉んなさいよ、あのお2人、結構盛り上がってるみたいで・・・
>市:なんと。 ・・・嗚呼(ああ)、なんと軽薄な。まったく、誰があんな娘に育ててしまったのだ?
>純:だから、あなたです。
>市:純。お前な。・・・もう良い。好きにさせなさい。
>八:やったあ。万事(ばんじ)丸く納まりやしたね。終わってみりゃあなんのこたあねえ。ちょちょいのちょいでやしたね。
>熊:おいらたちはなんにもやっちゃいねえじゃねえか。
>八:良いんだよ。日頃から良いことしてると、神様も目を掛けてくださるってことよ。それがちょこっとせっかちに運んじまったんだって思っとけば良いんだよ。なんてったってお前ぇ、師走(しわす)だぞ。先生も走るくらいだから、神様もきっと忙(せわ)しくってよ、さっさと片付けちまいたかったんだな。
>熊:先だって人から聞いた話じゃ、師走の走るって字は、離れるって意味で、帰省することらしいぞ。
>八:そんなのどっちだっておんなじじゃねえか。きっと、神様も伊勢へ帰る間際(まぎわ)で慌ててたんだよ、な?
>熊:伊勢じゃなくて出雲だっての。
(第12章の完・つづく)−−−≪HOME