106.【か】 『蝸牛(かぎゅう)角上(かくじょう)の争い』 (2001/12/03)
『蝸牛角上[=の角]の争い』
大国ではなく、小国同士が争うこと。些細なこと、つまらぬことに拘(こだわ)って争うこと。
参考:「荘子−則陽篇」 蝸牛(かたつむり)の、左の角に位置する触氏と右の角に位置する蛮氏とが互いに地を争い戦ったという寓話。
類:●蝸角の争い
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紅葉狩りの日までに、八兵衛が掻き集めてきた出席者というのは、こんな面々だった。
源蔵、お雅、源五郎、あや、(静)、八兵衛、熊五郎、五六蔵、三吉、四郎、の9人(と赤ん坊)。
六之進、半次、松吉、菜々、与太郎、太助の6人と、お咲とお夏のは子供扱いで、おまけ2人。
選から漏れた長屋の者たちには、土産を持って帰ってくるからということで、我慢して貰った。
事情を知らない者には、「旅籠(はたご)の隠居の道楽で、斉(なり)ちゃんという変わり者も同席する」とだけ伝えてあった。

>半:こうは見えてもこちとら、忙しい身なんだぞ。「紅葉狩りだから来い」だけで、引っ張っていかれちゃ迷惑だ。
>八:まあ、そう言いなさんなって。只で飲み食いできて、秋も満喫できるんだぜ、こんな良い話そうざらにあるもんじゃねえだろ? 尤も、風流だとかものの哀れなんてものは、お前ぇにゃ関係ねえんだろうけどよ。
>半:なにを? 食い気だけのお前ぇに言われたかねえや。
>八:誰が食い気だけだと? おいらなんかな、酸いも甘いも噛み分けた夢見る若者だぞ。
>半:誰が若者だと? 疾(と)うに三十路(みそじ)を過ぎちまってるくせによ。
>熊:まあまあ、年の話はするなよ。おいらもそうだが、お互い墓穴を掘るだけだろ。
>六:その通りだ。詰まらんことで諍(いさか)うものじゃない。と言うか、頼むから私の前で年の話はせんで呉れ。
>咲:父上の場合、その上に「後添(のちぞ)えの来手(きて)もない」がくっ付いちゃうもんね。
>六:これ、余計な戯言(ざれごと)など言うものじゃない。

長屋の面々は、憎まれ口を叩きながらも、満更(まんざら)嫌でもなさそうだった。揃いも揃って、根はお祭好きなのだ。

>松:それはそうと、その旅籠のご隠居とお前ぇらはどういう関わりなんだ?
>八:おいらとご隠居はな、「臭(くさ)い仲」なんだ。おいらが厠を借りに入ったらよ・・・
>熊:だから、臭い仲ってのはだな、怪しげだとか胡散(うさん)臭いとかいう意味なんだってえの。
>八:そんなこたあどうでも良いじゃねえか。そのお蔭で太助の瓦版に話を書いて呉れるようになったんだからよ。
>松:そうなのか、太助? あの、お奉行様の話ってのは、その爺さんが書いて呉れてるのか?
>太:はあ。お蔭様で、食いっ逸(ぱぐ)れないで済んでます。
>松:食いっ逸(ぱぐ)れねえどころか、随分人気になってんじゃねえか。おいらだって必ず読むもんな。なあ?
>菜:ええ。毎回見事(みごと)なお裁きで感心しちゃいます。ご隠居さんって、お奉行様とお知り合いの方なんですか?
>八:そうよ。囲碁仲間だぞ囲碁仲間。てえしたお人だろ?
>松:へえ。そいつは凄えな。・・・それで? そんな立派なご隠居さんに引っ付いてくるっていう斉ちゃんってのは、一体どんなお人なんだい?
>熊:それは、あの・・・

事情の分かっている源五郎一行は、随分先に現地に着いており、硬くなって「斉ちゃん」の到着を待っていた。

>源:八、遅えぞ。ご隠居さんたちが先に来てたらどうするんだ。待たせちまったら失礼だろう。
>八:良いんですよ。なんてったって無礼講なんですから、誰も怒ったりしやしませんって。
>源:そうは言うがよ。なんてったって、相手が相手だからな。
>松:ってことは、親方。その斉ちゃんとかいう奴のことを知ってなさるんですか?
>源:い、いや、お会いしたことはねえ。できることなら今日だってここになんか来たくなかった。
>八:親方。何をそんなに硬くなっていなさるんですか? そんな怖い顔してると斉ちゃんたちが怖気(おじけ)て帰っちまいますよ。・・・まあ、見てくださいよ。木の葉が色付いてるじゃあありませんか。
>源:何を悠長なことを言ってやがる。長屋の皆に、どういう主旨の会なのか説明してあるのか?
>八:勿論ですよ。「只酒只飯の会」だって。あ、それからついでに、「紅葉狩り」ってのも、ちゃあんと言ってありやすよ。
>源:なんだ、肝心なことを言ってねえじゃねえか。
>八:親方、世の中には、知らねえ方が良いことってのもあるんですよ。
>熊:何を偉そうに。巧く説明できねえから言わねえだけだろ。
>松:なんだなんだ? どういう訳だか知らねえが、おんなじ長屋の住人に隠し立てをしようってのか?
>八:隠し立てだなんて、とんでもねえ。知らねえ方が身の為だって言ってるの。
>松:ここまで引っ張ってきといて「知らぬが仏」だと? 馬鹿にしてるのか?
>八:そういうことじゃねえんだよな。・・・ねえ親方。
>源:うん。まあ、そうだな。難しいところだな。どうするよ、熊五郎。
>熊:そうですね、まあ、ご本人がどう名乗るかを待ってみるってので、どうです?

やがて、仕出しを積んだ大八車を従えて、内房老人と斉ちゃんが現れた。
ふと気が付いてみると、五六蔵と三吉・四郎がまだ現れていなかった。

>内:皆さん。ご無理ばかり言って申し訳ありません。内房でございます。ひょんな縁なんですが、八つぁんから懇意にして頂いている爺(じじい)です。今日は空模様にも恵まれましたし、存分に飲み食いしてくださいまし。葉っぱの方はまだ最盛期という訳にはいきませんが、混み合っているのよりは良いでしょう。
>八:おいら、葉っぱの色なんかどうだって構わねえです。飲み食いさえできりゃあ結構毛だらけでやす。
>内:そう言って頂けると、こちらの憂(うれ)いも吹き飛ぶというものです。・・・ここに連れて参りましたのは、斉太(なりた)といいまして、うちの旅籠の常客筋のお人です。時たまふらっとやってきては、居候(いそうろう)みたいにしてあたしの茶飲み話に付き合って呉れてます。「斉ちゃん」とでも呼んでやってください。
>斉:八つぁんには、先般、拝顔の栄に浴したということもあり、ご老体に強請(ねだ)って、同道させて貰ったという次第、でございます。居候の身ではございますが、どうぞ良しなにお引き回しください。
>半:おい、八。なんだか変梃(へんてこ)りんな野郎だな。
>熊:半次。声がでかいぞ。
>八:まあ良いじゃねえか。そんなことより、斉ちゃん、堅っ苦しい挨拶なんかそのくれえにして、早速飲み食いしやしょうよ。
>内:そうですね。そういうことにしましょう。

お夏はくすくす笑い、お咲の脇を突付きながら何やら話し掛けていた。
源蔵と源五郎は、斉ちゃんが発する一語一語に、一々冷や冷やしていた。
料理が並べられ、酒が酌み交わされ始めて、やっと雰囲気が和んできたところへ、五六蔵たちが現れた。

>熊:お前ぇたちこんな時分まで何をやってたんだ?
>五:へい。あんまり小汚え格好じゃなんだからって、朝から洗濯して、乾くのを待っていやした。
>熊:3人ともか?
>三:四郎のところが一番日当たりが良いんで、纏(まと)めて。
>四:おいらが3人分洗いました。
>熊:どうせそんなこったろうと思ったよ。それにしても、着るものばっかり綺麗にしたって仕方がねえだろ。ぼさぼさの頭しやがって。
>五:あれま。そこまでは気が回りませんでした。とんだ間抜けでやすね。

>八:お前ぇら、いつまでもそんなとこに突っ立ってねえで、こっちに来て斉ちゃんにご挨拶したらどうなんだ?
>五:そうでやしたそうでやした。・・・これはこれは、こんな大工風情のところまで態々(わざわざ)お降(くだ)り遊ばされまして、恐縮至極でございますです。
>半:なんだよ五六蔵。お前ぇ、気でも触れたんじゃねえのか? 居候風情に何もそんな馬鹿っ丁寧に遜(へりくだ)ることもあるめえよ。
>五:居候? とんでもねえ。こちらに御座(おわ)すお方はだな・・・
>熊:五六蔵、その話は後で良いから、駆け付け3杯、さくさくっと飲んじまいな。
>五:へ? 良いんですかい?
>八:まったくもって無粋な野郎たちだなあ、お前ぇらは。色付き始めた楓(かえで)でも眺めて、一句捻(ひね)るくらいの風流ができねえもんかねえ。
>五:そういう八兄いだって俳句なんか詠んだこともねえでしょ?
>八:なにを? 字も録に読めねえお前ぇになんか言われたかねえや。
>五:こっちだって、「泥鰌(どじょう)の寝床」だなんて言ってる人と一緒にされたくねえですよ。
>熊:止(や)めろったら。そういうのをだな、目糞が鼻糞を笑うってんだ。
>八:お前ぇこそ、飲み食いしてるときにそんな下品な話は止めろってんだ。お咲坊に嫌われるぞ。
>熊:放っとけ。

>斉:まあまあ、良いではないか。楓も然(さ)ることながら、綺麗な女人(にょにん)に囲まれて、こんな開放的な気分での宴(うたげ)など、本当に久方振りだ。のう、ご老体。
>内:そうですな。
>八:おべんちゃらも大概にしといてくださいましな。1人は子持ち1人は皺くちゃで、あとの2人はまだねんねときてる。
>咲:八つぁん!
>八:はは。こりゃまた失礼。言い過ぎでやした。
>斉:色付き始めた娘はやがて匂い立つような佳人になり、色付き始めた楓はやがて燃え立つような紅葉になる。ここも、最盛期ともなれば、山全体が火に覆われたように真っ赤に染まる。
>八:斉ちゃん、その話はあんまりしねえでお呉んなさいよ。美人の方は結構なことなんですけど、山火事の話はもう懲り懲りでやすよ。

(第11章の完・つづく)−−−≪HOME