96.【お】 『親の心子知らず』 (2001/09/25)
『親の心子知らず』
親がどれほどの愛情を注ぎ、また、どれほど苦労しているか、当の子供は気付き難い。子供は親の望むような振る舞いをしないものだということ。
類:●It is a wise child that knows its own father. 親の気持ちがわかれば賢い子<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典
反:■子の心親知らず
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翌日。鹿之助は、折り良く非番だったということで、朝のうちに源五郎の家にやってきた。

>鹿:父と妹に尻を叩かれるような格好で訪ねて参(まい)ったのですが、お話というのは、如何(いかが)なことなのですか?
>源:まあ、そう堅苦しくならねえで、こちらへお上がりくださいまし。
>鹿:然(しか)らば、お言葉に甘えまして。御免

鹿之助は、卓から2尺ばかり離れたところに正座で座り、背筋を真っ直ぐ伸ばして、両掌(てのひら)を腿(もも)に乗せた。

>源:そう畏(かしこ)まられると、どうにも切り出しにくいですねえ。
>鹿:拙者には、これが一番楽な格好ですので、どうぞお気になさらぬよう。
>源:承知しやした。・・・では、事と次第をお話いたしやす。
>鹿:ご存分に。
>源:なんだか調子が出ねえな。・・・えー、私どもは、お夏さんに懇意にさせて貰っている者です。先日、そのお夏さんから頼み事をされまして・・・
>鹿:その、夏の頼みというのが、拙者に関わることなのですね?
>源:はい。あなた様の嫁になりそうな娘さんを見付け出せってことでして。
>鹿:なんと。拙者に妻女(さいじょ)を?
>源:僭越(せんえつ)な話とは思いましたが、お夏さんには世話になってやすし、お引き受けしてしまった次第です。
>鹿:そんな、拙者の極(ごく)私事(わたくしごと)のことのために、見も知らぬお手前方の助力を受けろと言うのですか?
>源:見も知らぬと言われましてもねえ・・・。なんだかまどろっこしくなってきちまいやがったな。・・・おい、あや。熊の野郎を呼んできちゃあ呉れねえか?

熊五郎と八兵衛は、一体どういう風に話が進んでいるのかと、気になってそわそわしているところだった。
熊五郎から「お前ぇはここで待ってろ」と言われて八兵衛は剥(むく)れたが、あやに宥(なだ)められて、その場は大人し引き下がった。

>熊:よう、鹿之助。どうだ? 親方に全部任(まか)しとく気になったか?
>鹿:こちらの親方って、熊さんの上役さんなのか?
>熊:上役って、お前ぇ・・・。そういう言い方はしねえよ。親方は親方だ。そりゃあ頼りになるお人だぞ。
>鹿:そうか。・・・先程の「見も知らぬ」というのは撤回します。ですが、それはそれ、これはこれです。拙者個人のことですので、余計な差し出口は無用に願いたい。
>熊:そんなこと言ったってよ、お前ぇ、このまま放っとくと、いつまで経(た)っても嫁なんか来て呉れやしねえぞ。・・・それとも何か? もう目当てが居るとでも言うのか?
>鹿:それは、居はしないが、常々心掛けてはいる。
>熊:どうだか。・・・なあ、こう考えてみちゃあどうだ? 親方が持ってきた話だからって、それで決まり、はい祝言(しゅうげん)ってことじゃねえんだから、見合ってみるだけくらいの気持ちで任せてみるって。
>鹿:勿論(もちろん)決めるのは当人次第だというのは、当然のことだろう。でも、まあ、なんだ、こちらの親方の顔が潰(つぶ)れるとか、そういうことにはならないで済むのか?
>熊:何を気にしてやがる。見たら分かるだろ? 親方の顔なんざ、端(はな)っから潰れてんじゃねえかよ。お前ぇが気にすることじゃねえ。ねえ、親方。
>源:お前なあ、言うに託(かこつ)けて、勝手なことを。覚えとけよ。・・・鹿之助さん、個人的なことだというのは重々承知してますし、簡単に運ぶような件じゃねえってことも分かっておりやす。ですが、こちら側の、お夏さんからの頼みを引き受けちまったという立場だけでも、ご理解くださいやし。
>鹿:まったく夏の奴。魂胆(こんたん)が見え見えだ。
>熊:それで、どうなんだ? 任せちまっても構わねえだろ?
>鹿:色好い返事ばかりを期待されても困りますからね。それに、熊さんに免じてということもありますし。
>熊:そう来なくちゃ。ねえ親方、そういうことですんで、おいらの方からもお願いします。鹿之助に良い娘さんを探してきてやっておくんなさい。
>源:それじゃあ、改めまして、この役目、お引き受けいたしやす。

居間から下がって帰ろうとした鹿之助を、熊五郎が引き止め、八兵衛から離れたところへ引っ張っていった。

>熊:ぶちまけたとこを聞かして貰いてえんだが、お前ぇ、どういう娘が好みなんだ?
>鹿:好みと言われてもなあ。真剣に考えたことはないからなあ・・・
>熊:お前ぇ、真逆(まさか)、男好みってんじゃねえだろうな?
>鹿:何を馬鹿なことを言い出すんだ。そんなことある訳ないじゃないか。
>熊:念のためだよ、誰も真面目(まじめ)に聞いちゃいねえって。・・・でな、ちょいと聞いときたかったのはな、相手がお武家の出じゃなくても構わねえと思うかどうかってことだ。
>鹿:無論、こちらが武家なのだから、相手方も武家でなくては困る。
>熊:そりゃあ尤(もっと)もだとも。そいつが筋ってもんだろ。けどな、お前ぇのお父上は、武家じゃなくても構わねえって言ってるんだぞ。
>鹿:なんと。父上がか? 父上も、長い病のため頭までおかしくなってしまわれたのではないか?
>熊:とんでもねえ。はっきりと、きっぱりと、そう言い切りなさったよ。お父上が了解してるんだから、そっちの方から連れてきたって構わねえだろ? な?
>鹿:罷(まか)りならん。武家は武家だ。父上がなんと言おうと、武家の娘御でないと許さん。

>熊:それじゃあ無理だな。今回のは諦(あきら)めな。
>鹿:なんで無理なのだ? 親方にその方面の知り合いがないからということか?
>熊:そうじゃねえよ。お武家の娘が相手に選ぶ殿方は、武芸くらい立派に嗜(たしな)んでねえと駄目だろうってことだよ。
>鹿:何を申す。これでも一人前の官吏(かんり)だぞ、剣は駄目でも筆で立派に扶持(ふち)を貰っておる。
>熊:それじゃあ聞くが、お武家の娘は、筆しか揮(ふる)えねえ小役人に惚(ほ)れるか? 病(やまい)の父1人養(やしな)えねえで、妹に給仕なんかさせてるような小役人に惚れるか?
>鹿:それを言われると・・・
>熊:お父上は、そこいらのことまで全部含めて、了解してくだすってるんだよ。
>鹿:了解? 冗談じゃない。押さえ付けるしか能のないあの父が、子のことなど心得ている道理があるものか。
>熊:お前ぇ、なあんにも分かっちゃいねえな。
>鹿:熊さんまで、拙者を侮辱(ぶじょく)するのか?
>鹿:侮辱だなんて、そんな御大層なもんじゃねえよ。・・・唯(ただ)な、親ってものはな、見てねえようで、子供のことは、何から何まで分かってるものなんだよ。仮令(たとえ)陰でやらかしてるつもりでも、「こいつ何か良からぬことをしているな」ってのは、その日の内にばれちまってるってことだ。
>鹿:世間一般にはそうかもしれないが、うちの父に限って言えば、そのようなものじゃない。
>熊:そう思うか? それじゃあ、今度聞いてみれば良い。酒の勢いとはいえ、「上司が左遷されれば良い」って言ったことがあるってのも、ぴたりと言い当てるからよ。

鹿之助は痛いところを突かれ、渋々ではあったが、町娘でも構わないということを認めて帰っていった。
けれど、案外、認めてしまえば認めてしまったで、「そんな拘(こだわ)りに執着する必然もないのかな」と、密(ひそ)かに納得(なっとく)し始めてもいた。
一方八兵衛は、自分だけ蚊帳の外に置かれていることがどうにも我慢ならず、熊五郎に食って掛かっていた。

>八:そりゃあ、お前ぇは鹿の字の幼馴染みだし、お父上とも会ったことがあるから、間に挟(はさ)まるのも当然だと思うよ。だがよ、一番初めにお夏ちゃんから頼まれたのは、おいらたちふたり共なんだぞ。なんでおいらだけ除(の)け者みてえな扱(あつか)いを受けなきゃならねえんだ?
>熊:そりゃあお前ぇ、こいつが難しい話で、微妙な食い違いでもあっちゃいけねえからじゃねえか。
>八:おいらが軽はずみなことを言い出すとでも言うのか? こりゃまた、随分と見下げられたもんだよな。
>熊:そんなんじゃねえんだって。・・・実はな、親方のご判断なんだよ。お前ぇのことは噛(か)まさねえ方が良いってな。
>八:親方がか? 親方までおいらのことを信じて呉れてねえのか?
>熊:信じるとかしねえとかじゃねえよ。例えばだ、お前ぇがそのおしかさんっていう娘さんに惚れちまったらどうする? 話がややっこしくなってきちまうじゃねえか。
>八:何を戯(たわ)けたことを言ってやがる。おいらはな、お夏ちゃん一筋なの。脇目なんか振るもんか。
>熊:どうだか。菜々ちゃんのときだって本気になり掛けてたじゃねえか。
>八:あのときはあのとき。今は違うの。それに、どうせ嫁(い)き遅れだろ? おいらが惚れるような娘じゃねえさ。
>熊:酷(ひど)いことを言うねえ、お前ぇも。・・・でもまあ、親方だって、お前ぇが惚れたの振られたのするところなんか見たくねえっていう親心から、決めてくだすったんだ。有り難く従っとくんだな。
>八:ほんとに親心なのか? その娘がおいらに惚れちまったらぶち壊しになるからって、そんなとこなんじゃねえのか?
>熊:そいつは有り得ねえな。あるとすりゃ、やっぱり、お前ぇの方が惚れる筈だ。
>八:抜かしやがったな? 「しか」なんてえ名前の女はもやしとくっ付けときゃ良いんだ。悪くはねえ取り合わせだしな。
>熊:どうとでも言ってろ。話が進んでくりゃあ、おしかさんとやらの顔も拝(おが)めるだろうからよ。
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