第10章「末成り鹿之助の奇縁(仮題)」

90.【お】 『鬼(おに)の首(くび)を取ったよう』 
(2001/08/13)
『鬼の首を取ったよう』
まるで鬼を討ち取ったとでもいうようにという意味で、偉業を成し遂げたと言わんばかりに得意になること。
例:「鬼の首を取ったように、教師の間違いを指摘する」
本文の
参考・人物:平賀源内(ひらがげんない) 江戸中期の本草学者、戯作者。1728〜79。讚岐国(現在の香川県)の生まれ。本名国倫(くにとも)、字(あざな)は子彝(しい)、号は鳩渓、文名は風来山人。浄瑠璃作者名、福内鬼外(ふくちきがい)。田村藍水に本草学を学び、物産会の開催、火浣布、エレキテルの発明、源内焼の創始、鉱山の開発など自然科学、殖産事業の分野で活躍。また風刺と諧謔に満ちた戯文を多く発表。著作に「物類品隲(ひんしつ)」「風流志道軒伝」、浄瑠璃「神霊矢口渡」など。
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あやの出産は、お夏が予想したよりも随分簡単に片付いていた。
実際、子(ね)の刻(0時ころ)過ぎには元気に産声(うぶごえ)を上げていたのだ。
産婆のおよね婆さんも、「一切恙(つつが)無しだよ」と、お雅に言い置いて、早々に帰っていったという。
八兵衛の目論見とは違って、源五郎は清々(すがすが)しい顔で、弟子たちを迎えた。

>八:親方、昨夜(ゆんべ)はあんまり眠れなかったんじゃねえですか?
>源:まあな。
>八:そんじゃあ、今日のところは休んでいてくださいまし。現場の方は熊とおいらとで、ちゃちゃっと片付けちまいますから。
>源:そりゃあ、家に居てえのは山々だが、実のところ、男手はあっても仕方がねえそうなんだ。昨夜みてえにおろおろしてるくらいなら、仕事してた方がなんぼ良いか分からねえ。
>八:へ? だって親方、あんまり寝てねえでふらふらなんじゃねえんですか?
>源:とんでもねえ。ぐっすり眠って今朝は爽快に目覚めたさ。
>八:そうなんですか? お夏ちゃんの見込だと、今日は寝不足で、仕事を休むんじゃねえかと・・・
>源:ははあ。さては、八、お前ぇ、俺が休んでるのを良いことに、どっかへ気晴らしに行こうって魂胆(こんたん)だな?
>八:め、め、滅相もねえ。おいらがそんな狡(ずる)っこいことする筈ねえじゃありませんか。
>源:どうだか。

>熊:それで、親方、どっちだったんですか?
>源:女だ。母ちゃんに言わせると、目とおでこの辺りが俺にそっくりだそうだ。
>熊:そうですか。一姫二太郎って言いますから。良う御座んしたねえ。
>八:何が良う御座いましただ。女の子だぞ。親方に似てたら、終(しま)いじゃねえか。
>熊:こら、八。口が過ぎるぞ。
>源:まあまあ。良いじゃねえか。確かに、八の言う通り俺とおんなじ顔だったら、将来が心配だな。ま、顔なんてもんは少しずつ変わっていくもんだからな。それによ、縦(よ)しんば、そんな顔の儘(まま)でも、愛嬌(あいきょう)さえありゃあなんとかなるもんさ、うちの母ちゃんみてえにな。
>雅:なんか言ったかい?
>源:い、いやあ、母ちゃんは愛嬌があるって誉(ほ)めてたところだ。
>雅:いつまでも
油売ってないで、さっさと稼ぎに行っといで。・・・それからね、あたしのことは今日から「母ちゃん」じゃなくて「婆ちゃん」とお呼び。それと、あの子の名前はあたしとあやとで決めといたから、あんたは考えなくて良いからね。
>源:なんだと、糞婆(くそばば)ぁ。
>雅:あんた耳だけじゃなくてお頭(つむ)も悪くなったのかい? 「婆あ」じゃなくて「婆ちゃん」。ああ、良い響きだねえ。いつになったらそう呼んでくれるかねえ。「ばーば」とか「ばー」とか・・・
>源:なんてこったい・・・

そこに、五六蔵と三吉・四郎が現れた。いつものように刻限ぎりぎりである。

>五六:熊兄い、「土用の丑(うし)」ってなんなんですか?
>熊:そりゃあ、小暑(しょうしょ)から立秋までの間の時期の丑の日ってことだろ。それがどうかしたのか?
>五六:なんだか知りやせんが、鰻(うなぎ)を描いた幟(のぼり)がはたはた言ってやして、土用の丑って書いてあったんで。
>熊:なんだそりゃ? 丑と鰻は何の関係もありゃしねえじゃねえか、なあ?
>八:なんだお前ぇ、なあんにも知らねえんだな。
>五六:八兄い、知っていなさるんで?
>八:当り前じゃねえか。常識だぞ。
>熊:いつから常識になったんだ? そんな常識聞いたこともねえぞ。
>八:まあ、黙っておいらの講釈を聞けってんだ。・・・いいか? そもそも、梅雨が明けて本格的な夏になるとだな、暑さでぐったりしてきちまって、なんか滋養(じよう)のありそうなもんでも食わなきゃやってられねえってもんだろ? そこで、然(さ)る学者先生がだな、鰻が最も適して御座いって言ったもんだから、鰻屋は大喜びで幟を立てるのよ。
>熊:それで、何で丑の日なんだ?
>八:鰻も丑も「う」で始まるじゃねえか。
>五六:そんな理由なんすか?
>八:そんな理由だ。
>熊:なんだか眉唾もんだな。
>八:何を言いやがる。いつも物知りだ物知りだって威張ってるお前ぇの知らねえことを、この八兵衛様が知ってたからって、悔しいんだろ。
>熊:そんなもんじゃねえだろ。
>八:へへーんだ。お見逸(みそ)れして居りやしたって土下座でもなんでもしやがれ。

>五六:殊(こと)食い物のこととなると、お詳しいですね、八兄いは。
>八:食い物のことだけじゃねえぞ。その「白髪(しらが)」だか何だかっていう学者はな、火花を出す箱を作って見せもんにして大儲けしたお人だってのも知ってるぞ。
>熊:なんだ、平賀源内って人のことかよ。
>八:なんだお前ぇ、知ってんのか?
>熊:鰻のことは知らなかったがな。
>八:そうだろうともよ。・・・おい五六蔵、これからは、分からねえことがあったら熊じゃなくおいらに聞けよ。
>五六:そいつは・・・

そんな無駄話をしているところへ再びお雅が通り掛かり、「さっさとお行き」と怒鳴られた一行は、慌てて現場へと向かった。
道々、五六蔵がこんなことを言い出した。

>五六:ねえ親方、お目出度ついでに、鰻でも食わしてくれるってのはどうです?
>源:そうだな。そのくれえ張り込んでも良いかな。
>八:ほんとですかい?
>熊:ですが、親方、八の講釈によると、土用の丑の日はまだ先ですんで、今日食ったってしょうがねえんじゃねえですか?
>源:それもそうだな。それじゃあ、鰻はお預けだな。
>八:そんな殺生(せっしょう)な。

>五六:親方、じゃあこんなのどうです? 鰻の代わりに泥鰌(どじょう)ってのは。
>源:こりゃまた随分安上がりになっちまったもんだな。
>五六:はい。あのですね、ちょいと離れてはおりやすが、駒形に「越後屋」っていう泥鰌の丼物を食わす店ができたらしいんです。豪(えら)い評判でして。
>源:駒形だ? ちょっとどころじゃねえじゃねえか。
>八:そうですか? ほんの一っ飛びじゃねえですか。
>熊:こいつ、ほんとに食い物のこととなると、まるで人が違ったみてえだな。
>八:良いじゃねえか。・・・親方、今日はどうせ暇ですから、みんなで行ってみましょうよ。
>源:まあ、そうだな。こんなことでもねえと、あそこらへも行くこともねえからな。
>五六:飯だけじゃなく、くいっと一杯ってのはどうです?
>源:そいつは駄目だ。今日は真っ直ぐ帰って、母ちゃんに文句を言わなきゃならねえからな。
>八:親方、「母ちゃん」じゃなくて「婆ちゃん」だそうですよ。
>源:五月蝿(うるせ)え。つべこべ抜かしてねえで、さっさと仕事に取り掛かりやがれ。

調子に乗った八兵衛は、土用も丑も「土」を表わす言葉で、鰻が「木」を表わす言葉だとか、土気を木気で中和するんだとかと、又聞きしてきた薀蓄(うんちく)を、ここぞとばかりに捲(まく)し立てていた。
熊五郎は、それには全く
耳を貸さず、大女将とあやは稚児(ややこ)に、一体どんな名前を付けたのだろうかということを考えていた。
五六蔵は五六蔵で、「泥鰌、泥鰌・・・」とぶつぶつ呟きながら手を動かしており、三吉から「ぶつぶつ言うのは四郎の十八番(おはこ)ですぜ」と茶化されていた。
つづく)−−−≪HOME