86.【お】 『鬼(おに)が出(で)るか蛇(じゃ)が出るか』 (2001/07/16)
『鬼が出るか蛇が出るか』[=仏が〜]
次に起こる事態がどのようなものか予想が付かない。前途は予測不能し難いものであるということ。
参考:機関(からくり)箱を胸にかけた傀儡師(人形師)の言葉から出た言葉。
類:●暗がりに鬼を繋(つな)ぐ●God only knows what may happen.
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お咲が予見した通り、野崎屋の『コロ助』も、春日井屋の『服部』も、売れに売れた。
春日井屋以吉は、この調子で連載を続けてゆけばお店(たな)も随分持ち直すと、ご満悦(まんえつ)である。
仙六が切り出した、書物問屋に戻ってはどうかという提案も、強(あなが)ち見通しの暗いものではない。

>仙:浮世草紙は駄目(だめ)だぜ。今時そんなもんを買おうって奴なんかいやしねえ。
>春:そうかねえ? あたしは根強い人気があると思うんだがねえ。
>仙:流行(はやり)は過ぎたんだ。傍目(はため)を気にする庶民の殆(ほとん)どは、恥ずかしがって近寄りもしねえ。
>春:だがねえ、なくすには惜(お)しいものもあるでしょう。
>仙:どうしてもってんなら、別の屋号(やごう)で、闇で売りなよ。春日井屋の名前を使うってんなら、俺は辞(や)めるぜ。
>春:まあお待ちなさいって。なにもそう、話を先走らせなくっても良いじゃないか。
>仙:良くねえ。あんたがそういう了見(りょうけん)なら、俺だって製本職かなんかに鞍替えした方がなんぼか増しってもんだ。
>春:分かった。分かったよ。浮世草紙なんかは金輪際売らないよ。
>仙:そうかい。それじゃあ、早速(さっそく)『服部』を本にしちまうよう手配りしてくるぜ。
>春:瓦版はいま暫(しばら)く続けても構わないんだろうね?
>仙:庶民が待っているんだったら、構わねえんじゃねえか? でもよ、本になっちまったら、もう瓦版じゃあ売れねえぜ。どうしても瓦版を続けていきてえってんなら、ちゃんとしたネタを探す係(かかり)を作るんだな。
>春:御用聞きってことかね?
>仙:そうだな。そんなのも良いかもな。奉行所付(づ)きとか、芝居小屋回りとかがいると面白(おもしろ)いもんが出来るかもな。

一方、野崎屋杉太郎は、外伝は止(や)めるということで、我孫子先生への支払いを値切り、どうにかトントンまで待ってきた。
太助は、出来高払いなので、経緯(いきさつ)には関わりなく、相当の割合の給金を貰ったので、ほくほくである。

>野:太助どん、お前さんには出来高払いだとかいって暫く辛(つら)い思いをさせていたが、どうだね、本式にお店の雇(やと)い人っていうことで、ずっと働き続けて貰えないかね。
>太:はあ。使って頂けるんでしたら、こちらの方からお願いしたいくらいです。
>野:そうかい。そいつは良かった。
>太:ですが、茂長さんに貞吉さんという手代さんがお2人もいるのでしたら、頭数(あたまかず)では・・・
>野:それがだね、茂長と貞吉は、今回の一件で、瓦版より書物(しょもつ)を売りたいって言い出してね。
>太:お店を辞めちゃう訳じゃないんですよね?
>野:あの2人に辞められちゃったらあたしが困ってしまうよ。戦略としてのお店(たな)編(あ)み直しさ。ま、有体(ありてい)に言えば、事業の拡大ってとこかな。
>太:そうですか。でも、大丈夫なんですか?
>野:何が?
>太:だって、絵草紙の方が芳(かんば)しくないんでしょう?
>野:それがね、茂長が巧(うま)いことを考えてね。絵師の先生も押さえ付けを受けて困っているだろうから、本の挿し絵とかで使ってあげれば、ちょっとは恩を売れるでしょう? お上の取締まりが緩(ゆる)んできたら、真っ先に良い絵を回して貰えるようになる。
>太:成る程。流石(さすが)茂長さん、頭が良い。なんだか見通しが明るいですね。
>野:そうだろうそうだろう。順調に行けば、太助どん、あんた、2・3年後には手代だな。
>太:手代だなんて・・・

瓦版順調の振舞い酒ということで、太助は長屋の皆を「だるま」にご招待した。
熊五郎と八兵衛は、声を掛けるまでもなく、いつものようにしみったれて飲んでいた。

>八:おお太助、今度のもまた中々の評判だな。
>太:はい。有難うございます。明日また第2刷を売ることになっています。
>八:それで何かい? 今日はお相伴(しょうばん)に与(あずか)れるって訳かい?
>太:はい。なんだか、こんなに貰っちゃって良いのかってくらい頂いちゃいましたんで。
>八:おい、ほんとに良いのか? 幾ら安っぽい店だからって、こんな数だと大変なもんになるぞ。
>太:今日は他にも良いお報(しら)せもあるんです。ちゃんと野崎屋の者として雇ってくださるということなんです。
>八:そうか。何をやっても長続きした例(ためし)のねえお前ぇが、やっと認められたか?
>太:はい。
>熊:ちょっと待てよ、八。おいら、なんだかちょいと引っ掛かるんだよな。
>八:何がだ? 目出度(めでて)えこと尽くしじゃねえか。どこに厄介(やっかい)ごとがあるってんだよ?
>熊:・・・なあ太助。野崎屋には立派な手代が2人もいるって話して呉れたのは、お前ぇだよな?
>太:はい。お2人は新しい仕事を手掛けなさるってことで、書物を扱うんだそうです。2・3年後にはおいらも手代に成れるかも知れないそうです。
>八:そりゃあ凄(すげ)えや。

>熊:瓦版がこのまま順風満帆(じゅんぷうまんぱん)でいったらってことだろ? そうじゃなかったらどうする?
>八:どうなるんだ?
>熊:馘(くび)だな。
>八:でもよ、この調子なら大丈夫だろう?
>熊:次の後日譚(たん)ってのまでは売れるだろうよ。でも、その後はどうだ?
>八:そんじゃあよ、またおいらが、新しい話を持ち込んでやりゃあ良いじゃねえか。
>熊:そいつは無駄だな。罷(まか)り間違って良いもんが書けたとしても、そいつは瓦版にはならずに、書物になっちまうだろうよ。
>八:ってことは、太助の見通しは暗いってことなのか?
>熊:大方、明日以降の瓦版の売上げを太助に配らねえで良いようにっていうのが、小狡(ずる)い野崎屋の考えだろうよ。
>太:そうなんですか?
>八:そうなのか?

そこで思い当たる節があったのか、お咲が話に割り込んできた。

>咲:あたし、富郎さんから聞いたんだけど、綺麗な町娘が登場する物語を出すんなら、一緒に生駒屋本店の引き札を配らせても良いって口約束してあるんだって。
>熊:それじゃあ、そのなんとかいう文士先生はもうそっちに取り掛かってるな。下手をすると、後日譚なんか碌(ろく)なものになってこねえかも知れねえぞ。
>咲:そんなことになったら、もう誰も買おうなんて気を起こさなくなっちゃうじゃない。
>熊:そういうことだ。
>太:そうなんですか?
>八:野崎屋に捻じ込みに行こう。今すぐにだ。
>熊:まあ待て。そんな先のことまで分かる訳ないって突っ撥ねられたら、こっちは引き下がるしかねえんだから。
>八:何を言ってやがる。こっちはお見通しだって言ってやりゃあ良いじゃねえか。
>咲:八つぁん、無茶言わないの。・・・ね、だったら、その筋書きが途中から狂っちゃうように、こっちから何かを仕掛けちゃう方が良いんじゃないの?
>熊:そんなこと言って、お前ぇ、なんか良い考えでもあるのか?
>咲:今はないけど、皆で考えれば何か思い付きそうじゃない? 今までみたいに。
>八:そんなんで良いのか? おいらの得意の仕事じゃねえか。まあ、任しときな。
>熊:何が任しときなだ。こっちはお前ぇが次に何をやらかすか、一々冷や冷やもんだってのに。

そこにお夏が現れた。

>夏:また何かやらかそうっていう相談? あたしも混ぜてよね。
>熊:お前ぇはまた、なんでこう具合いの悪いときにばっかり現れるんだ?
>夏:どうしたの? ほんとに何かあったの? きゃあ嬉しい。楽しみ。ね、教えて教えて。
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