69.【う】 『噂(うわさ)をすれば影(かげ)が射(さ)す』 (2001/03/19)
『噂をすれば影が射す』
誰かの噂をすると、えてして当人がそこへ偶然やってくるものだ。主に、気安く誰かの悪口を言うものではないという戒めの意味を込めて使う。
類:●Talk of the devil and he is sure to appear. 悪魔の話をすれば悪魔は必ず現れる<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典
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翌日、太助は早速(さっそく)野崎屋へと出掛けていった。正月3ケ日が明けてしまったせいか、客足はさっぱりだった。
そう簡単に絵草紙など売れる道理もない。
正月早々小さな喧嘩程度はあったが、態々(わざわざ)瓦版にする程のものでもなく、こちらの方も見通しの明るいものではなかった。
一方、伝六に引き合わされた与太郎とお咲は、早速、鴨太郎から、英二という上方者(かみがたもの)についての聞き込みを指示されていた。
半月ほど前に仲間数人を引き連れてこの界隈(かいわい)に巣くったということらしい。
特に騒ぎを起こしたという訳ではないが、太郎兵衛の配下の者たちが頻(しき)りに牽制(けんせい)しているという。

>咲:それで伝六さん、その英二とかいう人の顔は分かっているの?
>伝:ああ、昨日は見掛けなかったが、元旦と2日は4人で来てやがったよ。
>咲:どんな人?
>伝:風体(ふうてい)はどこにでもいそうな町人風。年回りは四十の半ばってところかな。英二は見た目も普通で目立たねえが、引き連れてるのが揃いも揃って悪人面(づら)してやがる。中でも2番目の常吉(つねきち)ってのは、相当な与太り者だと見たね。
>咲:権太っていう蛇みたいな目付きした人より悪人面なの?
>伝:なんでえ、権太のこと知っていなさるんかね。権太も並外れて悪い面をしてやがるな。・・・そうさな、奴の目付きは湿った冷たさだが、常吉のは凍ってるみたいな、乾いた感じの目付きだな。狼か狐みてえに吊り上ってるんだ。
>咲:狐目の男ね。どっちにしろ嫌ね。あんまり関わり合いたくないわね。
>鴨:大丈夫さ。直接面と向かうようなことにはならないようにするから。お前ぇたちは、遠巻きにして噂話だけ掻き集めて呉れりゃあ良いんだ。
>咲:それなら安心ね。ね、与太郎さん。
>与:は、はい。
>伝:なんだよ。もうびびってやがるのか? しっかりしろよ。お咲ちゃんの方がよっぽどしゃんとしてるじゃねえか。
>与:はあ。どうも慣れないもんで。
>咲:あら、あたしだって慣れてないわよ。しっかりしましょ、ね。

それじゃあ頼んだよと言って、鴨太郎は役所へ帰っていった。
お咲と与太郎は、伝六から、聞き込みの骨(こつ)のようなもののご教示を受けていた。
すると、伝六がおやっと顔を上げた。

伝:見てみなよ。来やがったぜ。
与:英二って人ですか?
伝:いや、権太だよ。会いたくねえ奴の話なんかするもんじゃねえな。

>権:よう、伝六さんよ、ご精の出ることだねえ。上方のはぐれ者が来てるとあっちゃあ、おちおち雑煮(ぞうに)も食ってられねえな?
>伝:何を抜かしやがる。おちおちできねえのは、お前ぇたちが彷徨(うろつ)いてるせいじゃねえか。
>権:はは、こいつは一本取られたな。・・・おや、確か、お咲とやら。こんなとこで何してるんだい?
>咲:あら、淡路屋さんはこの辺から手を引いたんじゃなかったの?
>権:いやなにね、ちょいと出店を冷やかしてるだけさね。別に悪さをしようって訳じゃねえよ。
>咲:ほんとかしら?
>権:旦那の言うことは律儀(りちぎ)に守ってるさ。
>咲:その上方者たちと悶着(もんちゃく)でも起こして御覧なさい、直(す)ぐに親方を呼びにやる・・・
>権:まあ待ちなよ。源五郎とかいう大工のことは良く知らねえがよ、あのあやっていう女だけはどうも苦手でな。旦那も言ってたが、よくよく相性(あいしょう)が悪いらしい。
>咲:あやさんと相性が悪いってことは、あんたたちが良からぬことをしてるって証(あかし)じゃない。悪くなければ、あんな付き合い易い人はいないわよ。
>権:一々尤(もっと)もだ。・・・だがよ、合わねえもんは合わねえんだから仕方ねえ。ま、なるべく関わらねえようにしとくから、精々宜しく伝えといてくれ。じゃあな、あばよ。

権太と、その取り巻きとは、境内(けいだい)の隅の方へ引っ込んでしまった。
伝六は、権太に対するお咲の受け答えに、感心頻(しき)りという様子だった。

>伝:権太とはどういう間柄なんだい?
>咲:どんなもこんなも、関係ないわ。あんな冷血漢とは関わりたくないもの。
>伝:なんにもないってことはねえだろう。奴(やっこ)さんが娘っ子の言い成りになってるんだぞ。普通だったら、耳の片方がなくなってたって文句は言えねえんだぞ。
>咲:そうなの? おお怖い。
>伝:全然怖そうに聞こえないんだがね。

その時、背後から、「お咲ちゃん」と呼ばれた。
振り返ってみると、あやと、お雅、それから、ちょっと離れたところに源蔵が立っていた。

>咲:あら、お揃(そろ)いでどうしたの?
>あや:そっちこそ与太郎さんととは珍しいわね。こんにちは、与太郎さん。
>与:どうも。お参りですか?
>あや:唯(ただ)の散歩。
>咲:棟梁まで連れて唯のお散歩? 安産祈願じゃないの?
>あや:違うのよ。本当にお散歩。祈願の方はお義母(かあ)さんたちが鬼子母神様で済ませて呉れてるのよ。昨日ね、この辺まで歩いてみたら、身体(からだ)の具合いが頗(すこぶ)る良いのよ。出不精(でぶしょう)は良くないわねって話したら、付き添って呉れたの。
>咲:そうなの。順調そうね。
>あや:ええ、順調順調。それはそうと、お正月、どうして来なかったの?
>咲:もう同じ長屋って訳じゃないし、熊さん八つぁんが誘って呉れた訳でもないし、ちょっと遠慮しちゃった。
>あや:お夏ちゃんとお咲ちゃんは特別よ。誰が同行しなくたって好きなときに来れば良いのよ。
>咲:ありがと。今度前触れなく押し掛けるわ。
>あや:はいはい。

>咲:実はね、つい今さっき、あやさんのこと話してたところなのよ。あやさん、密偵(みってい)かなんか雇(やと)ってあたしに張り付かせてるなんてことないわよね?
>あや:真逆(まさか)。でも、悪い噂は離れてても聞こえるのよ、わたし。
>咲:悪い噂なんかする訳ないじゃない。
>あや:ね? ・・・だから、まったくの偶然。
>咲:あ、でもさっきまで、あやさんとは関わりたくないっていう人と一緒だったっけ。
>あや:あら、人気(にんき)ないのね。
>咲:違うのよ。権太よ、権太。
>あや:あら、何か面倒ごと?
>咲:なんでもないのよ。ちょっとした立ち話。あとちょっと早かったら、権太の奴、きっと飛び上がって驚いたでしょうね。
>あや:わたしそんなに酷(ひど)いことした覚えないわよ。
>咲:向こうには覚えがあるみたい。
>あや:そう。まあ良いわ。ああいう人たちとは関わり合いにならないのが一番だものね。お咲ちゃんもあんまり喋(しゃべ)ったりしない方が良いわよ。・・・じゃあね、本当に遊びにいらっしゃいよね。

>伝:・・・お咲ちゃん。今の、大工の源蔵親方とお内儀(かみ)さんだよな?
>咲:そうよ。あのお嫁さんが、あやさんていうんだけどね、この間まであたしたちの長屋に住んでたの。
>伝:へえ、近くで見ると迫力あるねえ。倅(せがれ)の源五郎ってお人も相当な人格者だって言うじゃねえか。
>咲:なによ、こっちはあやさんの話をしてるのに。それを言うならね、若女将(わかおかみ)さんだって相当な人よ。
>伝:不思議な感じの人だねえ。声こそ掛けちゃ呉れなかったけど、にっこり、目で挨拶(あいさつ)されたときは、ぽーっとしちまったぜ。しかしなんだな、あんた、随分顔が広いな。
>咲:どう? 使えそう?
>伝:ああ。下っ引きじゃ勿体(もったい)ねえくらいだ。
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