39.【い】 『一将(いっしょう)功(こう)成(な)りて万骨(ばんこつ)枯(か)る』 (2000/08/14)
『一将功成りて万骨枯る』
一人の将軍が輝かしい功名を立てた陰には、戦場に屍(しかばね)を晒(さら)す多くの兵士の犠牲があった筈である。功名を徒(いたずら)に指導者だけのものとするものではないということ。
類:●The success of one is built on the sacrifice of many.
出典:晩唐の曹松の句「亥歳詩」 「憑君莫話封侯事、一将功成万骨枯」
人物:曹松(そうしょう) 字は夢徴。舒州の人。初め洪州の西山に住み、のちに建州刺史・李頻に頼った。李頻の死後、貧苦になやみ、江南を漂白した。光化四年(901)、歳70を過ぎて漸(ようや)く進士に及第した。校書郎に任ぜられた。「己亥歳」の「一将功成って万骨枯る」の一節は有名。中国史愛好サイト『枕流亭』
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「だるま」の手伝いの娘は、名前をとお夏といい、働き始めてまだ5日であった。
顔立ちや骨格が飛び切り良いという訳ではないが、垢抜けた、愛嬌のある娘だった。

>夏:あれえ、お咲ちゃんの父上じゃない。
>六:そういうあんたは・・・
>夏:お夏よ、な・つ。先月遊びに行ったじゃない。
>六:おお、そうかそうか。思い出したぞ。なんだ、ここで働いているのかね。
>夏:お手伝い。武家の娘が大っぴらに働いてちゃ拙(まず)いでしょ。
>六:そうかそうか、それにしても豪(えら)い人気みたいだな。
>夏:そう思う? そう言われて悪い気はしないわね。・・・こちらのみんなは長屋の人たち?
>八:おいらは八兵衛と言います。こっちから半次、松つぁん、六さん、熊、ここまでが長屋の住人。
>夏:熊さんって、あの、熊五郎お兄ちゃん? ・・・あら、ほんとだ。ご無沙汰ですぅ。
>熊:え? あ、ええと、ああ、お夏坊か?
>夏:そうよ。
>熊:へえ、随分大きくなっちまったなあ。
>松:なんだなんだ熊公、どういう関係だ? 事と次第によったら、只(ただ)じゃ置かねえぞ。
>熊:いつか話さなかったか? 昔、もやしと牛蒡と白菜と一緒に遊んでたって。そのもやしの妹だよ。
>八:小難しい四字熟語だかなんかばかり喋(しゃべ)るっていう・・・
>夏:あら、兄上も案外有名人なのね。今じゃ立派な小役人よ。
>熊:小役人はねえだろう。そのうち出世もするだろうし。
>夏:どうだか。そんなことより、お咲ちゃんと同じ長屋に住んでいるのよね、奇遇(きぐう)ね。
>熊:お咲坊とお夏坊が知り間とは、考えもしなかったな。
>夏:熊五郎お兄ちゃん、これからもちょくちょく飲みに来てね。ご奉仕しちゃうから。長屋の皆さんも。
>五六:ちょ、ちょいと待った、お夏っちゃん、おいらたちのことも聞いと呉れよ。長屋の住人じゃねえが、熊兄いの弟子の五六蔵です。そんでもって、こいつが三吉、そいつが四郎。
>夏:三、四、五ね。覚え易いわね。

五六蔵だけでなく、三吉と四郎もうっとりと夏の姿を追っていた。

>松:どうだごろつきども、嘘じゃねえだろ。
>八:お前ぇ、なんで今日まで黙ってやがった。独(ひと)り占(じ)めしようったってそうは
問屋が卸さねえぞ。
>松:五月蝿(うるせ)えやぃ。常日頃の地道(じみち)な情報収集活動と、日々弛(たゆ)まぬ努力の賜物(たまもの)だ。
>八:なに言ってやがる。偶々(たまたま)飲みに来たら居たってとこだろう。
>松:その通り。だけどな、おいらはお前ぇたちより3日も前から知り合いなんだぜ。
>八:それを言うんなら、熊の奴なんか十年も前からの知り合いじゃねえか。
>松:まったく、癪(しゃく)に障るったらねえ。飲むぞぉ、おーい、お夏っちゃん、酒。
>夏:はーい。松吉さんに1ぽーん。
>八:なんでえなんでえ、お前ぇ、もう名前を覚えられてるのか?
>松:違うんだよ。見ててみな、お夏っちゃん、全員の名前を覚えちまってんのよ。
>八:嘘だろう、そう簡単に覚えられる道理がねえ。そんじゃ試しに、おーい、身欠き鰊(にしん)2つ出しと呉れ。
>夏:はーい。八兵衛さんに鰊2まーい。
>松:な?
>八:魂消たね。一回喋っただけだぜ。
>五六:あっしもやってみていいですか?
>松:やめとけよ。あんまりしつこいと他の客から恨(うら)まれるぞ。唯(ただ)でさえ熊公のことで睨(にら)まれてるんだからな。

5つ半(21時頃)を過ぎても、客たちは1人として帰ろうとしない。
そこへ、目付きの良くない2人組が暖簾(のれん)を潜(くぐ)って入ってきた。太郎兵衛のところの下っ端(ぱ)たちである。

>下1:そろそろ帰りたくなった奴はいねえかい?
>下2:銚子(ちょうし)空けるのを手伝ってやろうか?
>夏:なによ、ここはあんたたちみたいなやくざ者が来るところじゃないのよ。
>下1:どこで酒を飲もうがこっちの勝手だ。
>夏:あれ? そういうあんたは、伝通院下(でんつういんした)の田ノ助じゃないの。あんたまだ権太(ごんた)とかいうやくざにくっついてんの?
>下1:やばい。夏姉(ねえ)がどうしてここに?
>夏:どうしてじゃないわよ。あんたねえ、お兄ちゃんがあんな目に遭(あ)ったってのにまだ分かんないの?

>熊:ちょっと待って呉れお夏坊。今、権太って言わなかったか?
>夏:そうよ。蛇みたいな目付きの嫌ざな奴。
>三:そいつなら今日太郎兵衛んとこで見ましたぜ。なあ?
>四:一度見たら忘れない顔ですね、ありゃあ。
>熊:ってことは、こいつら親方のことを探(さぐ)りに来やがったんだな? 半次、松、ふん捕まえろ。

予定外の、夏の存在に戸惑っていた2人は、敢(あ)えなく捕まえられてしまった。

>六:咲は、咲は無事なんだろうな?
>夏:お咲ちゃんどうかしたの?
>熊:こいつらの親分たちに勾引(かどわか)されて、押し込められてるんだ。
>夏:どうして? ・・・あんたたち。なんでそんなことするのよ?
>田ノ助:おいらのせいじゃねえよ。おいらたちはこの2人の後を付けろって言われただけだ。
>三:おいらたちを付けたって仕方がねえじゃねえか。親方んとこに張り付いてた方がなんぼ良いか分からねえ。
>田:そんなこと今更言われてもなぁ?
>夏:だからあんたは軽薄で軽率だっての。もっとも、賢(かしこ)かったら疾(と)っくに堅気(かたぎ)になってるでしょうけどね。

>四:・・・ときに、こいつの兄貴がなんとかってのはどういうことなんです?
>夏:身代わりで寄せ場送りになったんですって。人を殺(あや)
めましたって。やってもいないのに。
>田:戻ったらお前たちなんか近づけないくらい偉い人になれるんだぞ。
>夏:戻って来られたらでしょう?
>四:普通はその場で即座(そくざ)に死罪を申し渡されますよ。市中引き回しの上、獄門(ごくもん)でしょうね。
>五六:寄せ場送りくらいで済んだのが不思議なくらいだな。きっと、身代わりだってことを白状しちまったんだぜ。そんな奴は戻ったって偉くはなれねえよ。
>田:それじゃあ、あんちゃんは?
>五六:無駄骨。無駄死にだな。
>田:そんなあ・・・
>夏:いつだってそう。終わってみると、笑っているのは、なんとかいう親分さんだけ。
>熊:淡路屋太郎兵衛。
>夏:だから、そんな親分の下で働くなんてやめて、桶屋を継ぎなさいっての。
>八:桶屋なのか? ふうん。・・・兄さんの方は幾らか孝行者でよ、肩で風切ってれば桶屋が儲かるって考えたんだぜ、きっと。
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※お詫び 時代考証を誤っています。
「情報」という熟語は、明治の軍事用語として作られた言葉とも、或いは、森鴎外がドイツ語のナハリヒトを訳した語であるとも言われていますので、この時代には使われていません。(再掲) 上に
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