32.【い】  『一事(いちじ)が万事(ばんじ)』 (2000/06/26)
『一事が万事』
一つの事を見るだけで、他のすべての事が想像できる。また、一つの小事を見ても、ひいては万事その調子になるだろうということ。
類:●一事を以って万端を知る
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源蔵は朝から相好(そうごう)を崩しっ放(ぱな)しだった。
源五郎はぼうっとしていた。前夜は酔っていたこともあり、夢なのか現(うつつ)なのか定かではなかったが、今朝あやからもう一度経緯(いきさつ)を聞かされて、遅れ馳(ば)せながら夢見心地になっていた。
お雅はあやの顔を見てにっこりと一度だけ笑ったが、すぐに朝餉(あさげ)の給仕に取り掛かった。

>あや:棟梁、なんの断りもなく押し掛けてしまいましたが、お許しいただけますか?
>棟梁:許すも許さねえも、甚兵衛親方に矢の催促(さいそく)をしていたのはこっちなんだからね。棚から牡丹餅の心境だよ。
>あや:末永くよろしくお願いいたします。
>棟:他人行儀は止(や)めにしよう。それから、家族の席では棟梁じゃなく、義父(とう)さんとかなんとか呼んじゃ呉れないかね。
>あや:分かりました。お義父さん。
>棟:うん。うん。好い嫁だ。なあ、源五郎?
>源:え?
>棟:え?じゃねえ。しゃきっとしろぃ。いくら逆上(のぼ)せてるったって、そんな面してたら仕事に差し支(つか)えらぁ。
>源:そりゃそうだがよ、親父。当の本人が一番除(の)け者なんだぜ。そんなの在りかよ?
>あや:ご免なさい
>棟:あやさんが謝(あやま)るこたあねえよ。気が付かねえこいつが悪いんだ。それによ、今一番の幸せ者は外(ほか)でもねえ源五郎なんだからな。文句なんか言ったら罰(ばち)が当たる
>源:その通りだ。・・・でも、まだ夢を見てるようだ。
>棟:昼間っから夢なんか見てて足場を踏み外したりするなよ。
>源:ああ、そうだな。
>棟:駄目(だめ)だなこりゃ。おい、源五郎。お前ぇ今日は高いところに上るんじゃねえぞ。
>源:なんで?
>棟:「なんで」じゃねえ。祝言(しゅうげん)もまだだってのに、あやさんを後家(ごけ)にするつもりか。
>あや:そんな縁起でもない。・・・気を付けてくださいね、親方。
>源:お、おう。
>棟:あやさん、試(ため)しに、親方じゃなくて「あんた」とかなんとか呼んでみてやって呉れねえか?
>あや:しっかりしてくださいね、「お前さん」。

源五郎は、水から上がった蛸(たこ)か何かのようにぐんにゃりしてしまった。

「どうせ今日は仕事にならないだろうから昼で切り上げて皆に振舞い酒でも出しなさい」と、お雅から持たされた角樽(つのだる)をぶら下げて、源五郎は現場に出掛けていった。
そうは言ってみたお雅だったが、今日は一日使い物にならないだろうなと、諦(あきら)めてもいた。
後で活を入れに行って貰えるよう頼んで、源蔵を見送った。
源蔵は、樽を振り回さんばかりの調子で、足取り軽く甚兵衛の家へと向かっていった。
「まったく子供みたいなんだから」とぼやいたが、満更でもないようだった。

現場では、熊五郎と八兵衛がいつになく早くから待ち構えており、2人で目を合わせてはにんまりしていた。

>五六:兄いたち、今朝はなんか変ですぜ。さっきからにやにやしちまって。
>八:そうか? いつもと変わりねえけどな。
>五六:なんか花見で良いことでも在りなすったんですかい?
>八:別に。
>四:何か隠してますね。鼻の穴がひくひくいってますよ。
>熊:まあもう少し待ってろ。親方が来れば分かるから。

と、言っているところに、樽に振り回されるようにして源五郎が現れた。

>五六:親方、どうかしたんですかい? 寄り合いの酒がそんなに効いちまったんですか?
>源:あん? 何か言ったか?
>八:五六蔵よ、今の親方には何を聞いても駄目だよ。
>五六:なんででやすか?
>熊:手に持ってるもんはなんだ?
>四:角樽じゃねえですか、お目出度(めでた)ですかい?
>八:それも特別のお目出度だ。
>三:教えてくださいよ。
>熊:親方、この度はお目出度うございやす。
>源:なんだ、お前ぇたち知ってたのか?
>八:おいらと熊だけですが。
>源:そうか。ほら、こいつを昼に出しとけ。今日は昼で終(しま)いにする。
>四:どういうことです?
>八:そういうことだよ。
>五六:そういうことって、真逆(まさか)。
>八:その真逆よ。
>四:で、お相手は?
>八:他(ほか)に在るかよ。
>五六:そんなこと、昨日まで一言も言ってなかったじゃねえですか。
>熊:昨日までは親方本人も知らなかったの。
>五六:そんなことって在るんですかい?
>熊:在るんだから仕方がない。

>五六:へえぇ、こいつぁあ魂消(たまげ)た
>八:親方に一言言ってやったらどうなんだ。
>五六:親方、あやさんをものにしちまうなんて、お見逸(みそ)れしやした。
>源:ああ。そうか。じゃあ頑張れよ。
>熊:駄目だこりゃ。今日は一日この調子だな、きっと。
>八:2日続けて昼酒なんて贅沢(ぜいたく)の窮(きわ)みだな。
>熊:三吉か四郎、どっちか、親方が変なことを仕出かさねえように見張っといて呉れねえか?
>四:へい、おいらが。見てると面白そうですし。
>熊:おいらたちは親方の分も働いちまうから昼時になったら声を懸けて呉れ。
>八:ちょいと投げ遣りだな? なんだよ、熊、お前ぇもお咲坊を女房にしたくなっちまったのか?
>熊:五月蝿(うるせ)ぇやぃ。
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