30.【い】  『鼬(いたち)の道切(みちき)り』 (2000/06/12)
『鼬の道切り』
1.鼬の通路を遮断すること。
2.鼬が目の前の道を横切ること。
3.往来、交際、音信などの絶えることを喩えて使う。 
鼬は決まった道だけを通る習性であるが、通路を遮断されると同じ通路を二度と通らないという俗説から。または、鼬が道を横切ると凶事が起こるという迷信から。
類:●鼬の道
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長屋の花見の会がお開きになったのは六つ(18時ごろ)近かった。あやと源五郎の話が盛り上がり、ついつい宵の口まで長引いてしまったのだ。
気の早い半次がいつの間にかあやのことを「女将さん」と呼び始めていたが、熊五郎と八兵衛は「若女将さん」じゃ呼びづらいななどと思案していた。現実に頭の中を占めているのは、あやに傅(かしず)かれて「不束者(ふつつかもの)ですが」などと言われたときの源五郎の間の抜けた顔ばかりだった。

>八:何時(どき)ごろ出掛けやしょうか?
>あや:もう用意はできてるんですよ。あとは積み下ろしだけです。お義母(かあ)さんの話だと、棟梁と夜の寄り合いに行ってて戻りは亥の刻(22時)近くになるということです。
>熊:それじゃあ、ささっと済ませちまいますか。
>八:今夜は初夜でやすからね。
>あや:嫌ですよ八兵衛さんたら。もっとも、どうせ酔っ払っちゃってそれどころじゃないでしょうけどね。
>八:お預けですか。
>熊:そのくらいにしとけよ、親方のお内儀(かみ)さんなんだから身内も同然なんだぞ。あまり下品なこと言うもんじゃねえ。
>八:そうか、そうだな。こいつぁあ失礼いたしやした。
>あや:良いんですよ、そんなこと。
>八:ときに熊よ、あやさんのことなんて呼べば良いと思う? 「あやさん」じゃあ馴れ馴れし過ぎるしな。
>熊:「若女将さん」じゃあ呼びづらいしな。どうだろう、「姐(あね)さん」で良いんじゃねえか?
>八:あやさんに似てるけど、その方が良いよな。どうです? 姐さん。
>あや:なんだかくすぐったいわね。でも、そのくらいの方がわたしの方も、大工の嫁としての自覚が出そうだから、そうしといて貰えますか。
>八:いけねえな。おいらたちに向かってですとか、ますとか、付けて言っちゃあいけませんよ。
>あや:そっちの方は自然とそうなるのを待っててくださいな。直ぐには無理そうですから。
>八:承知しやした、姐さん。
>熊:そいじゃあ、大八車を借りてきやす。直(じき)ですから待ってておくんなさいやし、姐さん。
>あや:やっぱりこそばゆいわね。

積み込みには半次や松吉が手を貸してくれたお陰であっという間に済んでしまった。
出掛ける段になると、女房衆も出てきて「お幸せにね」や「偶(たま)に遊びにおいでね」と声を懸け、万歳こそしなかったが、目出度い門出となった。

>八:「だるま」の方はもうお終(しま)いなんですよね。
>あや:ご主人には昨日を限りということで言ってあります。
>熊:売り上げががた落ちだろうな。尤(もっと)も、元の稼ぎに戻るってだけだがな。
>八:あやさん目当てで来てた客だって大勢いるだろうにな。
>熊:飲み屋の客なんて現金なもんだからな。
>八:そういうおいらたちだって分かったもんじゃねえからな。
>熊:主役の抜けた芝居を見に行くようなもんだもんな。
>八:あの親爺のことだから、病気になったとか何とか言いそうだな。
>熊:
二匹目の泥鰌(どじょう)を狙ってまた誰かを雇うかもしれないしな。
>あや:出過ぎたことかもしれませんが、顔の広いお咲ちゃんに紹介して貰ってはどうかと言い添えておきました。
>八:流石(さすが)、抜け目がねえ
>熊:八、こういう時は「行き届いてますね」って言うもんだ。
>八:どう違うんだ? 意味は一緒だろ?
>熊:そりゃそうだが、悪巧みとかのときに使う言葉みたいで、どうもな。
>八:誉め言葉になってねえってことだな。こりゃまた粗相(そそう)
をしちまいやした。どうも済みません
>あや:熊五郎さんって細(こま)やかなのね。良い大工さんになれますよ、きっと。
>八:あっしはまだまだですかね?
>あや:そんなことないわよ。八兵衛さんには大らかなところがあるでしょう? お弟子さんに恵まれますよ、間違いなく。
>八:あの3人ですか?
>あや:五六蔵さんたちもそうでしょうけど、あの人たちはどちらかというと親方のお弟子さんですからね。3人が手の掛からないくらいまで育ってからですね。
>熊:あいつらが一人前になることなんてあるんでしょうかね。
>あや:大丈夫よ。なんてったって親方が面倒を見てるんですもの。
>熊:あいや、こいつはご馳走(ちそう)様です。

>八:なんだお前ぇ、なんか美味いもんでも貰ったのか?
>熊:違うんだよ、分かっちゃないねえ、お惚気(のろけ)を聞かされたらご馳走様って言うもんなの。
>八:今のがお惚気なのか?
>熊:だからお前は唐変木って言われるんだ。ねえ姐さん?

>あや:そんなこと本人に確認しないでくださいよ。赤面しちゃうじゃありませんか。
>八:か、可愛いーぃ。おいらもそんなふうに言われてみてえ。・・・しかしよ、親方もよ、ほんとに幸せなお人だよな、こんな人に惚れられるなんてな。
>熊:まったくだ。

>八:ねえ姐さん。偶には「だるま」にも顔を出してくださいますか?
>あや:お許しが出ればですね。
>熊:女将さんのですかい?
>あや:お義母さんは許してくれると思うんですけどね。
>八:棟梁がですか?
>あや:親方がですよ。
>八:真逆(まさか)。
>あや:嫁を一緒に連れて歩きたがる人じゃなさそうですからね。
>熊:なあるほど。そいつぁあ尤もだ。でも、それじゃああんまりにも寂し過ぎまさあ。おいらたちがしつこく誘えば嫌とは言わないでしょうかねえ?
>あや:そうしていただけます? わたしの方としては、二六時中くっ付いていたい方ですから。
>熊:こりゃご馳走様で。
>八:おっ、おいらも、ご馳走様でやす。
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