06.【あ】  『悪事(あくじ)千里(せんり)を走(はし)る』 (1999/12/06)
『悪事千里を走る』[=行く]
悪い行ないや悪い評判、悪い噂は忽(たちま)ち世間に知れ渡る。
類:●悪事千里●Bad news travels fast.(悪い噂はすぐ広まる)<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典
出典@:「北夢瑣言」「好事不出門、悪事行千里」 出典A:「伝燈録
出典:
北夢瑣言(ほくむさげん/ほくぼうさげん) 逸話集。宋の孫光憲著。20巻。唐以降の逸話類を記したもの。光憲は夢沢の北に住んだので「北夢」と言った。
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八兵衛が「だるま」に着くと、何やら店の感じが違う。打ち水がしてあるのだ。更に、盛り塩も。
これまでそんなことは一度も無かった。そもそもあの親父が、打ち水とか盛り塩などという風流を解する輩(やから)とは到底思えない。

>八:御免(ごめん)よう。
>亭主:なんだよ八公(はちこう)か。
>八:なんだよはねえだろうが。座らせて貰うよ。
>亭主:なんだい、今日は独(ひと)りかい?
>八:後から来るから心配(しんぺ)えすんなって。それよかさあ、どういう風の吹き回しだい? 軒先(のきさき)に水なんか撒(ま)いてあるじゃねえか。
>亭主:なんだか身が引き締まるだろう?
>八:それによ、店ん中も明るくなってねえか? ケムの出ねえ油でも仕入れたか?
>亭主:掃除(そうじ)したんだよ。
>八:親爺があ?
>亭主:真逆(まさか)。おいらのコレがね。

>八:何がコレだよ。・・・あやさんだろう?
>亭主:なんだよ、もう知ってやがんのかい。
>八:あたぼうよ。早耳の八兵衛さんって知らねえのか。
>亭主:悪い奴は耳が早いって言うもんな。
>八:そんなの聞いたこともねえ。悪い噂はあっという間に広がるってのは聞いたことあるけどな。

そこへ、裏手の厠(かわや)の方からあやが入って来た。

>あや:あら八兵衛さん、いらっしゃいまし。
>八:初日っから随分と働いちまってるみたいじゃねえかい?
>あや:八兵衛さんこそ、いつもご贔屓(ひいき)で。熊五郎さんもご一緒でしょう?
>八:少ししたらね。おい親爺、酒はたんと有るか? 今日はお大尽(だいじん)様付きだからじゃんじゃんいくぜ。
>亭主:ツケの分も勘定に廻しとくかい?
>八:流石(さすが)にそいつはなあ。後でばれたら大目玉だからな。
>亭主:御目玉じゃなくて大目玉かい。
>八:どうやら本人は御目玉ぐらいの積もりでいるらしいんだけどよ、背が2、3寸縮んだんじゃねえかってえほどよ。
>亭主:そんなおっかないお大尽様なのかい?
>八:心配えすんなって。顔は怖いが気の優しいお人だ。それはそうと、さっきから何か良い匂いがしてるじゃねえか。なに食わしてくれるんだ?
>亭主:大根と烏賊(いか)の煮付けが良い具合いになってるよ。
>八:初めての料理だねえ。ははあ、さては・・・
>亭主:皆まで言うな。その通りだ。
>八:そんじゃあ、席取りの特権。一番良いとこを出してくんな。

そうこうしているうちに、長屋の半次と松吉が連れ立ってやってきた。

>松:八公、随分と早えじゃねえか。ははあ、さてはお前ぇ、惚(ほ)れたか?
>八:そういう手前ぇたちゃどうなんだってえの。
>松:鋭いところを突いてくるねえ。
>半:まあ良いじゃねえか。同じ長屋に住んでるんだ、家族みてえなもんだろ。
>松:そういうことにしとこうじゃねえか。
>八:下手(へた)すると家族総出になっちまうんじゃねえか?
>松:おいおい、そんなに客が入れんのかよ?
>半:さっき辻で擦れ違ったダチにあやさんのこと話しちまったから、そいつらも来るかも知んねえぞ。
>松:お前ぇもか。おいらも職人仲間に、「そりゃあもう絶世の美人だから見ないと損するぜ」まで言ってきちまった。
>八:こりゃまた大袈裟だねえ。

などと、話している側(そば)から、あれよあれよという間に店は満席になってしまった。

>亭主:なあ八よ、悪いことばっかりじゃなく、良い話もあっという間に広がっちまうもんだなぁ。爪に灯を点して細々と頑張ってきた甲斐(かい)もあろうってもんだよな。
>八:なに言ってやがる。流行(はや)らないのは努力が足りないせい。儲(もう)からないのは手を抜いてるせい。悪いのは全部自分じゃねえのか。
>亭主:そう言うなって。こちとら清水の舞台から飛び降りる思いであやさんを雇ったんだからな。
>八:効果覿面(てきめん)じゃねえか。給金を弾まない訳にはいかねえな。
>亭主:給金のことは暫(しばら)く考えさせないでお呉れ。酒樽の払いも待って貰ってるんだから。
>八:親爺、この調子だと本当に酒が足りなくなるかも知れねえぞ。
>亭主:おい、ほんとかよ。
>八:酒が切れたりしたら、親方、怒るだろうな、きっと。
>亭主:・・・どうしよう。
>八:そう情けない顔するなって。結構なことじゃねぇか。繁盛繁盛。

八兵衛の頭からは、先乗りしてきた目的など、疾(と)うの昔に消え去っていた。
ほくほくの大根を頬張りながら猪口(ちょこ)を呷(あお)り、店が奇麗になっただけで酒の味がこうも違うものなのかと、そんなことばかり考えていた。
つづく)−−−≪HOME